蜀犬 日に吠ゆ

2011-04-30

[][][][][]春のうた を読む(その36) 20:09 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その36) - 蜀犬 日に吠ゆ

71

 花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく萼をはなるゝ

            木下利玄(きのしたりげん)


 第一歌集『銀』(大三)所収。利玄は「白樺」派の歌人で、結核のため三十九歳で死去。右は二十代半ばの作で、牡丹のぼってりした感触をよくとらえている。この落花の描写は、いわばスローモーション撮影の方法と言えるだろうが、当時「白樺」同人が美術に強い関心を寄せていたことも、こういう描写法に影響を与えたかもしれない。晩年、「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」の有名な作がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 牡丹は夏の季語だと言うのは、天に唾する暴挙ですね、たぶん。


 この歌自体、ばかばかしいですが、大岡先生は感動した、それはそれでいい。

 自分のことは差し置いて、「就職活動しろ」という感想しか出ない歌。「弱い物がさらによわいものをたたく」話。植物は抵抗してこないから、ちぎってもむしってもいいです。でも、これは大岡先生ご推薦でも認めたくない歌ですね。



 でも、大岡先生って、私の専門に近い所で言えば「梅原某」「白川某」だということがわかってありがたい。掲載時期の都合もあったろうに。


72

 ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに

           森 澄雄(もり すみお)


 『鯉素(りそ)』(昭和五二)所収。牡丹園の所見だろうか。たぶん白牡丹だろう、風でいっせいにこまいに身をゆする有様を、湯のようだと直感的に感じたのだ。中七以下のヤ行音の働きは、現実の花のゆらぎと、作者そして読者の心のゆらぎとを混ぜ合わしてしまう重要な触媒である。「湯のやうに」の奇抜な比喩が旬の命で、虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」などとは違った現代俳句の工夫がそこにはある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 牡丹は見てみたい。近眼だからぼんやりと、花弁一つ一つにはこだわらず。

 あと、「牡丹」は夏の季語な。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-29

[][][][][]春のうた を読む(その35) 19:31 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その35) - 蜀犬 日に吠ゆ

69

 目には青葉 山時鳥(やまほととぎす) 初鰹(はつがつを)

               山口素堂(やまぐちそどう)


 作者名は関係なしに多くの人に愛唱されている句の代表格だろう。素堂は芭蕉と親交のあった江戸の俳人。諸芸に通じていた人という。句は「鎌倉にて」の前書がある。目のためには青葉、耳のためにはととぎす、初夏の最もさわやかな景物が鎌倉にはある。それさえあるに、舌のためには鎌倉名物の初鰹までも加わって、何と気持のいい土地か、という。初物好きの江戸人は、初鰹を大いに好んだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 おい! 何で春のうたに「初夏の景物」なのだ!

 「青葉」「時鳥」「初鰹」みんな夏の季語なので、季重なりもいいところ。将棋でいうなら「二歩」どころか「三歩」ですよ。春も終わりとはいえ、この暴挙は許し難い。


 ところで、江戸時代の江戸で鰹が不当に珍重されたことを嘆く方々もいらっしゃいますが、実際にはそれは鎌倉時代から始まった風習でした。

 江戸の川柳に曰く、

 「初鰹なに兼好が知るものか」

 兼好法師と言えば、鰹を下魚扱いした戦犯扱いされていますが、まあ保守本流なのですから仕方ないと言えば仕方ない。


第百十九段

 鎌倉の海に、鰹と言ふ魚(うを)は、かの境ひには、さうなきものにて、この比(ごろ)もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄りの申し侍(はんべ)りしは、「この魚(うを)、己れら若かりし世までは、はか\゛/しき人の前へ出づる事侍(はんべ)らざりき。頭(かしら)は、下部(しもべ)も食(く)はず、切りて捨て侍(はんべ)りしものなり」と申しき。

 かやうの物も、世の末(すゑ)になれば、上(かみ)ざままでも入(い)りたつわざにこそ侍(はんべれ)。

安良岡康作『徒然草』旺文社
第百十九段

 鎌倉の海岸で、鰹という魚は、あの地域では、無上のものとして、このごろはもてはやすものである。その魚も、鎌倉の古老の申しましたところでは、「この魚は、わたしどもがまだ若かった時世までは、ちゃんとした方の御前へ出ることはございませんでした。頭は、下部も食べず、切って捨てましたものです」と申しました。

 こうした物も、末世となると、上流階級にまでも入りこむという次第でございます。

安良岡康作『徒然草』旺文社
徒然草 (対訳古典シリーズ)

徒然草 (対訳古典シリーズ)


 冷蔵冷凍技術のない時代、それぞれの旬を味わうことが最ももてなしの基本であったことでしょう。上方の人たちは鱧を尊んで鰻をその下に置きますが、坂東でも、別にうまい鱧を拒んだわけではないんです。鎌倉に政権が現れて貴顕がおとなうような事態に、箱根より西の食材でもてなすのは、むしろ失礼だと思っても、悪くはないでしょう。

 江戸時代の江戸の人は、今度は。鴨川のほとりに暮らす人を「鰹のうまさをしらねえ」と茶化すわけですが、それはそれで無理でしょう。無茶でしょう。


 そう思うと、素堂が「鎌倉」と言っているのは、古式を踏まえての事だと好感が持てます。鰹のゆかしい土地は鎌倉なんですよね。いま、鰹というと高知ですけど。実際は三陸沖でもとれたし、土佐の「鰹なら土佐」アピールはちょっと過剰に思えます。


70

 白牡丹といふといへども紅(こう)のほか

          高浜虚子(たかはまきょし)


 『五百句』(昭一二)所収。大正十四年作。牡丹の美には原産地中国の感触がある。艶麗豪華な点で、桜などとは持味が違う。花王とよばれ、百獣の王獅子と好一対とされた。その特徴をつかんで、中国趣味の人蕪村は、「方百里雨雲よせぬ牡丹かな」と嘆じたが、虚子には虚子の牡丹があった。すなわち清楚な白牡丹である。しかしただ白なのではない。ほのかに紅をさしている、そのかそけさと深さ。別名「深見草」の本意を言いとめたような句である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 牡丹は、花札でいのししと一緒にポーズを決めている極彩色のヤツしか知らん。あとで牡丹園に行ってみようかしらん。花弁の細やかさと花輪の端正さは好きだなあ。白牡丹にうすく紅がかかっているなんで、素敵すぎます。

 花王って、花王でしょ。あれ月じゃん。P&G とかぶってるから訴訟合戦して欲しい。どっちがわるいの? あと、おかめ納豆とおたふくソースも訴訟合戦して欲しい。家人からおかめとおたふくは同じだと言われて、全然別会社だ! って叫んだ時僕の良心はちくちくとした痛みを感じたんだ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-28

[][][][][]春のうた を読む(その34) 19:47 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その34) - 蜀犬 日に吠ゆ

67

 湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる

                窪田空穂(くぼたうつほ)


 『泉のほとり』(大七)所収。信州の松本在に生まれた空穂は、高等小学時代、二里ほど離れた松本市の、早い時期に建てられた洋風建築で名高い開智学校に通った。通学の途中に広い柳原があり、奥に泉が湧いていた。少年は夏の日、泉のほとりの青草に寝そべり、ごぼごぼ湧きやまぬ泉が語る言葉なき言葉に魅せられて、時のたつのも忘れることが多かった。その思い出を歌ったもの。泉はこの歌の中で、作者が世を去った今も、湧き続けている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 私の通学路の川(宝木用水・新川)はカビくさかったなあ。ザリガニも同じにおいがした。今は涸れてる。洪水対策に地下の暗渠と二段構造にしたから。

 

68

 私の耳は貝のから

 海の響きをなつかしむ     堀口大學(ほりぐちだいがく)訳、コクトー


 訳詩集『月下の一群』(大一四)所収。二行詩。題は「耳」。この訳詩集の出現は当時の詩界に鮮烈な感銘を与え、昭和時代に入っての新世代の詩の形成に大きな影響を与えた。明治期からすでに知られていた十九世紀の西欧詩人らと並んで、とくに二十世紀フランスの新詩を多く紹介した。コクトーもその一人で、「耳」はとりわけ愛誦された。耳と貝がらの形態上の号が開く大きな海への扉。翻訳であることを忘れさせる日本語の、自然で高雅な美しさ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 コクトオは昭和生まれの基礎教養でしょう。あと、「青春には、安全な株を買ってはいけない」も常識ですよね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-27

