蜀犬 日に吠ゆ

2011-04-13

[][][][][]春のうた を読む(その19) 19:57 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その19) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 てふてふが一匹(いっぴき)韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた。

                   安西冬衛(あんざいふゆえ)

 詩集『軍艦茉莉(まり)』(昭四)と題する有名な一行詩。作者は現代詩のすぐれた先駆者で、大正末期の新散文詩運動により、現代詩に大きな影響を与えた。韃靼海峡は間宮海峡(タタール海峡)の古称。「てふてふ」は蝶々の古いかなづかいで、萩原朔太郎も好んで用いた。蝶の飛びかたが目に見えるようだからである。生まれてまもない蝶がただ一匹で海峡を大陸目指して渡っていった。そこに「春」そのものを見たのだ。韃靼の音と字が効果的である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 時局を考えればシベリア出兵の記憶も生々しいころですから、蝶に「鎮魂」を見て取るようです。たった一頭で大海原を、わたれるはずはないのですからファンタジーなのですが大陸さして飛んでゆく。春と呼ぶにはあまりに小さい春ではありませんか。

 あと、蝶を「一匹、二匹」と数えると鬼の首を取ったように勝ち誇って数え言葉の講釈をたれたがる人がいますが、そんなことにこだわっているうちは詩人になれませんよねえ。


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 隣室(りんしつ)に書(ふみ)よむ子らの声きけば心に泌(し)みて生きたかりけり

            島木赤彦(しまぎあかひこ)

 大正十五年三月末、五十一歳で没する直前の作の一つ。赤彦は信州下諏訪の自宅で胃癌のため臥せっていた。隣室で十代の男女の子らが本を読み合っている。死の足音に迫られながら、この父親にはもはや「心に泌みて生きたかりけり」という言葉しかない。死は生物の宿命といえ常に不意うちだ。「我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる」という歌もある。三月二十一日の絶詠である。二十七日死去。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「死にたくない」のではなくて「生きたい」んですよね。

 死にたくないのは生きるものすべての欲するところですが、生きたい、というのはこの世界に未練があり、やりたい事があり、別れたくない仲間がいる、ということでしょうねえ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)