蜀犬 日に吠ゆ

2011-05-31

[][][]情報を広める時は、きちんと確かめましょう~~安良岡康作『徒然草』旺文社 13:52 はてなブックマーク - 情報を広める時は、きちんと確かめましょう~~安良岡康作『徒然草』旺文社 - 蜀犬 日に吠ゆ

第二百三十六段

 丹波に出雲(いづも)と云ふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、めでたく造れり。しだの某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の比(ころ)、聖海上人(しやうかいしやうにん)、その外(ほか)も人数多(あまた)誘ひて、「いざ給(たま)へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信(しん)起(おこ)したり。

 御前(おまへ)なる獅子・狛犬、背(そむ)きて、後(うしろ)さまに立ちたりけれえば、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様(やう)、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(tのばら)、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔(かほ)したる神官(じんぐわん)を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられ様、定めて習(なら)ひある事に侍(はんべ)らん。ちと承(うけたまは)らばや」と言はれければ、「その事に候。さがなき童(わらはべ)どもの仕(つかまつ)りける、奇怪に候ふ事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直(なほ)して、往(い)にければ、上人の感涙いたづらになりけり。

安良岡康作『徒然草』旺文社
徒然草 (対訳古典シリーズ)

徒然草 (対訳古典シリーズ)

 確認は大事。デマの拡散を防いだ、というおはなし。さすが上人。徳が高い。尊~い。

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[][][][][]夏のうた を読む(その22) 19:34 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

43

 全長のさだまりて蛇すすむなり

         山口誓子(やまぐちせいし)


 『和服』(昭三〇)所収。誓子は大正末年に俳壇に登場するや、素材の新、表現の果断明確という、新人の名にふさわしい作風でたちまち頭角を現わしたが、中年以降、沈鬱な人生観が加わって、句に剛直な魅力が添うた。右は昭和二十四年、五十代に入るころの作。蛇は身をくねらせて進むが、その動く姿を「全長のさだまりて」と見すえた所が句の眼目である。人生上のある覚悟に通じるものがある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 長く見える時も、短く見える時も、同じ長さが伸びたり縮んだりしているだけだ。等身大の自分は変わらない、という「覚悟」というより「確認」の句に読み取れました。


44

 音楽漂(ただよ)う岸侵(おか)しゆく蛇の飢(うえ)

               赤尾兜子(あかおとうし)


 『蛇』(昭三四)所収。大正十四年生れの戦中派。近年作風に転換が生じているが、昭和三十年代いわゆる前衛俳句の先頭に位置した一人。句は初五で切れる。写生句でないから読者も想像を働かす必要がある。蛇の飢えが岸をじわじわ侵してゆくというのは超現実的な空想だが、背景には作者の精神の緊迫した不安、渇きがある。その時同時に音楽が「漂う」。音楽もまた暗い不安の象徴となるのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 蛇の句連続か。しかし初五が「音楽漂う」って、全然五音になっていない。それが、前衛ということでしょうか。

 音楽が不安さを表現するのは、「漂う」つまりどこか(遠く)へ行ってしまうとしているからではないかと思います。そして、作者のもとに近づいてくるのは飢えた蛇。ここでは、結構な数の蛇の群れとしたいです。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-30

[][][]変な名前は避けましょう~~安良岡康作『徒然草』旺文社 13:52 はてなブックマーク - 変な名前は避けましょう~~安良岡康作『徒然草』旺文社 - 蜀犬 日に吠ゆ

第百十六段

 寺院の号(がう)、さらぬ万(よろづ)の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比(ころ)は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞(きこ)ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣(めな)れぬ文字(もんじ)を付かんとする、益なき事なり。

 何事も、珍(めづ)らしき事を求め、異説を好むは、浅才(せんざい)の人の必ずある事なりとぞ。

安良岡康作『徒然草』旺文社
徒然草 (対訳古典シリーズ)

徒然草 (対訳古典シリーズ)

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41

 ゆるやかに着てひとと逢ふ螢(ほたる)の夜(よ)