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の4) 19:28 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の4) - 蜀犬 日に吠ゆ

 

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[][][][][]春のうた を読む(その33) 18:48 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その33) - 蜀犬 日に吠ゆ

65

 渚(なぎさ)白い足出(だ)し

       尾崎放哉(おざきほうさい)


 『大空(たいくう)』(大一五)所収。大正十五年四十一歳で死んだ俳人。一高・東大法学部を出て実業界に入ったが性に合わず、酒に溺れて地位を追われ、離婚、無一物で西田天香創立の修行団体、一燈園に投じ、さらに諸寺の寺男や堂守、庵守と、世捨人の一生だった。荻原井泉水の「層雲」によって自由律句を作り、晩年二年ほどの句で俳史に輝かしい名を残した。「老子」などを愛読して東洋思想に親しむ。直観によってはっしとものの核心をつく句風で、猿真似は禁物。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 山頭火の方が好きですが、放哉翁もステキですよね。まあ真似したくなる気持ちはわかりますが、とてもこうは詠めません。

 

66

 人気(ひとけ)なき公園の椅子にもたれて

 われの思ふことはけふもまた烈しきなり。     萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)


 詩集『純情小曲集』(大一四)後半「郷土望景詩」十編の中の「公園の椅子」冒頭二行。故郷前橋で過した憂鬱きわまる青年期を回想した作で、同じ詩の別の部分には、「われを嘲けりわらふ声は野山にみち 苦しみの叫びは心臓を破裂せり」のような激した詩句もある。葉桜ごろのどこかの公園の椅子には、今も人知れぬ憂悶をもった青年が、「烈しき」思いを抱いて、苦しくうずくまっていることだろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 真顔で「純情セレナーデ」とか言われたらたぶんかなりテンション下がるんでしょうねえ。

 今も昔も変わらない青春の悩み。そしてそれが満たされることは、たぶんない。名声を得るのは老いてからですし、富貴を極めることはできないでしょうから。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-26

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の3) 19:31 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の3) - 蜀犬 日に吠ゆ

 まぁだから、なんだ、あれだ、しまうー(風香組)回とやんだ回を交互にやってくれればいいよ。よつばはわりとどうでもいい。

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[][][][][]春のうた を読む(その32) 18:58 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その32) - 蜀犬 日に吠ゆ

63

 唐衣(からころも) きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ

                  在原業平(ありわらのなりひら)


 平安前期六歌仙の一人。高貴の家柄出身だが、藤原一門の官僚社会でははみ出し者だった。歌才の豊かさに加えて、許されぬ恋を敢えてした色好みの理想家としての逸話でも有名。右は東国流浪の旅の作。三河の八橋(やつはし)で、川べりに咲くカキツバタを見て旅愁たえがたく、その五文字を各句の頭にすえて詠んだ。この技法を折句(おりく)という。唐衣は舶来の美しい衣。それを着てむつみ合った妻を都に残して放浪する嘆きを歌う。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 伊勢物語、似而非物語などでお馴染みのカキツバタの歌ですね。


64

 淡海(あふみ)の海(うみ)夕波千鳥汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)思ほゆ

                   柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)


 『万葉集』巻三。「淡海の海」は琵琶湖。「夕波千鳥」は夕波に遊ぶ千鳥のことで、人麻呂の造語とされる。「しのに」は悲哀で心がしっとり濡れての意。近江の大津には天智帝がたてた都があったが壬申の乱で壊滅した。人麻呂はこの乱後に詩人として大成した人だが、近江におもむいて荒都鎮魂の歌を詠むなど、「古(いにしえ)」の都と人を悲傷する思いがひときわ深かったらしい。右の歌の調べ、そういう心情を巧みに言葉に盛っていて、心にしみる調べがある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 近江大津宮(おうみおおつのみや)って、まだ都城制じゃないんですよねえ。白村江の戦いで敗北したあと、かさにかかった新羅・唐の連合軍が攻め上ってくるのを恐れて東へ遷った、というのは本当かしら。

 鎮魂というのは非常に重要ですよね。これから、こういう文学の力がしばらく問われる時期にさしかかると思われます。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-25

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の2) 19:31 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 やんだ好きだなあ。しまうーの次にやんだがステキ。

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[][][][][]春のうた を読む(その31) 20:21 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その31) - 蜀犬 日に吠ゆ

61

 行春(ゆくはる)や鳥啼(とりなき)魚(うを)の目は泪(なみだ)

              松尾芭蕉(まつおばしょう)


 『奥の細道』所収。深川の芭蕉庵から舟に乗り、千住で下船、「前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ」tpあってこの留別(りゅうべつ)の句がしるされる。時に元禄二年三月二十七日。今の五月半ばに当る。この大旅行に備え、前年来米なまぐさものも断って心身を浄め、乞食の境涯を覚悟して出立した芭蕉だが、世はまぼろしと観じてはいても、さすがに知る人も多い江戸のちまたへの、惜別の情は格別だった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 今日は旧暦三月二十三日なので五月半ばというのは年によってぶれが大きい新旧対照にふさわしいとは思えませんよね。

62

 人はうそにてくらす世に なんぞよ実相(じっさう)を談じ顔(がほ)なる

                        閑吟集


 室町歌謡。軒先に燕が何羽も並んでとまっている。しきりにさえずり合う姿はほほえましいが、ながめてあれば何やら心得顔のそのおしゃべり。無常迅速の浮世の夢まぼろしを超越した、真如(しんにょ)の世界、不滅の真理について談じているようではない。人間さまの方は、うそ八百を方便に、

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-24

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の2) 19:31 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 やんだ好きだなあ。しまうーの次にやんだがステキ。

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[][][][][]春のうた を読む(その30) 18:57 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その30) - 蜀犬 日に吠ゆ

59

 暮れて行く春のみなとは知らねども霞(かすみ)に落つる宇治のしば舟

                 寂蓮法師(じゃくれんほうし)


 『新古今集』春下。『古今集』紀貫之の歌「年ごとにもみぢば流す竜田川みなとや秋のとまりなるらむ」を踏む。「みなと」は川が行きつく河口。逝く春がどこのみなとに行きついて停泊するのかは知らない。だが、柴を積んだ宇治川の小舟は、急流を霞の中に落ちてゆく。貫之の歌にある秋の名物、すなわち竜田川の紅葉に対し、こちらは宇治川のひなびた柴舟を晩春秀逸の景として対抗させた。霞に「落つる」は急流の感じを捉えてみごとである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 宇治川って、そんなに急流でしたかね。あんまり覚えがありませんが、もちろん川ですから緩やかな所も急激なところもあることでしょう。雪解け水で勢いが増すと言うことも、季節柄ありそうです。

 しかし紀貫之の秋の歌が華やかで寂蓮の春の歌の、この寂寥はどういうわけか。

 どうも、春の歌だから優しく暖かく明るく、というわけではなさそうだと言うことだけわかりました。


60

 うちわたす遠方人(をちかたびと)にもの申(まう)すわれ そのそこに白く咲けるはなにの花ぞも

                     よみ人しらず


 『古今集』巻十九。五七七を二度くり返す古代の旋頭歌(せどうか)形式の作。「うちわたす」の「渡す」は時・場所について距離を表わす語。ずっとそちらの。野の遠方にいる人によびかけて問うているのだ。「春されば野べにまづ咲く見れどあかぬ花 まひなしにただ名告(なの)るべき花の名なれや」という返歌があって、花は白梅(のように美しい乙女)と知れるが、問いかけの歌だけでも十分面白い。何の変哲もない歌のくせに、とぼけた味と上品さと野趣がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「なにの花ぞも」なぞといわれると、「漱石先生ぞな、もし」みたいに聞こえてしまいます。とぼけた味と野趣はいいとして、上品さはないでしょう。そんな遠くから、女の子にガアガア質問するものではないと思います。これだから東人(あづまびと)は泥くさい

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-23

[][]壁はどこにある?~~~柴田元幸『代表質問』新書館 13:53 はてなブックマーク - 壁はどこにある?~~~柴田元幸『代表質問』新書館 - 蜀犬 日に吠ゆ

 みんなで作るディストピア。

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[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7) 13:22 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

 やんだ好きだなあ。しまうーの次にやんだがステキ。なので今回は画像二枚。

 イケメン!

