蜀犬 日に吠ゆ

2011-04-30

[][][][][]春のうた を読む(その36) 20:09 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その36) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく萼をはなるゝ

            木下利玄(きのしたりげん)


 第一歌集『銀』(大三)所収。利玄は「白樺」派の歌人で、結核のため三十九歳で死去。右は二十代半ばの作で、牡丹のぼってりした感触をよくとらえている。この落花の描写は、いわばスローモーション撮影の方法と言えるだろうが、当時「白樺」同人が美術に強い関心を寄せていたことも、こういう描写法に影響を与えたかもしれない。晩年、「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」の有名な作がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 牡丹は夏の季語だと言うのは、天に唾する暴挙ですね、たぶん。


 この歌自体、ばかばかしいですが、大岡先生は感動した、それはそれでいい。

 自分のことは差し置いて、「就職活動しろ」という感想しか出ない歌。「弱い物がさらによわいものをたたく」話。植物は抵抗してこないから、ちぎってもむしってもいいです。でも、これは大岡先生ご推薦でも認めたくない歌ですね。



 でも、大岡先生って、私の専門に近い所で言えば「梅原某」「白川某」だということがわかってありがたい。掲載時期の都合もあったろうに。


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 ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに

           森 澄雄(もり すみお)


 『鯉素(りそ)』(昭和五二)所収。牡丹園の所見だろうか。たぶん白牡丹だろう、風でいっせいにこまいに身をゆする有様を、湯のようだと直感的に感じたのだ。中七以下のヤ行音の働きは、現実の花のゆらぎと、作者そして読者の心のゆらぎとを混ぜ合わしてしまう重要な触媒である。「湯のやうに」の奇抜な比喩が旬の命で、虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」などとは違った現代俳句の工夫がそこにはある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 牡丹は見てみたい。近眼だからぼんやりと、花弁一つ一つにはこだわらず。

 あと、「牡丹」は夏の季語な。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)