            桂 信子(かつらのぶこ)


 『月光抄』(昭二四)所収。日野草城に師事した新興俳句出身の女流。女性の官能のみずみずしい揺らぎを敏感にとらえ、言葉のうちにやわらかく抱きとる作風。結婚後わずか二年で夫に死別した。若くして寡婦となった体験がその後の作句歴に深い影響を及ぼしたようだ。螢が水辺に舞う宵、薄い着物をゆるやかに着て逢う相手は、男性か女性か。成熟した女のういういしさとおちつきと。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 とくに夏は和服がよい、と思いますがそういう風潮は生まれませんね。自分から世の中を変える気力も、もちろんありません。


42

 満巷(まんかう)の蝉声(せんせい) 槐影(くわいえい)の午(ひる)

 山童(さんどう)戸(こ)に沿(そ)うて 香魚(かうぎょ)を売る   菅 茶山(かんちゃざん)


 『黄葉夕陽村舎詩(こうようせきようそんしゃし)』所収七言絶句のうち転結の二句。備後国(広島東部)生れの江戸後期の儒者・漢詩人日常の諸情景を、実感に即し印象鮮明に歌って詩界に新風を開いた。茶山の叙景詩は昭和初年代に愛読された「四季派」の先駆の観がある。うだるような暑さの夏の午後、村中に蝉声が落ち、槐(えんじゅ)の影もくっきり落ちているあたり、村の子が一人家から家へアユを売って軒下を伝ってゆく。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 なるほど、魚が傷まないように日陰を選んで歩くから「戸に沿うて」となるんですね。さすがの観察眼。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-29

[][][][][]夏のうた を読む(その20) 19:34 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その20) - 蜀犬 日に吠ゆ

39

 理(ことわり)の通れる愚痴(ぐち)ととこころ寄り果(は)てはうとまし愚痴といふもの

                    窪田章一郎(くぼたしょういちろう)


 『六月の海』(昭三〇)所収。故窪田空穂は作者の父。人が愚痴を言ってくる。なるほど、もっともだと同情しながら聞いているが、しだいにうっとうしくなり、果てはうんざりする。だれにも経験のある心理だ。「こころ寄り果てはうとまし」がいい。一見ささいな日常生活の心理の揺れも、こうして詠みこまれると、興味深い人間性の断面図となる。空穂はこの種の歌の第一人者だったが、作者にそれがしっかり受け継がれた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 


40

 杏(あんず)あまさうな人は睡(ね)むさうな

           室生犀星(むろうさいせい)


 『遠野集』(昭三四)所収。詩人・小説家の犀星は、少年時代まず俳句を学び、やがて詩作に没頭したが、親友芥川龍之介の影響で再び俳句に復帰、芭蕉、凡兆、丈草ら蕉門の句に傾倒した。「鯛の骨たたみにひろふ夜寒(よさむ)かな」「ゆきふるといっひしばかりのひとしづか」など古格の句が有名だが、熟した杏の感触をみごとにとらえた右の句にただよう官能性もまた、犀星ならではの世界である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 中切れで自由律のようですが、十六文字でそんなにおかしなわけでもない。睡むさうな、って、いいですね。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-28

[][][][][]夏のうた を読む(その19) 19:20 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その19) - 蜀犬 日に吠ゆ

37

 いつはりの人ほど歌は巧(たく)みなりうち頷(うなづ)くな姫百合(ひめゆり)の花

                     落合直文(おちあいなおぶみ)


 『萩の家歌集』(明三九)所収。戦前に小学教育を受けた人なら、明治以来長く愛唱された直文の長詩「孝女白菊の歌」を知る人も多かろう。明治中葉「あさ香社」を結成、与謝野鉄幹、金子薫園、尾上柴舟らを育て、同三十年代の和歌革新運動をよび起こした。うら若く純真な乙女に言葉たくみに近づこうとする令色漢を諷した歌とも読めるが、辞句の巧みだけの歌に対するいましめであることは言うまでもない。歌はやや古風だが、上三句の率直さがこの歌人の身上。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「言うまでもない」ならいうな! とは思いません。それほど言うまでもないとは思えません。辞句の巧みを戒めるなら、子規の新古今批判から進歩していない。色恋へのいましめに見せかける技巧があっての作でしょう。