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[][][][][]春のうた を読む(その29) 13:22 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その29) - 蜀犬 日に吠ゆ

57

 紅燈(こうとう)のちまたに往きてかへらざる人をまことのわれと思ふや

                  吉井 勇(よしいいさむ)


 第二歌集『昨日まで』(大二)所収。第一歌集『酒ほがひ』の「かにかくに祗園はこひし寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる」は有名だが、歓楽のちまたにおぼれる旧華族の蕩児(とうじ)と彼を見る世間に対し、「まことのわれ」はそこにはないことを知れ、という。作者は後に、当時たえがたい悲哀のためわざと身をもち崩していたと自解しているが、事情はどうあれ、彼が作った歌は昂然たる蕩児の調べで、それが魅力なのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「たえがたい悲哀のためわざと身をもち崩していた」、口先では何とでも言えますからね。人が見るのはその行為です。

 赤提灯といわず「紅燈」というとなんかすごそうですけど、つまりそういうことでしょ?

 私は家飲み派。限度がない。


58

 富人(とみびと)の番付(ばんづけ)をわが見てゐしがあはれなる春のしじみ汁食ふ

                   前川佐美雄(まえかわさみお)


 『白木黒木』(昭四六)所収。例年春たけたころ新聞紙上をにぎわす長者番付をながめての歌である。作者は第一歌集『植物祭』(昭五)以来長らく、反写実主義的な新風で注目された歌人だが、作家の基本をなす感性には、いちじるしく風狂への傾きがあり、右の歌の下地にもそれがある。加えて一種のとぼけた味。上句と下句の付き方が面白く、貧乏くさくみせて然らざるところに妙味がある。「しじみ汁」が春のあわれを語って効果的だ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 はるのあわれ。嫉妬しているのかしていないのか、貧乏を嘆いているのか楽しんでいるのか。いや別に貧乏だとは言っていないか。たしかにすっとぼけた味のある歌ですね。こういうのいいなあ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-22

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その6) 21:54 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

 

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[][][][][]春のうた を読む(その28) 19:27 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その28) - 蜀犬 日に吠ゆ

55

 陽炎(かげろふ)や塚より外(そと)に住むばかり

          内藤丈草(ないとうじょうそう)


 丈草は芭蕉晩年の弟子。俳を学び禅に精進したが、病身、四十三歳で没した。句は清澄で思索的。「芭蕉翁の墳(つか)に詣でてわが病身を思ふ」「塚」は墓。「墓より」と表記する異本もある。春昼、先師の墓前に陽炎がもえているのに見入っていて、ふと生のはかなさにうたれたのだ。ああ、私とて、ただ墓穴の外に住んでいるだけのこと、やがては師を追って土の中へゆく身である。芥川龍之介はこの句を好み、小品「点鬼簿」にも引いた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この世の生は墓の外、って絶望感はすごいですね。


56

 うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも

              小泉千樫(こいずみちかし)


 『川のほとり』(大一四)所収。「はかなしごと」は「はかなごと」、はかない事ども。「ほれ」は心気もうろうの放心状態を指し、そこから人に惚れるという用法も出た。大正十三年、千樫晩年の心境をうたっている。当時彼は喀血して病床にあり、死を思う折も多かった。秘めごとの恋をはじめ、多くのはかなごとに夢中だった日々への、万感こめた愛惜の思いが一首にしみとおっている。調べに哀れと艶(えん)があって、いい歌である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 今となってはすべて過去。過去ははかない、では未来は?

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-21

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その5) 21:54 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

 この回はずっとテンション低いよねえ。

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[][][][][]春のうた を読む(その27) 20:31 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その27) - 蜀犬 日に吠ゆ

53

 相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷(しゅんらい)ふるる

                川田 順(かわだじゅん)

 

 『東帰』(昭二七)所収。昼ひなか、愛人と密かに会って帰ってきた折しも、春雷が天をわせる。作者は罪の思いをもってそれを天の怒りと聞いている。順は大正・昭和歌壇に盛名をはせたが、戦争直後京都で某大学教授夫人だった女流歌人と恋愛し、三角関係の苦悩から自殺未遂事件をおこした。老いらくの恋と騒がれたが、のち思いを遂げて結婚した。右はそのひそかな恋のさなかに作られた歌。調べが強い。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 リア充爆発しろ。


54

 しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり

                   和泉式部(いずみしきぶ)


 『後拾遺集』恋四。「露ばかりあいひそめたる男のもとへ」と前書きがある。ほんの短い逢瀬しかなかった男へ恋しい思いのたけを言いやったもの。白露・夢・この世・幻、みなはかない瞬時のたとえである。だがそれらさえ、この短い逢瀬に比べれば久しいものと思える、という。「たとへていへば」の表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、こういう歌をもらった相手の男も参ったろう。げにも和泉は恋の歌びとであった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「素晴らしいときは、やがてさりゆき」、幸せを感じるのは瞬間で、辛苦をなめるのは永劫。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-20

[][]坂戸佐兵衛・旅井とり『めしばな刑事タチバナ』徳間書店 17:13 はてなブックマーク - 坂戸佐兵衛・旅井とり『めしばな刑事タチバナ』徳間書店 - 蜀犬 日に吠ゆ

 朝日新聞の書評欄にいきなり掲載! これでは「マイナー漫画」とは言えませんね。

コミックガイド『めしばな刑事タチバナ』

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[][]大島永遠『まんがかぞく』双葉社 17:13 はてなブックマーク - 大島永遠『まんがかぞく』双葉社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちうか、長女さんの漫画しか読んだことなくて、長女さんの漫画途中で挫折したんですけど、それって世代ですよね!? よね!?

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吉本隆明『書物の解体学』講談社文芸文庫 17:13 はてなブックマーク - 吉本隆明『書物の解体学』講談社文芸文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 

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[][][][][]春のうた を読む(その26) 17:13 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その26) - 蜀犬 日に吠ゆ

51

 しみじみと田打ち疲れしこの夕べ畔(くろ)をわたれば足ふるひけり

                結城哀草果(ゆうきあいそうか)

 哀草果は昭和四十九年に八十歳で没した山形の歌人。随筆家としても知られた。農耕の合間に独学、アララギ派の重要な歌人となった。右は大正期の作で『山麓』(昭六)所収。野良仕事の機械化が進んだ今ではこういう情景も少なくなったが、「しみじみと」といい「足ふるひけり」という表現には、時代をこえて人をうつ力がある。彼のこの種の歌は、『万葉集』東国農民の歌を連想させる所がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

52

 ものの種子(たね)にぎればいのちひしめける

           日野草城(ひのそうじょう)

 第一句集『花氷』(昭二)所収。「ホトトギス」で早熟児の名をほしいままにし、のち「旗艦」で新興俳句運動の先頭に立った草城は、戦後は病に苦しみ、しみじみ沈潜した句境をひらいたが、『花氷』のさっそうたる華やかさが、何といっても草城という俳人の印象を決めていよう。掲出句、二十代半ばの青年の鬱勃たる情感。「ところてん煙の如く沈み居り」、「春の灯や女は持たぬのどぼとけ」その他の句も当時の作として有名。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-19

[][][]デマで一儲け~~関山和夫『落語名人伝』白水Uブックス 21:11 はてなブックマーク - デマで一儲け~~関山和夫『落語名人伝』白水Uブックス - 蜀犬 日に吠ゆ

 ころり渦巻く元禄年間。男たちの野望が動き出すのです。

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[][][][][]春のうた を読む(その25) 16:07 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その25) - 蜀犬 日に吠ゆ

49

 春風や鼠のなめる隅田川(すみだがは)

       小林一茶(こばやしいっさ)

 上五を「春雨や」「長閑(のどか)さや」とする句稿もある。隅田川の川べりに並ぶ家から流れだす残飯、残菓のたぐいをあさる鼠だろうか。しかしそのことはいわず、鼠が隅田川をなめていると大きくとらえたところに、江戸の春の情感が一気に溢れた。一茶は生涯に二万句前後を詠んだという多作家で、駄句も少なくないが、この句のような「奇々妙々」(江戸における一茶の後援者で、自らもすぐれた俳人だった夏目成美の評)の作があるのはさすがだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 下五が「切れ」春風、鼠とミクロな対象に近づいていくようでいきなり大きな情景へと視点を揺さぶります。残飯をあさる鼠って、江戸時代の鼠ってそういうイメージか知らん。

