蜀犬 日に吠ゆ

2011-04-24

[][][][][]春のうた を読む(その30) 18:57 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その30) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 暮れて行く春のみなとは知らねども霞(かすみ)に落つる宇治のしば舟

                 寂蓮法師(じゃくれんほうし)


 『新古今集』春下。『古今集』紀貫之の歌「年ごとにもみぢば流す竜田川みなとや秋のとまりなるらむ」を踏む。「みなと」は川が行きつく河口。逝く春がどこのみなとに行きついて停泊するのかは知らない。だが、柴を積んだ宇治川の小舟は、急流を霞の中に落ちてゆく。貫之の歌にある秋の名物、すなわち竜田川の紅葉に対し、こちらは宇治川のひなびた柴舟を晩春秀逸の景として対抗させた。霞に「落つる」は急流の感じを捉えてみごとである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 宇治川って、そんなに急流でしたかね。あんまり覚えがありませんが、もちろん川ですから緩やかな所も急激なところもあることでしょう。雪解け水で勢いが増すと言うことも、季節柄ありそうです。

 しかし紀貫之の秋の歌が華やかで寂蓮の春の歌の、この寂寥はどういうわけか。

 どうも、春の歌だから優しく暖かく明るく、というわけではなさそうだと言うことだけわかりました。


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 うちわたす遠方人(をちかたびと)にもの申(まう)すわれ そのそこに白く咲けるはなにの花ぞも

                     よみ人しらず


 『古今集』巻十九。五七七を二度くり返す古代の旋頭歌(せどうか)形式の作。「うちわたす」の「渡す」は時・場所について距離を表わす語。ずっとそちらの。野の遠方にいる人によびかけて問うているのだ。「春されば野べにまづ咲く見れどあかぬ花 まひなしにただ名告(なの)るべき花の名なれや」という返歌があって、花は白梅(のように美しい乙女)と知れるが、問いかけの歌だけでも十分面白い。何の変哲もない歌のくせに、とぼけた味と上品さと野趣がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「なにの花ぞも」なぞといわれると、「漱石先生ぞな、もし」みたいに聞こえてしまいます。とぼけた味と野趣はいいとして、上品さはないでしょう。そんな遠くから、女の子にガアガア質問するものではないと思います。これだから東人(あづまびと)は泥くさい

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)