38

 歌よみが幇間(ほうかん)の如(ごと)く成(な)る場合場合を思ひみながらしばらく休む

                       土屋文明(つちやぶんめい)


 『少安集』(昭一八)所収。土屋文明は伊藤左千夫門下だが、同門の島木赤彦、斎藤茂吉、古泉千樫、中村憲吉らより後輩。アララギ派の新風の代表者となり、昭和期に入って青年歌人に大きな影響を与えた。批判的な知性が群馬県高地の農村出身者の一徹な野生と結ばれ、強い個性的魅力を放つ。昭和十五年、戦時体制強化の時代に便乗する歌人たちを見すえつつ、自らをも鋭く省みている歌。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 字余りってレベルじゃねーぞ! どこで切ってよいのかしばらく悩む。

 歌よみが/幇間の如く/成る場合場合を/思ひみながら/しばらく休む

 か? 「成る場合場合を」は「なるばいばいを」か? 万葉ぶりがおおらかとはいえ、これはちょっと大らかすぎるのではないか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-27

[][][][][]夏のうた を読む(その18) 18:54 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その18) - 蜀犬 日に吠ゆ

35

 人生五十 功無(こうな)きを愧(は)ず

 花木(かぼく) 春過ぎ 夏すでに中(なか)ばなり   細川頼之(ほそかわよりゆき)


 十四世紀の武人政治家。室町幕府の管領として足利義満を補佐し、功があったが、五十一の時、対立する小人どもにおとしいれられ、讃岐の旧領に帰った。その折りの七言絶句「海南行」の初二句。続く二句で、部屋にはアオバエ(のごとき者ども)が満ちて追い払うこともできぬ。いっそ立って座禅の床をさがし、さわやかな風の中で寝ころぼう、と歌う。自己卑下の語調は、いうまでもなく反面に昂然たる思いを秘めている。いつの世にもありうべき人生の感懐だろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そういう時こそとんちだよ、と一休さんならいいそうですが。


36

 ともし火に我(われ)もむかはず燈(ともしび)もわれにはむかはず己(おの)がまにまに

                     光厳院(こうごんいん)

 光厳上皇は十四世紀南北朝時代の北朝初代天皇。戦乱に転々とし晩年は禅僧生活を送った。花園院の指導で『風雅集』を撰し、和歌史に名をとどめる。生涯の歌百六十五首が残る。右は『光厳院御集』雑の部の、夜ふけに燈火とひとり向かい合っている深沈たる心境を歌った六首連作の一つ。燈火と自分自身と一室にあってたがいに静まりかえっている。近代の秀歌にも通じる内面に目を向けた作。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 燈火にも自我がある、としたところが面白い。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-26

[][][][][]夏のうた を読む(その17) 18:43 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

33

 放課後の暗き階段を上りゐし一人の学生はいづこに行かむ

             柴生田稔(しばうたみのる)


 『入野』(昭四〇)所収。斎藤茂吉に師事したアララギ派歌人。多年大学教授をつとめた。ふとつぶやくように生まれた作かと思われるが、不思議な味わいがある。作者は夕暮れの階段をおりる途中、一人の学生とすれちがった。放課後なのに、この学生はどこへ上がってゆくのか。結句には「どの教室へ」と問うだけでなく、もっと広い意味で「どこへ」と問う心が響いていて、そこに愁いあるひろがりが生じた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「のぼりゐる」というのは「のぼってゆく」でいいのでしょうか。「ゐる」なのですから、座っているのではないのか? わたしが思い描いたのは廊下を歩いてゆくと、ふと、階段の上に学生が上って座り込んだ。その下を通った短い時間に盗み見ると、学生はあてどない顔つき。ということなのではないでしょうか。

 つぶやくように歌を作る、というのはすごいですよね。私はつぶやくことすらままならないのに。ハイクに戻ろうかしら?