 『柳多留』をみると、

十七・31

鼠をよく取娘に母こまり

『誹風 柳多留』三 岩波文庫

 とありますからもう家鼠、「都会の鼠」になっていたのでしょうかね。


50

 朧夜(おぼろよ)のむんずと高む翌檜(あすならう)

           飯田龍太(いいだりゅうた)

 『山の木』(昭五〇)所収。当代俳壇きっての人気俳人。飯田蛇笏の子息で、父祖以来の甲斐の住人、富士山の北側に住む。「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか」、「水澄みて四方(よも)に関ある甲斐の国」などの近作がある。その句は切れ味よく、柄(がら)が大きい。掲出句は昭和四十七年作。水気の多い春の朧夜には、アスナロの若木はひときわ力強く、「むんず」とのびているだろうという気分をうたっている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 朧夜の、ほんのりした闇を切り裂くようにして翌檜が屹立している。背後に付きを背負ったシルエットが目に浮かぶような名句ですね。こういう、自然の情景を擬音「むんず」で描写するというのは俳句の醍醐味の一つで、それも生きていますよね。夜道を歩く背筋も伸びそうな、生命力の句です。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

誹風 柳多留〈3〉 (岩波文庫―川柳集成 3)

誹風 柳多留〈3〉 (岩波文庫―川柳集成 3)

2011-04-18

またまちがえた。けしてしまった。

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その4) 16:53 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

 各話ごとに、一番気に入ったコマを掲出します。

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[][]ヤクザと活動屋の虚々実々~~山平重樹『実録ヤクザ映画で学ぶ抗争史』ちくま文庫 16:53 はてなブックマーク - ヤクザと活動屋の虚々実々~~山平重樹『実録ヤクザ映画で学ぶ抗争史』ちくま文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 

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[][][][][]春のうた を読む(その24) 16:53 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その24) - 蜀犬 日に吠ゆ

47

 ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠(くもがく)りなむ

              大津皇子(おおつのみこ)

 『万葉集』巻三挽歌。天武天皇の遺子大津皇子が、反逆罪の汚名のもとに奈良の磐余(いわれ)の池のほとりで処刑された時、涙しつつ歌ったとされる臨終歌。「ももづたふ」は「イ」音にかかる枕詞。「雲隠る」は死ぬこと。この池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、私はこうして死んでゆくのか。二十四歳の文武に秀でた皇子は宮廷の権力争いの犠牲としてはかなく散り、悲しみにくれる皇子の妃は、はだしで遺体にかけより、殉死した。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「イ」音にかかる枕詞! そういうのもあるのか!! でもなんで「イ」でしょうね。いぐさの「い」だと「つたう」という感じじゃないですからねえ。「ももづたふイラチ」とか「ももづたふイギリス」とか「ももづたふイタクヮ」とか、そういうのありですかね。


48

 ぜんまいののの字ばかりの寂光土(じゃくくわうど)

            川端茅舎(かわばたぼうしゃ)

 句集『華厳』(昭一四)所収。人っ子ひとりいない、やや湿りけをおびた森閑たる原野に、「の」のじに巻いた首をちょこんと立てたゼンマイが立ち並ぶ。その光景が、作者の心眼に、光明の遍照する寂光浄土を瞬時に開いてみせたのである。茅舎は岸田劉生に学んで画家を志したこともあったが、劉生没後絵を離れた。脊椎カリエスを病む。病苦の中で仏典に親しみ、句の中に清浄感を確立した。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「切れ」の点ではやや物足りないように思えますが、ゼンマイの生い茂る沼のそばに、現実と理想郷とが結びつけられるという、幻想的な句。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-17

[][][][][]春のうた を読む(その23) 20:28 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その23) - 蜀犬 日に吠ゆ

45

 大和は国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく 青垣(あをかき) 山籠(やまこも)れる 大和しうるはし

                 古事記歌謡(こじきかよう)

 古代伝説の悲劇の皇子倭建命(やまとたけるのみこと)が伊勢の能煩野(のぼの)で絶命する時、故郷をしのんで歌ったものという。「真秀ろば」はまほら、マホラマと同じで、すぐれた所の意。一首、大和は陸の秀でた所、重なりあう青い垣根のような山々に抱かれた大和こそ、げに美わしい所、という意味だが、実際は皇子の事跡とは無関係に、国見の儀式の時歌われた国ぼめの歌だろうという。しかし、悲運の皇子のいまわのきわの懐郷の歌として読むとき、この歌はまことにあわれ深い。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 いやあ、学生のころまで「まほろば」の意味をしらずにこの「大和は国のまほろば」って言葉を常用していて、恥ずべき過去ですね。仕事について、何年かしてから教えてもらいました。それで、「大和」と「日本」を一緒くたにしている人がたまにいて、たぶんその人は沖縄人。

 ところで、これって春の歌?


46

 哀しきかな 放逐せらるる者(ひと)

 蹉跎として精霊(せいれい)を喪(うしな)へり    菅原道真(すがわらのみちざね)

 右大臣道真が政敵藤原時平の讒言(ざんげん)で太宰府に左遷され、二年後配所で没するまでの間に作った詩集『菅家後集(かんけこうしゅう)』の一節。道真失脚は平安前期における藤原氏の権力制覇を象徴的に示す事件だった。彼が配所にあった折しも昌泰から延喜に改元されたが、道真に大赦は及ばない。「蹉跎」はよろよろつまずくこと。「精霊」は魂。宇宙万物の根元をなす霊気の意もある。無実を叫んでもだれ一人耳傾ける者とてない敗残者の悲痛な嘆きが、二行にこもっている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 これも春の歌かは謎ですねえ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-16

[][][][]子路の秘密~~関山和夫『落語名人伝』白水Uブックス 20:45 はてなブックマーク - 子路の秘密~~関山和夫『落語名人伝』白水Uブックス - 蜀犬 日に吠ゆ

 化政時代の噺家、桜川慈悲成の噺本に出てくる話。

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[][][][][]春のうた を読む(その22) 20:16 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

43

 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(も)ひもせず

              防人の妻

 『万葉集』巻二十。防人は崎守で、辺境守備兵。七―八世紀、九集北辺警備のため諸国の壮丁を徴発した。二十歳から六十歳まで。三年交替。東国制圧の意味もあって坂東からの徴兵が多く、一家の支柱をとられる貧しい人民には大きな苦しみだった。右は夫を徴兵された妻の嘆きの歌。防人に行くのはどこの旦那さんなの、と気楽にたずねている人のうらやましさよ、こんな悲しい物思いもなしに。

大岡信『折々のうた』岩波新書

44

 家にあらば妹(いも)が手まかむ草枕旅に臥(こや)せるこの旅人(たびと)あはれ

                      聖徳太子

 『万葉集』巻三挽歌。聖徳太子が奈良の竜田山で行き倒れの死者を見て作った悲しみの歌、という前書きがある。家で暮らしていれば愛する妻の手を枕にしているだろうに、旅に出て、草を枕に倒れ伏しておいでのこの旅人よ、あわれ。コヤスはコユ(伏せる)の尊敬語。『日本書紀』にも太子作という似たような歌謡がある。そちらでは旅人の死因は飢え死にということになっていて、古代の旅のけわしさを物語っている。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-15

[][]大和田秀樹『ムダヅモ無き改革』6 竹書房 21:55 はてなブックマーク - 大和田秀樹『ムダヅモ無き改革』6 竹書房 - 蜀犬 日に吠ゆ

 出落ちだからなあ…… むしろよくナチスはがんばった。

ムダヅモ無き改革 (6) (近代麻雀コミックス)

ムダヅモ無き改革 (6) (近代麻雀コミックス)

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[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その3) 20:20 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

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[][][][][]春のうた を読む(その21) 19:30 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その21) - 蜀犬 日に吠ゆ

41

 老いたるは皆かしこかりこの国に身を殺す者すべて若人(わかうど)

             与謝野寛(よさのひろし)(鉄幹)

