蜀犬 日に吠ゆ

2011-03-01

[][][]「もしも」の経済史~~川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書 21:39 はてなブックマーク - 「もしも」の経済史~~川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 90年代ころはまだ異論も多かったウォーラーステイン「近代世界システム」論、最近は高校の教科書などにも登場するようになってだいぶ研究が進んだようですね。

 その先を概説する新書。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

 面白かった部分だけメモ的に。

第三章 ヨーロッパ世界システムの拡大とイギリス

虚構設定の経済史

 そういった議論を比較的わかりやすく展開したのが、計量経済史(クリオメトリックス)の立場の人たちです。アメリカの経済史研究者に、R・W・フォーゲルという人がいました。フォーゲルは、事実に反する仮定を設定してその結果を計算するという方法で、黒人奴隷制度の歴史的意味などを測定しようとしました。この方法を用いて、クロムウェル航海法の意味や、カリブ海の植民地をイギリスが保有したことの意味を分析する人たちが、あらわれたのです。このような反事実の仮定に基づく経済史は、ニュー・エコノミック・ヒストリともよばれました。

 私の学生時代には、歴史家を志す者は、事実に反する仮定を設定してはいけないと言われました。歴史家は、「もし」と言ってはいけない。反事実の仮定をおいてはいけない。「もし、レーニンがいなかったら、ロシア革命はどうなったか」と言いたがる人がいるが、レーニンは実際にいたのだから、こういう問いを立ててはいけないと言うことです。E・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新書)という名著のなかにも、そのことが書いてあります。もし、レーニンがいなかったら、というのは、いわば歴史学における「未練学派」、つまり、ロシア革命などなかったらよかったのに、と思っている人たちの寝言の類(たぐい)だと言われたのです。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書

 ひどい言われよう。しかし、「歴史に if はない」ってのは、E・H・カーの言葉でしたか。きちんと出典のある言葉だったのですね。あとで読み返すか、そんな気力あるか……

 しかし、フォーゲルの反事実仮定というのは、歴史学的な厳密性から大きく逸脱する、いわばエセ史学なのではないかという疑問が湧きますよね。

第三章 ヨーロッパ世界システムの拡大とイギリス

虚構設定の経済史

 しかし、フォーゲルは、そこをひっくり返して、もし○○がなかったら、と反事実の仮定を設定して、そのうえで、その場合の経済計算をしていく。奴隷制度がなかったらアメリカ南部の経済はどうなったか。もし鉄道がなかったらアメリカ経済はどうなったか、という計算をしました。鉄道がなかったら、荷物を馬車で運ぶので、運賃はとても高くなります。運賃が上がると、重い商品やかさばる商品も値上がりする。しかし、荷馬車業者の所得は増える。そうすると、他の商品の価格や他の人々の所得にどのような影響が及ぶかといったことを、細かく計算します。これがフォーゲル派の経済史学で、考え方としては面白いと思います。ただ、面白いけれども、、その計算は頭の中でつくったモデルの上に立っていますから、どこかで現実からずれてしまう。阪神タイガースが優勝したら、どれほどの経済効果があるか、といったことと同じだと思います。仮定されている要素がたくさんありますから、こういう計算はだいたい当たらないと思いつつ、みんなが面白がっているようなわけです。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書

 ですか。一つでも反事実の仮定を行うと、それを成り立たせるために世界の沢山の要素パラメータをいじらなくてはならなくなり、ほとんどファンタジー世界(阪神が優勝する世界!)構築というフィクションに落ちこんでしまうと言うわけですね。わたしは「経済効果」、なんて一応根拠はあるのでしょうけれどもデタラメもいいところだと考えていますし、あれが経済学的に妥当な手法だとすれば、アナリストごとにばらばらな数字が出て来るわけがないと思っていますから、こうしたやり口はモデル理論に過ぎず現実にフィードバックすることはできないでしょう。

第三章 ヨーロッパ世界システムの拡大とイギリス

虚構設定の経済史

 フォーゲル派の理論を適用すると、理論上は、さまざまな政策の評価ができそうに見えます。たとえば、ジャマイカを中心としたカリブ海の植民地を持っていたことは、イギリスにとって、どのくらいの経済効果があったのか。また、イギリスが北アメリカの植民地に強制した航海法が、植民地にとって足かせになっていて、それが独立の原因になったと言われますが、実際には航海法はアメリカ一三植民地の一人当たりの所得をどれくらい下げたのか、などという計算です。しかし、実際には、フォーゲルの方法でも、結論はよくわかりません。前提条件をどうするかによって、結論がまったく変わってしまうからです。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書

 ですよねえ。しかもその前提条件を研究者が恣意的に操作するに至っては、「頭の体操」以上の効能は見込めなそう。アメリカ経済史学会はいったいどうしてしまったのか。それともウォーラーステインのように、しだいに研究が進むと「使える」学問に成長するのでしょうか。

第三章 ヨーロッパ世界システムの拡大とイギリス

虚構設定の経済史

 たとえばカリブ海の植民地を維持するため、イギリスは、いざというときにカリブ海に派遣するための海軍をアメリカ大陸においていますが、そのコストを勘定にいれるかどうかという問題があります。軍隊をどの程度維持しなくてはならないか、ということまで経済的に計算しようとしても、できません。

 帝国経費論争なども、財政史的な立場、つまり単純な収支計算で扱われることが多いのですが、こういう計算では物事は決着しないというのが私の理解です。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書

 とするなら、「失われた10年」だ、いや「20年」だ、という未練学派的な論争は結構不毛であるということになりますかね。