34

 軍歌集かもみて歌ひ居るそばを大学の転落かと呟(つぶや)きて過ぎにし一人

                 近藤芳美(こんどうよしみ)


 第一歌集『早春歌』(昭二三)。同歌集は作者が大学生だった昭和十一年当時から終戦までの作をおさめる。右は学生時代の歌で、戦火の拡大につれ軍国主義におおわれていく学園のある日の情景。当時の歌に「国論の統制されて行くさまが水際(みづぎは)立てりと語り合うのみ」という批評と諦念の交錯する青年の心情を歌った作もある。四十年以上前の歌だが、過去のものとばかりは言えない内容の歌である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 国論は統制されたがっているんですよ。大学生だから高い知性を持っているとか、学問は自由を欲するとか、嘘っぱちです。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-25

[][][][]生き恥をさらす 19:35 はてなブックマーク - 生き恥をさらす - 蜀犬 日に吠ゆ

 議事録のない会議で物事が決まっていてはいけない。歴史の法廷に、私たちは立たなければならない。

襄公二十五年 548 B.C.

 大史が「崔杼、其ノ君ヲ弑ス」と記録したので、崔子はこれを殺した。大史の弟は引き継いで同じことを記録し、死者が二人ふえたが、その弟が(四番目に)さらに同じく記録したので、(崔杼は)そのままにした。大史兄弟が全員殺されたと聞いた南史氏は、(「崔杼、其ノ君ヲ弑ス」と記した)簡策を手にして朝廷に出かけたが、すでに(その通りに)記録されたと聞いて引き返した。

小倉芳彦訳『春秋左氏伝』中 岩波文庫

 まあ私も現在大無職ですから言いたい放題云えるのかもしれませんけれども。建前というのはけっこう大切だと、儒教の立場から思うのです。

春秋左氏伝〈中〉 (岩波文庫)

春秋左氏伝〈中〉 (岩波文庫)


[][][][][]夏のうた を読む(その16) 19:07 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

31

 昭和衰(おとろ)へ馬の音する夕かな

         三橋敏雄(みつはしとしお)


 『真神(まかみ)』(昭四八)所収。大正九年生まれ、昭和十年代に新興俳句の新人として出発した。句は昭和四十年作の無季句。「昭和衰へ」と断じてその理由は説かないのが、直観と実感をもって語を吐きだす俳句の行き方だが、一歩誤ればたわいない空語となる。この句の場合、中七以下に「馬の音する夕かな」のけだるい暗がりがあって、初五の「昭和傾けり」の実感が生かされている。この馬、ダービーの馬場にはいなかろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 どころか、昭和の亡霊どもが平成を食い荒らしているわけでして。世代間闘争の話ではありませんが、昭和に作った国家やシステムが、頑固に屈強に日本を駄目にしている進行形なんですよね。

 句集の『真神』とは、オオカミの古語。だそうです。Goole 情報。


32

 老残(らうざん)のこと伝はらず業平忌(なりひらき)

                能村登四郎(のむらとしろう)


 『咀嚼音(そしゃくおん)』(昭二九)明治四十四年生れの現代俳人。業平忌は元慶四年(八八〇)没の在原業平の忌で旧暦五月二十八日。『伊勢物語』の主人公と目され、劇的な艶聞で知られる情熱の歌人業平は、五十五歳で没した。この美男の老残の日々について、さだかなことが何ひとつ伝わらない点に、作者は業平という詩人の真骨頂を感じたのだ。ふしぎにも美女小野小町には衰亡伝説が多いのだが。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 『咀嚼音』てのもすごいタイトルですねえ。「ふしぎにも」って大岡先生はすっとぼけてますけど、男女差別ですよね。単純に、文化の担い手も受け取り手も、男の側の目線が中心を占めているというだけのことでしょう。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-24

[][][]バカはどう生きたらいいのか? 民主主義はまあ嘘だよね。 20:26 はてなブックマーク - バカはどう生きたらいいのか? 民主主義はまあ嘘だよね。 - 蜀犬 日に吠ゆ

誕生の時間歴史の時間

  ――お父さんはなぜ戦争に反対しなかったの?