 詩集『檞之葉(かしのは)』(明四三)所収。明治四十三年四月十五日、山口県新湊沖で潜行訓練中に遭難した六号潜航艇員の変死を悲しむ歌六首の一つ。艇長佐久間勉大尉は海底で死ぬまで報告を書きつづけ、その沈着と勇気をながく讃えられた。寛は殉難を哭(こく)し、戦争を否定し、若人を死地に追いやって生きのびる「老いたる」者らの「かしこさ」を告発する。彼のこの種の歌や詩には注目すべき作があり、再評価すべきであろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 今の段階でも、評価が低いんだ。ものすごく注目されているようにも見えますが、歌壇としては不足なのか知らん。あと、「晶子の旦那」で評価にバイアスがかかるのは、それは仕方ない事だと思います。

 世代間の確執という問題は本当はみせかけであり、経済格差が根底にあるというふうに現代では捉えられがちですよね。しかし個々人で見れば、若くして死んだ人は老いる事ができないのですから年をとった人がうまくたちまわったというふうにも見える事例はあるのでしょうね。

 でも、区切りの部分を「この国に身を殺すもの」というところにとれば、「国が死を命じるのはいつも若人たちにたいしてだ」と解釈もできます。軍人であるという特殊性をおいても、これはほんとうにもうどうしようもないですよね。駄目な事ではあるんですけど現実の問題に対処する上では妥当な状態であると、言わざるを得ません。


42

 右足の軍靴(ぐんくわ)のなかに骨しろし蟻(あり)二三匹(にさんびき)はひまつはりつ

                 橋本徳寿(はしもととくじゅ)

 『ララン草房』(昭三〇)に収める戦中詠。作者は造船技師だったので、技術者軍属となり南方戦線におもむいた。米潜水艦の魚雷で輸送船が沈没し、激浪中に十四時間漂ったのち救助された経験を持つ。敗戦後俘虜生活を孤島で送り、帰国した。歌集題名はララン草で葺いた掘立小屋の俘虜生活にちなむ。右は戦闘の激烈だった戦場あとに立って見た光景の一つ。ころがっている靴の中に見いだしたものをそのままうたう。説明をつけ加える必要はなかろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 こういう情念を歌うときは俳句よりも短歌ですね。説明はおそろしいのですが、ぐんくわはいったいどちらの所属なのか。無残な死を遂げた生命に、所属などもはや問題ではない。蟻もきっと同じように思っているでしょうね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-14

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その2) 20:24 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

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[][][][][]春のうた を読む(その20) 19:42 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

39

 眠らざりける暁(あかつき)に少年のあわれ夥(おびただ)しき仮説を下痢(くだ)す

               岡井隆(おかいたかし)

 作者は戦後短歌の実作、理論両面での主導的存在。右は昭和三十六年の『土地よ、痛みを負え』に収める。当時安保問題その他の緊張は短詩型文学にも強い刺戟を与え、野心的な試みの数々を生ませた。そういう時代の刻印はこの歌にもある。未消化な観念のひしめき合いが日々の現実そのものであるような若者の、試行錯誤の悩み、また喜びを、仮説を下痢するという意表をつく生理的表現でえがく。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 変なリズムですが三十三音で2字余りですか。くよくよ考えているうちに朝になってしまったという話ですか。それは胃腸も弱ります。


40

 怺(こら)へつつ声あげぬ子は係累(けいるい)を隔てて病めりギプスの中に

               島田修二(しまだしゅうじ)

 第一歌集『花火の星』(昭三八)所収。作者には身体に障害のある息子をうたった秀歌が多く、これもその一つ。ギプスをはめられてベッドに横たわる子は、苦痛をこらえて泣きごともいわない。そのけなげさが親の心をいかに打ち、また嘆かせようとも、子は彼だけの孤独の中で耐えていかねばならない。「係累を隔てて病めり」という抑制した表現に、病児をもつ親の無量の思いが溢れている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 できる事ならかわってあげたいと思えども、所詮他人は他人でしかないという絶望感がたまりませんね。春の歌だというのになんでこんなくらいのばっかり選ぶのでしょう。(まあ冬の歌なら暗くていい、という事はないのですが。)


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-13

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その1) 21:20 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

 Enjoy Everything! ←無理。余をEnjoyできていません。くぅぅ。

 2009年に買ってほったらかしていた漫画を読む。

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[][][][][]春のうた を読む(その19) 19:57 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その19) - 蜀犬 日に吠ゆ

37

 てふてふが一匹(いっぴき)韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた。

                   安西冬衛(あんざいふゆえ)

 詩集『軍艦茉莉(まり)』(昭四)と題する有名な一行詩。作者は現代詩のすぐれた先駆者で、大正末期の新散文詩運動により、現代詩に大きな影響を与えた。韃靼海峡は間宮海峡(タタール海峡)の古称。「てふてふ」は蝶々の古いかなづかいで、萩原朔太郎も好んで用いた。蝶の飛びかたが目に見えるようだからである。生まれてまもない蝶がただ一匹で海峡を大陸目指して渡っていった。そこに「春」そのものを見たのだ。韃靼の音と字が効果的である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 時局を考えればシベリア出兵の記憶も生々しいころですから、蝶に「鎮魂」を見て取るようです。たった一頭で大海原を、わたれるはずはないのですからファンタジーなのですが大陸さして飛んでゆく。春と呼ぶにはあまりに小さい春ではありませんか。

 あと、蝶を「一匹、二匹」と数えると鬼の首を取ったように勝ち誇って数え言葉の講釈をたれたがる人がいますが、そんなことにこだわっているうちは詩人になれませんよねえ。


38

 隣室(りんしつ)に書(ふみ)よむ子らの声きけば心に泌(し)みて生きたかりけり

            島木赤彦(しまぎあかひこ)

 大正十五年三月末、五十一歳で没する直前の作の一つ。赤彦は信州下諏訪の自宅で胃癌のため臥せっていた。隣室で十代の男女の子らが本を読み合っている。死の足音に迫られながら、この父親にはもはや「心に泌みて生きたかりけり」という言葉しかない。死は生物の宿命といえ常に不意うちだ。「我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる」という歌もある。三月二十一日の絶詠である。二十七日死去。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「死にたくない」のではなくて「生きたい」んですよね。

 死にたくないのは生きるものすべての欲するところですが、生きたい、というのはこの世界に未練があり、やりたい事があり、別れたくない仲間がいる、ということでしょうねえ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-12

mori-tahyoue20110412

[][]やさしいディストピア~~石黒正数『ネムルバカ』徳間書店 21:08 はてなブックマーク - やさしいディストピア~~石黒正数『ネムルバカ』徳間書店 - 蜀犬 日に吠ゆ

 また読んでしまった。石黒作品。まるきりSF要素はない。「それ町」もSFじゃないから避けているのに、SFじゃあなくてもすげえ面白い。

 あと、「ようそ」でヨウ素を一番に出すのは、時代ですね。

ネムルバカ (リュウコミックス)

ネムルバカ (リュウコミックス)

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[][][][][]春のうた を読む(その18) 19:47 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その18) - 蜀犬 日に吠ゆ

35

 燭(ともしび)を背けては共に憐(あは)れむ深夜の月

 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春      白居易(はくきょい)

 『和漢朗詠集』巻上「春夜」。白居易(はくらくてん)は唐の詩人だが、平安朝日本での崇拝ぶりは他に比類なく朗詠集採録の詩句の数も断然他を圧していた。当時、李白も杜甫もあったものではなkった。ともしびを壁に向けて暗くしては友と二人深夜のさえわたる月光を愛で、落花を踏んでは過ぎゆく若い歳月をともに惜しむ、と歌う。この詩句のういういしい感傷に心うたれる人は、昔に変わらず今も多いだろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 夜の暗さというものは、いろいろなものを思い出させてくれることがあります。過ぎ去った少年の春をしみじみと語り合える友というのは、得がたい財産ですよね。

 ところで、「はくきょい」と「はっけよい」は似ていると思う。


36

 少年や六十年後の春の如し

        永田耕衣(ながたこうい)

 『闌位』(昭四五)所収。明治三十三年生まれの現代俳人。東洋的無の立場に立つ根源探究俳句を唱えた。句集のほか評論も多い。この「少年」とはいったいだれだろう。妖精のようでもあれば、隠れん坊に余念のない現実の子供たちのようでもある。「六十年後の春」も謎めく。それでいて、一読忘れられない面妖な魅力がある。時間と生命についての夢想に誘う句だからだろう。しいて解釈するよりはこの句と共に遊ぶべきか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 わあ、投げ出した。

