蜀犬 日に吠ゆ

2011-04-03

[][][][][]春のうた を読む(その9) 18:28 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 なつかしの濁世(ぢょくせ)の雨や涅槃像(ねはんざう)

            阿波野青畝(あわのせいほ)

 第一句集『万両』(昭六)所収。作者は秋桜子・素十・誓子とともに「ホトトギス」の四Sと称された人。対象に静かに泌み入って詠む作風である。陰暦二月十五日の涅槃会に寺院で釈迦入寂の姿を一切衆生の悲嘆の姿とともに描いた図を掲げる。それが涅槃像。仏眼から見ればこの世は濁世だが、涅槃会の細かい春雨に包まれるとき、人の世も春雨も、濁世は濁世のままにかぎりなくなつかしいというのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この句の「切れ」は上五と中七の所でしょうね。「なつかしの……」とくればその次はたいてい肯定的なものが続くのですが、そこへ「濁世の雨や」ですからね。切れ字「や」があるので紛らわしいのですが、惑わされてはいけません。「なつかしの濁世」って何だよ! といいつつじわじわと仏教的世界に引き寄せられていき、涅槃像に見事につながっているわけです。


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 人に勝らん心のみいそがはしき

 熱を病む風景ばかりかなしきはなし  中原中也(なかはらちゅうや)

 詩集『山羊の歌』(昭九)の秀作「無題」の一節。「無題」は五つの詩から成る連作詩で、自分を捨てて去った愛人の、けれどもまっすぐな心をたたえ、みずからを責め、未練と悲傷を訴え、かと思えば兄のような心づかいを見せ、病む心の平安を希求するといった作だが、右に引いたかのような詩句にこめられた詩人の人生観は、作者のそういう体験から独立して、現代人の心の病いをまっすぐに衝いている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 熱を病んで、一人で見る時の風景は、かなしい。かなしいは「悲」というよりも「哀」や「愛」の字を当てるような心境でしょうか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)