  ――あんな戦争で死ぬなんて、バカとしか思えない。

  ――脱走。脱走すればよかったんだ。

  ――要するに、戦前の日本人はみんな勇気がなかったんだね。

 このたぐいの言葉を、これまでどのくらい父たちは聞いたかしれない。父の多くは言うべき言葉を失って沈黙した。山本五十六、米内光政、山下奉文、東条英機以下の名をあげて、一人でも知るかと若者に問うと一人も知らないと答える。前の大戦のときの将軍だと教えると、それなら自分たちは生まれていない。生まれる前のことは知らない。知らないのは当たりまえだという。

山本夏彦『毒言独語』中公文庫

 で、

今のありさま

  ――お父さんはなぜ原発に反対しなかったの?

  ――あんな原発で死ぬなんて、バカとしか思えない。

  ――脱走。脱走すればよかったんだ。

  ――要するに、昭和の日本人はみんな勇気がなかったんだね。

 このたぐいの言葉を、これまでどのくらい父たちは聞いたかしれない。父の多くは言うべき言葉を失って沈黙した。正力松太郎、三木武夫、中曽根康弘、佐藤榮策、宇野宗佑、中川一郎、河野洋平、田中マキコ、中川秀直、(もちろん)谷垣禎一以下の名をあげて、一人でも知るかと若者に問うと一人も知らないと答える。原子力委員長だと教えると、それなら自分たちは生まれていない。生まれる前のことは知らない。知らないのは当たりまえだという。


 無知は罪だよ君。

 アマゾンに『毒言独語』がない国に、未来があるか?


[][][][][]夏のうた を読む(その15) 20:00 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

29

 また本(ほん)か。恋しいな、

 気障(きざ)な奴等(やつら)の居ないとこ       上田敏(うえだびん)訳、ラフォルグ


 詩集『牧羊神』(大九)所収。フランス十九世紀末の詩人ジュール・ラフォルグの詩「ピエロオの詞」の一節。右に続く行にいわく、「銭(ぜに)やお辞儀の無いとこや、無駄な議論の無いとこが」。敏は訳詩集『海潮音』(明三八)で明治の新詩に一大転機をもたらしたが、没後刊行された『牧羊神』のラフォルグ、グールモン、フォールらの訳詩は、ぐっとくだけた語調に清新な魅力が溢れている。敏といえば『海潮音』だけをあげるのは片手落ちというべきだろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 詩歌の、この日本における退潮ぶりはなんなのでしょうね。海外の現代詩歌の状況なんて、よっぽどマニアしかしらないでしょう。日本大好きな人びとの、言葉に対する鈍感さが日本を、本当に駄目にしていると思います。


30

 ぬぎすてし自分の着物たよりなくつぶれてをりぬ かうなるだらう

                     福田栄一(福田栄一)


 『きさらぎやよひ』(昭四三)所収。『新風十人』(昭一五)の参加者の一人、昭和五十年六十六歳で没。昭和初年代に短歌会に登場した世代の歌には、時世の激変を反映してか屈折した内向性の歌が多い。作者は戦後もそういう歌境を固守して独自の歌をうたった。唐突な結句「かうなるだらう」は、わがなれのはての予感として発せられている一語だろうが、底流する憤りが歌を生かしている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-23

[][][][][]夏のうた を読む(その1419:26 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

27

 朝(あした)に紅顔あつて世路(せろ)に誇れども

 暮(ゆふべ)に白骨となつて郊原(かうげん)に朽ちぬ     義孝少将(よしたかのしょうしょう)