 私は、少年の方が作者の六十年前の姿で幻視として顕れ、譬喩の対象にされている六十年後の春の方が実景なんだと思います。わきで見ている人がいれば。しかし、永田氏の感覚では少年(自分)こそがそこにあって、少年にとって六十年後の春のほうが無常の世なのではないでしょうか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-11

[][][][][]春のうた を読む(その17) 19:31 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

33

 春の夜の夢の浮橋(うきはし)とだえして嶺にわかるる横雲(よこぐも)の空

           藤原定家(ふじわらのていか)

 『新古今集』春上。定家は中世和歌の第一人者。歌論も抜群だった。春夜の夢のはかなさを浮橋といったのだが、ヒントは『源氏物語』の終巻「夢の浮橋」から来ている。春夜の夢がふととぎれた。その時、山の峰では、横雲がつと峰に別れて漂い出そうとしている。文字づらの意味はそれだけだが、夢の浮橋とか峰に別れてゆく横雲とかは、物語の男女の世界を連想させずにはおかない。作者の意図もそこにあろう。歌に物語の富を奪還せんとしたのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 大岡先生の脳内では、文学の富が紫式部に奪われたことになってるんですね。文学の良さというのは、そういう作品たちが響き合って豊かさ、深さを増やしていくことにあると思う私には、「奪還」の発想がありませんでした。

 春の夜というのは、「春宵一刻値千金」といわれるくらいですからぼちぼちくれてくるころが価値が高いとされ、お花見もそのくらいの時間で開催されるものが多いように思います。会社が終わってからという理由では、年がら年中ヒマヒマな学生たちも日暮れ頃に湧いてでる現象に説明がつきません。

 一方定家の歌は、寝ているところをふと起きたというのですから夜半にかかっていると考えるのが普通。冷え込んでくる日の出前かも知れませんね。またすぐ寝ればいいのに、遣り戸を開いて山など見てしまうくらいでないと歌人とはいえないのかも知れません。あるいは単純に寝る前に閉め忘れた、とかね。

 山の嶺と横雲が隠し持つ意味に関しては、まあそうなんでしょうね。


34

 きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに     芭蕉(ばしょう)

   かぜひきたまふ声のうつくし       越人(えつじん)

 『芭蕉七部集』中『曠野(あらの)』所収の連句「かりがねの巻」より二句。連句は五七五の長句と七七の短句を交互に連ねて長編とするもので、作者は数人の場合が多い。芭蕉一門の力が抜群。芭蕉はその最高の作者兼指導者だった。王朝男女のきぬぎぬ(一夜明けての別れ)の景を二句の連りによって作っている。男を送り出す姫君の消え入らんばかりのはじらい。風邪声なのがまたひときわ魅力的で。「あてやか」はみやびやかの意で、「あでやか」とは別。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 俳諧の連句というのは短い「歌仙」の形式でも三十六句つくります。前の句の印象を受け止めつつ、全く同じ内容で句をつけてはいけないので、詠んでいくうちに情景も登場人物も状況も、どんどん変わっていきます。その発想の飛躍や呼吸の妙を楽しむもの。俳句(というのはこの連句の頭に詠まれる発句なんですが)だと五七五の中で「切れ」に工夫を凝らすのですけれども、まあそれをみんなで車座になってやる、といえましょうか。テキトーな説明ですけど。

 ですから、大岡先生の解説で問題ないんですけど、芭蕉が想定した殿方と姫君の別れの場面と、風邪声のうつくしい女の人というのは同一人物ではない可能性が高いんですよ。ついでなのでこの前後も見てみましょう。(引用者moriが新字旧仮名に改めました。)

足駄はかせぬ雨のあけぼの   越人

きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに  芭蕉

かぜひきたまふ声のうつくし  越人

手もつかず昼の御膳もすべりきぬ  芭蕉

中村俊定校注『芭蕉七部集』岩波文庫

 「足駄」といってるんですから江戸下町の職人さんでしょうかね。稼ぎに「行ってくるぜぇ」という頃合いなのに、「雨降ってるからなぁ、仕事やだなあ」とかうじうじしている。

 →あさ、すぱっと出かけられないんじゃまるで「きぬぎぬ」だ、王朝貴族じゃあるめえし! 貴族のきぬぎぬだと、かぼそく「さよなら」とか言って、みやびやかだよねえ。

 →か細い声、いいねえ! だいたい俺は、風邪気味のときのかすれ声なんか出してる女の子、好きだなあ。

 →風邪で体調悪くて、大声も出せないと料理屋で困るよね。食べる前からお勝手に下げられちゃったりして(笑)

 近世文学というより、おっさんがダベっているだけのようにも見えますが、こんな内容を文学にまで高めたからこそ松尾芭蕉は教科書にまで載るような有名人になれたのでありました。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

芭蕉七部集 (ワイド版 岩波文庫)

芭蕉七部集 (ワイド版 岩波文庫)

2011-04-10

[][][][][]春のうた を読む(その16) 18:21 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

31

 東大寺(とうだいじ)湯屋(ゆや)の空ゆく落花かな

           宇佐見魚目(うさみぎょもく)

 作者は『秋収冬蔵』(昭五〇)などの句集のある現代俳人。右は昭和五十一年作。奈良の誇る東大寺、その伽藍建築のひとつに湯屋、つまり浴室がある。美しい線の屋根をもった建物である。その大湯屋の上に春の空がひろがっている。それを見あげていて、ふと風に運ばれてひらひら湯屋の上方を渡ってゆく花びらを見つけたのだ。大景をとらえた格調のある句である。俳諧では、『古今集』以来の伝統で、単に「花」や「落花」といえば桜を指すのが普通。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 一方中国では桃ですね。花と言えば。一見したとき完全に銭湯の煙突が幻視されたので、東大寺の伽藍建築だといわれて驚き。なるほどそう考えると格調高いですね。


32

 石に触るる春の雲は枕の上に生(な)る

 嶺を銜(ふく)む暁の月は窓の中(うち)より出(い)づ   橘直幹(たちばなのなおもと)

 『和漢朗詠集』巻下「山家」に収める。作者は平安中期の学者・文人。村上帝時代の代表的漢詩人で、名前は音読みでチョクカンともいう。「春、山寺に宿る」という詩の一節。高山に一夜を明かした春暁、眼前に見る自然界の大きさをうたう。俗に石に触れて生じるといわれる春の雲は、自分の枕元から立ちのぼり、嶺を口にくわえているかのような山ぎわの月は、自分の窓からじかに立ち出でる、と。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 なるほど、雲や月にちかい高山の寺に泊まったのでこういう誇張した歌をうたう、と。日本人も漢詩を詠むときには中国人並みに気宇壮大になるものですね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-09

[][][][][]春のうた を読む(その15) 18:58 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

29

 春風(はるかぜ)の花を散らすと見る夢(ゆめ)はさめてもむねのさわぐなりけり

                 西行法師(さいぎょうほうし)

 家集『山家集』所収。西行は桜の歌人、吉野山の歌人としてとくに有名だが、右は「夢の中の落花」という題を出されて作ったいわゆる題詠。しかし桜の、ぞっとするほどの美しさが、そのはげしい落花時のすがたにあることを、これほど身にひきつけて魅力的にうたった歌も少ないだろう。西行の歌には、武家出身のせいもあろうが、当時の他の貴族歌人にはないはげしさと、思うところを言い切るいさぎよさがある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

30

 花散るや伽藍の枢(くるる)落とし行く

       野沢凡兆(のざわぼんちょう)

 凡兆は芭蕉の弟子。鮮烈な感覚で一頭地を抜く俊才だった。蕉門の各種の集から編まれた七種の詞華集(『芭蕉七部集』)のうち評価の特に高い『猿蓑』の共編者であり、同時に花形作者でもあった。水のしたたるような、という形容がふさわしい印象的な句を作る。「伽藍」は僧園、寺の境内。「枢」は戸の桟につけて敷居の穴に落としこみ、戸をしめる木片。寺の境内の夕暮れ、僧がきてお堂の重い扉をしめ、枢をトンと落として去る。庭にはハラハラと桜が散って。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-08

