蜀犬 日に吠ゆ

2011-01-24

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ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

貪欲と嫌悪とは自身から生ずる

第二 小なる章

五、スーチローマ

 わたくしが聞いたところによると、――或るとき尊き師(ブッダ)はガヤー(村)のたんきた石床におけるスーチローマという神霊(夜叉)の住居(すまい)におられた。そのときカラという神霊とスーチローマという神霊とが、師のいます近くを通りすぎた。そのときカラという神霊はスーチローマという神霊に言った、「かれは(道の人)である」と。(スーチローマという神霊は言った)、「かれが真の(道の人)であるか、或いは似而非(えせ)の(道の人)であるかを、わたしが知らないうちは、かれは真の(道の人)ではなくて、似而非の(道の人)である。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

貪欲と嫌悪とは自身から生ずる

第二 小なる章

五、スーチローマ

 そこでスーチローマという神霊、師のもとに至り、そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。そこでスーチローマという神霊は師にいった、「(道の人)よ。汝はわたしを恐れるのか。」(師いわく)、「友よ。わたしは汝を恐れているのではない。しかし汝に触れることは悪いのだ。」(スーチローマという神霊はいった)、「(道の人)よ。わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答しないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 (師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちでわが心を乱し、わが心臓を裂き、わが両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけうるような人を、実にわたしは見ない。友よ。汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。――


二七〇 貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生ずるのであるか。好きと嫌いと身の毛のよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。諸々の妄想はどこから起って、心を投げうつのであるか?――あたかもこどもらが烏を投げすてるように。


二七一 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛のよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、――あたかもこどもらが烏を投げすてるように。


二七二 それらは愛執から起り、自身から現われる。あたかも榕樹(バニヤン)の新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の欲望に執着していることは、譬えば、蔓草が林の中にはびこっているようなものである。


二七三 神霊よ、聞け。それらの煩悩がいかなる原因に基づいて起るかを知る人々は、煩悩を除きさる。かれらは、渡りがたく、未だかつて渡った人のいないこの激流を渡り、もはや再び生存を受けることがない。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 仏教は、ほんとう入り口のハードル高いと思います。キリスト教はもうちょっと低いところから徐々にあげていくようなイメージですが、尊師はいきなり「渡りがたく、未だかつて渡った人のいないこの激流を渡」るところを説明しようとしますから。