 『和漢朗詠集』巻下「無常」。作者藤原義孝は平安中期の人。日本第二の美人と称えられた麗景殿女御(冷泉院の后)の夭折を嘆じた漢詩の一節という。朝には若々しい紅顔に浮世の快楽を満喫していても、夕には白骨となって郊外の原野にくちはてるのが、死すべき人間のさだめなのだと、人生無常をうたう。浄土真宗中興の祖蓮如の有名な「白骨の御文」は、この句に基づいて書かれた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 御文はてっきり漢詩由来だと思い込んでいました。勉強になります。


28

 白珠(しらたま)は人に知られず 知らずともよし 知らずとも吾(われ)知れらば

 知らずともよし                    ある僧


 『万葉集』巻六。奈良の元興(がんごう)寺の一僧、衆にぬきんでて学問があったが頭角をあらわすことができず、かえって他の連中に馬鹿にされてばかりいた。そこでみずから嘆いてこの歌を作った、と註にある。真珠(白珠)は人に真価を知られない。知られなくてもかまいやしないさ。世間のやつらが知らなくても、自分で自分の真価を知っているなら、連中が知らなくたってかまいやしないさ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そうして引きこもる。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-22

[][][][][]夏のうた を読む(その13) 12:43 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

25

 松浦川(まつらがは)川の瀬(せ)光り鮎釣ると立たせる妹(いも)が 裳(も)の裾(すそ)濡れぬ

                  大伴旅人(おおとものたびと)


 『万葉集』巻五。山上憶良の作とする説もある。奈良朝初期、九州太宰府の長官だった旅人は、下僚の憶良とともに、中国思想の影響が明らかに感じられる、当時における新風の作品を同地で作った。神仙思想に関心があり、右の歌を含む「松浦川に遊ぶ」連作にもそれが出ている。川で鮎を釣る仙女のような乙女らと旅の男との歌の贈答という設定の歌物語だが、きらきらと明るい歌いぶりに、和歌の青春期が感じられる。

大岡信『折々のうた』岩波新書

日本人の中国への憧れについて

 『遊仙窟』は万葉の歌人たちに愛好された。山上憶良の「沈痾自哀文」に「遊仙窟に曰はく、九泉の下の人は、一銭だに直(あたひ)せじといふ」とその名が引かれているのをはじめとして、大伴家持の「坂上大嬢(おおいらつめ)に贈る歌十五首」や「松浦川に遊ぶ序」などに、そのいちじるしい影響が見られる。一例を挙げてみよう。

 暮(ゆふ)さらば屋戸開け設(ま)けてわれ待たむ

    夢(いめ)に相見に来むとふ人を

 この歌が『遊仙窟』の「今宵莫閉戸 夢裏向渠辺」(今宵は戸を閉めずにいてください、夢のなかであなたのお傍へ行きますから)に拠っていることはいうまでもなかろう。

 『遊仙窟』は一例に過ぎない。王朝時代から江戸時代まで、中国の文物のすべては日本人にとっての「憧れ」だったのである。

駒田信二『対の思想』岩波書店同時代ライブラリー
26

 ただひとり岩をめぐりて

 この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ       島崎藤村(しまざきとうそん)


 『落梅集』(明三四)所収「千曲川旅情のうた」の最終二行。この詩はのち同集の「小諸なる古城のほとり」と合わせて「千曲川旅情のうた」一・二番となり、その二をなす。四行四連、藤村詩中最も有名な作だろう。千曲川の古城跡にたたずみ、戦国武将の栄枯のあとを回想し、「嗚呼(ああ)古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ」と嘆じつつ、一人岸辺をさまよう近代の旅人の愁いをうたう。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

新編 対の思想―中国文学と日本文学 (同時代ライブラリー)

新編 対の思想―中国文学と日本文学 (同時代ライブラリー)

2011-05-20

[][][][][]夏のうた を読む(その12) 19:09 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

23

 黄泉(よみ)に来てまだ髪(かみ)梳(す)くは寂(さび)しけれ

                  中村苑子(なかむらそのこ)