[][][][][]春のうた を読む(その1419:22 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

27

 山里の春の夕ぐれ来て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける

             能因法師(のういんほうし)

 『新古今集』春下。「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」の歌で有名な平安中期の歌人。当時の歌人の中では、いい意味で押しの強い印象鮮明な歌を作った人である。入相の鐘(日暮れに寺でつく鐘)の音が山里の夕暮れの空を渡るとき、それに響き合うように、はらりはらり桜が散っている情景。言葉の、少しねばるようなゆったりとした運びのうちに、春のそこはかとない憂愁が漂う。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 百人一首で能因法師というと「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」で、「印象鮮明」ですが、「いい意味で押しの強い」はどうかなあ。春の夕ぐれ鐘の音に合わせて桜が散るというのもおなじで「印象鮮明」ですが「押しが強い」かなあ。「都をば霞とともにたちしかど」は強い調子が見てとれるんですけれどもね。


28

 したゝかに水をうちたる夕ざくら

       久保田万太郎(くぼたまんたろう)

 『草の丈』(昭二七)所収。作家・劇作家で同時に俳人だった万太郎の大正十五年の作。彼は関東大災で罹災したのち東京の日暮里(にっぽり)渡辺町に住みついていた。「渡辺町といふところ」と前書きのある右の句、いうまでもなく「したゝかに」で全体が生きている。夕桜が家並みの門や塀から枝をひろげている。その前の道路にたっぷり打ち水をしてあるのだ。清楚な桜をあでやかにめでる心がそこにある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 花と水はよい格好の組み合わせなのですよね。たんなる桜並木より、河原の土手の桜が好まれたり、山のしだれ桜が谷川に枝を落としているような絵がよく描かれる訳ですが、町屋のなかでそういう景色に出会った感動が読み取れますね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-07

[][][][][]春のうた を読む(その13) 19:22 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

25

 梅は匂(にほ)ひよ 木立はいらぬ 人はこころよ 姿はいらぬ

             隆達小歌(りゅうたつこうた)

 隆達小歌は近世最も栄えた貿易港である堺の旧家出身の僧、高三(たかさぶ)隆達が創始した歌謡。約五百首の歌詞が残っている。隆達自身の作詞も、そうでないのもある。室町の『閑吟集』を継ぎ、江戸時代歌謡につらなる位置にある。大半を占めるのは恋の歌だが、思想的には無常観が支配的で、題材といい思想といい、昭和の大半まで、日本の歌謡の基調は、思えばまことに一貫していた。右は無常観の表現ではないが、これまた日本の歌謡の愛する思想を歌っている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 ああ、サンジ君ね。

第187話 ”互角”

 いくら 何者に 姿形を変え ようとも… お前は お前さ

 バカかてめェ おれはそういう 映像にはとらわれねェ タチなんだよ

尾田栄一郎『ONPIECE』THE7TH LOG%22VIVI%22 集英社

第187話 ”互角”

 人は

 ”心” だろうが!!!!

(どんっ!!)

尾田栄一郎『ONPIECE』THE7TH LOG%22VIVI%22 集英社

 きゃーかっこいい!


26

 永き日のにはとり柵を越えにけり

         芝 不器男(しば ふきお)

 『不器男句集』(昭九)所収。春になると、急に日が長くなった感じがする。実際には夏至のころが一番長いのに「日永(ひなが)」の感じは春のものだ。季節感の微妙さがそこにある。右の句、何の変哲もない写生句といえばその通りだが、鶏が柵を越える動作のうちに「永き日」の明るさ、のどかさをとらえた目は非凡である。不器男は昭和五年、二十六歳で死んだ俳人だが、遺句集には青春の抒情がきらきらと輝いている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 越えられては、柵の意味がないような。暖かくなってきて、にはとりも活動が活発になったということかな?

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

ONE PIECE 総集編 THE 7TH LOG (集英社マンガ総集編シリーズ)

ONE PIECE 総集編 THE 7TH LOG (集英社マンガ総集編シリーズ)

2011-04-06

[][][][][]春のうた を読む(その12) 20:45 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

23

 花衣ぬぐやまつはる紐いろ\/

      杉田久女(すぎたひさじょ)

 『杉田久女句集』(昭二七)所収。大正時代は虚子門に女流俳人が輩出したが、久女の情熱的で大胆な作風はひときわ目立った。美貌をうたわれたが実生活では悲劇の人で、句集も没後七周忌に初刊行。花衣は花見衣装。花見帰りの軽い疲れに体をほてらせた女が、一本一本着物の紐をほどき捨てていきながら、あらためて紐の多さにわれと驚いている風だが、そこにこそ女の知る愉悦も快感もあったし、またみずから桜となって花びらを散らす思いもあった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 と、男が感じるだろうという計算でつくったように思えますけどね。

 あと、「大返し」を\/で書くというのはあまり見ないのですが、他の人どうやっているのでしょう。


24

 ちらであれかしらさくら花 ちれかし口と花ごころ

        閑吟集(かんぎんしゅう)

 『閑吟集』は室町中期の歌謡集。三百十一首の歌詞を四季と恋を中心に編む。全体の三分の二を占める恋の歌にも、また人生観をうたった歌にも、世の転変の激しさを背景にした刹那主義、享楽主義が色濃く流れている。右の小歌の「口と花ごころ」は、口先だけの不実さと、桜花のように移ろいやすい一時の情けの意。花よ散るなよ、花ごころよ散れ。散りやすい花よりももっとはかないのが人情さ、という嘆きをこめた、花ぼめの唄。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 これもあんまり筋がいいとは思えない。まあ過去の人を現代の基準で裁くのは駄目なのでしょうけれども、そういう意味では時代を超えられなかった歌のように思います。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-05

[][][][][]春のうた を読む(その11) 18:41 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

21

 春雨や降るともしらず牛の目に

          小西来山(こにしらいざん)

 芭蕉より十歳ほど年下の大坂生まれの俳人。十代でもう一家を成すほどの才だったらしい。右の句を見ても、感覚の鋭敏さ新しさには驚かされる。牛のみひらいた目に、細い細い春雨が降りこんで吸われてゆく。「降るともしらず」の表現に春雨がみごとにとらえられている。別に「白魚やさながら動く水の色」という春の句もある。すきとおった白魚の動きを、まるで水そのものが動くようだというのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 見えないものを語る時、言葉は研ぎすまされていなければなりませんよね。なるべくなら譬喩でない方がいい。ここでは、「降るともしらず」と突っ放した感じが春雨の細やかさを伝えています。


22

 白魚(しらうお)の小さき顔をもてりけり

         原 石鼎(はら せきてい)

 『原石鼎全句集』(昭四三)所収。大正期「ホトトギス」黄金時代の花形俳人の一人。白魚の句では、芭蕉の「明ぼのやしら魚白きこと一寸」が有名だが、前回紹介の小西来山作「白魚やさながら動く水の色」に配すべき現代の句をあげれば、まずはこれだろう。大正十二年の作。白魚のあのすき通った小さな体に、つぶつぶの目があり、顔があったこと。その顔が、何ともまた小さいくせに、りっぱに顔であること。それに気づいた驚きと感銘。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 白魚にはあんまり思い入れがないせいでしょうか。よくわかりません。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-04

[][][]『ミニドラSOS』 20:22 はてなブックマーク - 『ミニドラSOS』 - 蜀犬 日に吠ゆ

http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20110404

 20世紀に暮らす子ども時代ののび太が、22世紀の未来デパートから勝手に「ミニドラ」を注文したのですが、のび太の文字が汚くて判読しがたかったため、時空宅配便の配達員(ゴンスケ)が怒ってミニドラの入ったカプセルを放り投げたら、そのカプセルが2011年の4月4日、つまり、ちょうど今年の今日の、大人になったのび太の家に届いてしまったのです。

藤子不二夫ファンはここにいる

 そこで、この写真。

 第一世代(ファースト・ジェネレーションズ)

 第二世代(セカンド・ジェネレーションズ)

 ドラミちゃんとミニドラ


[][][][][]春のうた を読む(その10) 19:19 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

19

 雪解川(ゆきげがは)名山(めいざん)けづる響(ひびき)かな

          前田普羅(まえだふら)

