蜀犬 日に吠ゆ

2011-02-08

[][][]インターネットの現実~~安良岡康作『徒然草』旺文社 19:33 はてなブックマーク - インターネットの現実~~安良岡康作『徒然草』旺文社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 なかよしの人たちとだけお話ししていたくても、そういうわけにはいかない。

第十二段

 同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、ひとりある心地やせん。

 たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違(たが)ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれ\゛/慰まめと思へど、げには、少しかこつ方(かた)も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

安良岡康作『徒然草』旺文社

 この、「「我はさやは思ふ」など争ひ憎み」、「自分はそうは思わない」などと言い争い憎しみあう、というのが、今や世界中でできるようになってしまい、「心の友」などとつき合っている暇などないくらいになってしまいました。かなすーなあ。

徒然草 (対訳古典シリーズ)

徒然草 (対訳古典シリーズ)

第十二段

 心の同じ人としんみりと物語をして、世の中の興趣あることも、世間の頼りないことも、何の隠すこともなく言い合って心の慰めとしたならば、それはうれしいことであろうが、そんな人は事実上あるまいから、少しでも相手の気持ちにくいちがわぬようにしようと対座しているというようでは、ただひとりでいる心持がするであろう。

 たがいに言いたい程度のことをば言い合って、それが「なるほど」と聞きがいがあるものの、少し食い違う所もあるような人は、「自分はどうもそうは思わない」などと言い争って相手をとがめ、「そういうわけだから、そうなのだろう」などとも語り続けたならば、することもない所在なさも薄らぐだろうと思うのであるが、ほんとうは、心中の嘆きを口にする様子が少しでも自分と同じでないような人は、一通りのつまらぬことを言うくらいのうちは所在なさも薄らぐであろうが、しかし、真実の心ある友よりは、ずっと気持ちの離れてしまう所がきっとありそうなのが、どうもやりきれない感じのすることだ。

安良岡康作『徒然草』旺文社

 英訳します。

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Essay in Idleness (Tsureduregusa)

Section 12th

Talking solemnly with a congenial friend about funny stories and sad stories and taking comfort in talking with no secret are joyful, but there is practical not such a friend. So I feel loneliness when I make an effort to adjust my opinion to the partner.

When we can talk at will each other, I sometimes feel "I see". But if I cannot consent to the partner's opinion, I should say "I cannot consent" and argue. And we hate each other. If we continue to talk with saying "Because it is so, it is maybe so" and so on, I cannot feel loneliness. But I really feel deadly when I hear the grief that is the different grief of mine. Because I think that my honest friend don't speak so. And I think that it is better than loneliness. But I feel deadly.

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 うわあ。これは、英文として意味が通るのかも不安な一文が出来上がりましたね。そもそもが、「から」「こそ」「ば」で綿々と文が連なってゆくので句読点をそのままにするととんでもない複文複文の嵐になってしまい、わたしの能力からするとほぼ無理。

 あと、時制はたぶん過去形にすべきなのでしょうけれどもうっかり現在形にしてしまいました。


[][][]小なる章を読む(その13) 18:42 はてなブックマーク - 小なる章を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

暗闇の中で灯火をかかげるように

第二 小なる章

七、バラモンにふさわしいこと

 このように説かれたときに、大富豪であるバラモンたちは、師にいった、

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 バラモンの堕落で屠られる牛。牛肉は食べなくても、儀式の犠牲にはしたんですね。

第二 小なる章

七、バラモンにふさわしいこと

「すばらしいことです! ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです! ゴータマさま。あたかも倒れた者を起すように、覆われているものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされた。ここで、われらはゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまは、われらを在俗信者として、受け入れてください。今日から命の続く限り帰依いたします。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 「三帰依」が出てきましたね。

 サンスクリットですと

第一講 『ダンパマダ』への入り口

[礼拝文]

Namo Tassa Bhagvato Arahato Samma - Sambuddahassa.

ナモー タッサ ヴァガヴァトー アラハトー サンマー サンブッダッサ

(阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼したてまつる)

[三帰依文]

ブッダン・サラナン・ガッチャーミ(私は仏陀に帰依いたします)

ダンマン・サラナン・ガッチャーミ(私は法[真理]に帰依いたします)

サンガン・サラナン・ガッチャーミ(私は僧[仏教者の共同体]に帰依いたします)

釈徹宗『いきなりはじめるダンマパダ』サンガ

 ですから、「ブッダに帰依します」ですが、スッタニパータですと、「ゴータマさまに帰依したてまつる」なので、パーリ語経典のころは、世尊が名指しで呼ばれていたんですね。大富豪のバラモンたちであったから上位から呼びかけたのかもしれません。