 第一句集『水妖詞館』(昭五〇)所収。現代に女流俳人は多いが、この作者の句は中での異風といえよう。季や写生の有無にこだわらない。

現実世界のみならず、黄泉の国、すなわち死後の冥界の消息をも句にする。しかし、いわゆる幻想的な作のおちいりやすい独善性や甘ったれた自己満足はない。人生の哀しみから妖艶な美をしぼりとることの、愉楽とそして寂しさを知っている人とみえる。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「地獄の底でもオシャレでいたい!」一瞬、「小悪魔系ファッション」という単語が思い浮かびました。


24

 蟻地獄(ありじごく)松風を聞くばかりなり

           高野素十(たかのすじゅう)


 大正末期から昭和初期に「ホトトギス」で活躍した四S(秋桜子・素十・青畝・誓子)の一人。昭和二年、三十四歳の時の作。松風を聞いているのは作者である。海辺の松林。砂地には蟻地獄の穴。空には松風。人はその松風にじっと耳を傾ける。ただそれだけ。それだけなのに、句にふしぎな虚空のひろがりがあるのは、聞く主体が蟻地獄と松風だけの世界に没入して消えてしまったからか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 4sな! いったい誰が、そういう名称をつけるのでしょうねえ。こういう、文壇がアイドルだった時代と現代では、文芸の扱いがかわって当然でしょう。いま、「俳諧四天王」とかいっても冗談以上のものにはならないと思います。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-19

[][]西条真二『鬼の作左』1 メディアファクトリー 20:24 はてなブックマーク - 西条真二『鬼の作左』1 メディアファクトリー - 蜀犬 日に吠ゆ

 『キガタガキタ』(恐怖新聞のリメイク漫画)が面白くないのでむしゃくしゃして買った。

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[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その11) 19:19 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

 Enjoy Everything!

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[][][][][]夏のうた を読む(その11) 19:19 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

21

 あやにくに煩(わづら)ふ妹(いも)が夕ながめ    越人

     あの雲はたがなみだつゝむぞ         芭蕉


 『芭蕉七部集』中『曠野』の「かりがねの巻」より。前回掲出の古歌の世界は、いわばこんな形で近世連句によみがえったともいえる。「あやにくに」は折りあしく。「煩ふ」は病気だが、ここでは恋わずらいの含みがある。「夕ながめ」は夕暮れの空をうちながめてうつろに嘆く心。この越人の前句に対する芭蕉の付句は、女の嘆きを酌みつつ、あの夕空にかかる雲はだれの涙を包んでいるのか、と風景を大きくつかみ、劇的な色をそえた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 こないだ引用した『芭蕉七部集』ですが、速攻所在不明になりました。ばかみたい。

 雲は涙が集まってできているのかぁ。入道雲→雷雨は、嫉妬に狂った結果なのかしらん。


22

 とがもない尺八(しゃくはち)を枕にかたりとなげあててもさびしや独り寝

                     閑吟集


 思うように恋する相手に逢えずにいる悩みをもった男。尺八を吹いて気をまぎらせようとしても、かえってさびしさはつのるだけ。何の罪もない尺八を、腹はらだちまぎれに木枕にかたりと投げあててみたりもするが、鬱はいっこうに散じない。独り寝のさびしさをうたう和歌や歌謡は数多いが、この作は尺八や枕の音に現実感がある上、泣き笑いに似たおかしみも添うていて、印象的である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 室町時代から尺八って今の形だったのかしらん。まあ「尺八」って竹を一尺八寸に切ったものだから、そんなに大きく変わりようがないか。西洋音楽だとルネッサンス期と古典・バロックで楽器や楽団の構成が大きく変化した、とかいう話は有名ですが邦楽は、あんまり進歩しなかったのでしょうか。よく知らない。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-18

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その10) 18:53 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

 こんなペースでペーソスを醸し出していた日には、話がちっとも進まない。

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[][][][][]夏のうた を読む(その10) 20:11 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

