蜀犬 日に吠ゆ

2011-04-12

mori-tahyoue20110412

[][][][][]春のうた を読む(その18) 19:47 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その18) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 燭(ともしび)を背けては共に憐(あは)れむ深夜の月

 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春      白居易(はくきょい)

 『和漢朗詠集』巻上「春夜」。白居易(はくらくてん)は唐の詩人だが、平安朝日本での崇拝ぶりは他に比類なく朗詠集採録の詩句の数も断然他を圧していた。当時、李白も杜甫もあったものではなkった。ともしびを壁に向けて暗くしては友と二人深夜のさえわたる月光を愛で、落花を踏んでは過ぎゆく若い歳月をともに惜しむ、と歌う。この詩句のういういしい感傷に心うたれる人は、昔に変わらず今も多いだろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 夜の暗さというものは、いろいろなものを思い出させてくれることがあります。過ぎ去った少年の春をしみじみと語り合える友というのは、得がたい財産ですよね。

 ところで、「はくきょい」と「はっけよい」は似ていると思う。


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 少年や六十年後の春の如し

        永田耕衣(ながたこうい)

 『闌位』(昭四五)所収。明治三十三年生まれの現代俳人。東洋的無の立場に立つ根源探究俳句を唱えた。句集のほか評論も多い。この「少年」とはいったいだれだろう。妖精のようでもあれば、隠れん坊に余念のない現実の子供たちのようでもある。「六十年後の春」も謎めく。それでいて、一読忘れられない面妖な魅力がある。時間と生命についての夢想に誘う句だからだろう。しいて解釈するよりはこの句と共に遊ぶべきか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 わあ、投げ出した。

 私は、少年の方が作者の六十年前の姿で幻視として顕れ、譬喩の対象にされている六十年後の春の方が実景なんだと思います。わきで見ている人がいれば。しかし、永田氏の感覚では少年(自分)こそがそこにあって、少年にとって六十年後の春のほうが無常の世なのではないでしょうか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)