 『普羅句集』(昭五)所収。普羅は大正初期から虚子門で頭角を現した俳人。東京生まれだが、新聞記者として多年富山に在勤した。北陸、甲信越の山や自然をうたったすぐれた句が多い。北国の春の雪解けの時期、にわかに水量を増した山川(やまがわ)が走りくだる雄壮なさまを「名山けづる」と誇張してうたいあげた。「響かな」がどっしり腰をすえているので、誇張が上っ調子にならず、かえって作者の心の張りをつたえる。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 誇張にも思えません。河川による外的営力は山の姿を形づくるうえで大きな要素だと思います。

 この句の「切れ」は、「響かな」で、「音だけかよ!」という肩すかしをくわせる部分。緑豊かな山並みの姿をありありとイメージさせておいて、ねえ。スカッと外してくるところが秀逸。

 しかしこの「普羅」ってペンネームはすごいですね。ちょっと辞書に当たってみましたが、意味はわかりませんでした。落語で「フラ」といえば、噺家の生まれもったおかしみのことですが、まさか関係はなさそう。


20

 やみがくれ岩間(いはま)を分(わけ)て行水(ゆくみづ)の声さへ花の香にぞしみける

                  凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

 躬恒は紀貫之らと『古今集』を編んだ四撰者の一人。感覚の鋭い清新な歌を作った。右は二十代半ばごろの作と思われる。貫之の家で某年三月三日、当時の代表歌人八人が集まり競詠した折、「花春水(しゅんすい)に浮かぶ」の題を出されて作ったのがこの歌。ふつう香りをたたえられる花は梅だが、ここでの花は、他の作者の歌を見ると梅とも桜とも決めがたい。咲きにおう花をたたえるのに、夜の岩間をゆく水音さえ花の芳香に染まっているとした感覚のさわやかさ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 というか、「やみがくれ」ているのだから花本体は見えていないんですよね。そう考えると大胆な歌です。点を取りに行っている感覚は全くないですよね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-03

[][][][][]春のうた を読む(その9) 18:28 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

17

 なつかしの濁世(ぢょくせ)の雨や涅槃像(ねはんざう)

            阿波野青畝(あわのせいほ)

 第一句集『万両』(昭六)所収。作者は秋桜子・素十・誓子とともに「ホトトギス」の四Sと称された人。対象に静かに泌み入って詠む作風である。陰暦二月十五日の涅槃会に寺院で釈迦入寂の姿を一切衆生の悲嘆の姿とともに描いた図を掲げる。それが涅槃像。仏眼から見ればこの世は濁世だが、涅槃会の細かい春雨に包まれるとき、人の世も春雨も、濁世は濁世のままにかぎりなくなつかしいというのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この句の「切れ」は上五と中七の所でしょうね。「なつかしの……」とくればその次はたいてい肯定的なものが続くのですが、そこへ「濁世の雨や」ですからね。切れ字「や」があるので紛らわしいのですが、惑わされてはいけません。「なつかしの濁世」って何だよ! といいつつじわじわと仏教的世界に引き寄せられていき、涅槃像に見事につながっているわけです。


18

 人に勝らん心のみいそがはしき

 熱を病む風景ばかりかなしきはなし  中原中也(なかはらちゅうや)

 詩集『山羊の歌』(昭九)の秀作「無題」の一節。「無題」は五つの詩から成る連作詩で、自分を捨てて去った愛人の、けれどもまっすぐな心をたたえ、みずからを責め、未練と悲傷を訴え、かと思えば兄のような心づかいを見せ、病む心の平安を希求するといった作だが、右に引いたかのような詩句にこめられた詩人の人生観は、作者のそういう体験から独立して、現代人の心の病いをまっすぐに衝いている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 熱を病んで、一人で見る時の風景は、かなしい。かなしいは「悲」というよりも「哀」や「愛」の字を当てるような心境でしょうか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-02

ポジティブ先生

[][]SF! ~~石黒正数『ポジティブ先生』石黒正数短編集2 徳間書店 16:41 はてなブックマーク - SF! ~~石黒正数『ポジティブ先生』石黒正数短編集2 徳間書店 - 蜀犬 日に吠ゆ

 すごい。表題作「ポジティブ先生」って、4ページしかない。

石黒正数短編集 2 (リュウコミックス)

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[][][][][]春のうた を読む(その8) 16:05 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

15

 幾山河(いくやまかは)越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

             若山牧水(わかやまぼくすい)

 第一歌集『海の声』(明四一)所収。名歌として名高いが、これを作った時作者は二十二歳の恋知りそめた学生だった。宮崎へ帰省の途中、中国地方に遊んだ時の作。彼は当時、上田敏訳ブッセの小曲「山のあなたの空遠く「幸」すむと人のいふ」の詩を愛誦していたので、その気分もここに反映しているようだが、「幾山河」と歌い出した時、一首はたちまち醇乎(じゅんこ)たる牧水自身の愁いの調べとなった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 でました、日本文学界の巨☆。若山牧水。己の遺体をエタノール漬けで保存した人。しかし今回は酒の歌ではないのでした。残念。

 ブッセとの対比は面白いですね。ブッセ「山のあなた」の場合は山に出かけて次の行ではもうたちまち帰ってきちゃうのですが、牧水は山の中を旅して歩くことそのものに「寂しさのはてなむ」ことを願っている。そこに二人の詩人の違いが見て取れます。

16

 しんしんと肺碧きまで海の旅

       篠原鳳作(しのはらほうさく)

 

 昭和十一年三十歳で急逝した新興俳句運動の俊才。鹿児島に生まれ、沖縄や鹿児島の中学でおしえるかたわら、いくつかの俳誌に関係したが、晩年は新興俳句運動の、とりわけ無季俳句の有力な推進者だった。右の句、無季俳句の傑作として知られる。「しんしんと」の泌み入る感覚と「肺碧きまで」の鮮やかな色感のみごとな融合によって、忘れがたい印象を生む。まこと南国人の句というべきであろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 大岡先生って、「忘れがたい」好きですね。まあ記憶力がよろしくていらっしゃるのでしょうけれども。

 まあ無季ということですが、「しんしんと」なれば寒い頃でしょうし、「肺碧き」となれば銀世界というわけではないでしょうね。かなりに幻想的な主観的感覚の句ですけれども。こう言うのにはもう「切れ」とかそういうのは関係ないので、苦手。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-04-01

[][][][][]春のうた を読む(その7) 15:58 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

13

 何(いづ)れぞも 泊(とど)まり

 かの崎こえて    神楽歌(かぐらうた)・早歌(そうか)

 神楽歌は広くは神前で舞いと音楽に唱和する歌謡、狭くは宮中で奏される神事歌謡をさす。ふつう『神楽歌』と題する本におさめるのは後者で、こまかく分けられた形式によって奏される多種多様の歌詞がある。右は「早歌」の部の一つ。楽人が本(もと)と末に分かれて掛け合いでうたう。第一行が本方、第二行が末方。旅人同士が海ですれ違いながらの問答だろうが、短い問答ゆえに心にしみて忘れがたい。「今夜はどこでお泊まり?」「あの岬を廻った所で」。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 これがどうして春の歌なのかわかりませんが。まあ宮中の儀式なのですからきちんと暦の上に位置づけられているのでしょうね。海の上で寝るわけにはいかないでしょうから、岬を越えて入り江に入るのでしょう。


14

 春の岬(みさき)旅のをはりの鷗(かもめ)どり

 浮きつつ遠くなりけるかも   三好達治(みよしたつじ)

 第一詩集『測量船』(昭五)巻頭を飾った短歌形式の二行詩。昭和二年四月、伊豆湯ヶ島に転地療養中だった親友の作家梶井基次郎を見舞ったあと、下田から駿河湾を横切って清水にまで渡ったときの戦中の作らしい。岬の波間に浮くかもめが、視野を次第に遠ざかってゆく。それは言いかえれば自分が後ろ向きに陸地から遠ざかってゆくことだ。ひとつの「旅のをはり」は次の旅の始まりなのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 伊豆下田から清水港へ駿河湾を横切るとなれば、当然富士山が見えるでしょう。普通それを詠みたくなるのが人情ですが、安易に流れず。かもめと遠ざかる、それはつまり梶井君からも遠ざかっていくことを示すのですが、それをしみじみと詠むことで「旅のをはり」に余韻を持たせようとしている詩ですね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)