19

 淀河(よどがは)の底の深きに鮎(あゆ)の子の 鵜(う)といふ鳥に背中(せなか)食はれてきり\/めく 可憐(いとを)しや

                        梁塵秘抄(梁塵秘抄)


 平安歌謡。鵜飼の情景だろう。鮎が身もだえして逃げようとはねる様を「きりきりめく」と形容しているところなど、表現に大いに生彩がある。淀川などの川べりに群れて春をひさいでいた遊女らの愛誦した歌かもしれない。そうだとするなら、鵜につかまっってきりきりめいている鮎の子に、なにがしか彼女ら自身の運命をも感じとっていたか。後世の芭蕉の句、「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」と並べてみるのも一興だろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 命を奪う、残酷な見世物ではありますが、魚くらいに離れていると感情移入もうすくなるのでそれほど問題視されないのでしょうね。しかし、梁塵秘抄のベースにある仏教的世界観は「生きとし生けるものすべて同じ」ですから弱いものへのまなざしが細かい。


20

 ゆふぐれは雲のはたてにものぞ思ふ天(あま)つ空なる人をこふとて

                    よみ人しらず


 『古今集』巻十一恋。「雲のはたてに」は雲のはてに。「天つ空なる人」は天上にいる人、つまり手も届かぬはるかな高みにいる想い人。作者はたぶん男性で、想う相手は、当時の身分制度のもとでは手の届かぬ高嶺の花の女性だったのだろう。しかし一首には、そういう現実の事情をこえて、恋する人に共通のあこがれと悩みが歌われている。この歌は広く愛誦され、空をながめて嘆く片思いの歌の一典型となった。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-13

[][]焼畑文明~~レイ・ブラッドベリ 小笠原豊樹『火星年代記』ハヤカワ文庫 18:53 はてなブックマーク - 焼畑文明~~レイ・ブラッドベリ 小笠原豊樹『火星年代記』ハヤカワ文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 新版を買って読みました。まあ昔読んだのも当然覚えてませんけどね。

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

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[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その9) 18:53 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

 富山から真岡へ毎年気球がとぶので、空を見れば気球が! という気分はわかります。あと、那須塩原の千本松牧場でも気球イベントが定期的に行われています。乗ったことないけど。

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[][][][][]夏のうた を読む(その9) 20:11 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

17

 草枕旅に物思(ものも)ひわが聞けば夕片(ゆふかた)設(ま)けて鳴く河蝦(かはづ)かも

                       よみ人しらず


 『万葉集』巻十。「草枕」は旅にかかる枕詞。「夕方設けて」は夕方になって。古代の人々の旅は実際にはどんな風にして行われていたのだろうか。いずれにせよ私たちの観光旅行のようなものはほとんどなかった。よほどのことがなければ、人は旅に出たりしなかった。不便だし、飢えその他の危険もあった。その旅に出て、日暮れ時、川べりでカワズ(万葉ではカジカを指すことが多いが、この歌ではふつうのカエルかもしれないという)を一人聞いている男。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 カジカであるカハヅは、蚯蚓と同じように川で鳴くと思われていた。ので、聞いた声はカエルでしょうね。よみ人がイメージしたのがどちらかは、わからないわけですが。


18

 五月雨(さみだれ)や御豆(みづ)の小家(こいへ)の寝覚(ねざ)めがち

                     与謝蕪村(よさぶそん)


 「御豆」は淀川と木津川の合流点に近い淀東南の地名。このあたりは土地が低く、湿気ていて、さみだれの季節には川が氾濫をおこしやすい。そのおそれから、屋根をしばしば雨がたたく季節がやってくると、一帯の小家に住むつましい人びとは眠りも浅く、寝ざめがちになるというのである。蕪村には「さみだれや大河を前に家二軒」という有名な句もあるが、御豆の小家のさみだれの哀れ深さには及ばない。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 しかし、氾濫がなければ慣れてしまうのも人間の本性。土地が低く、湿気ている場所に住むのは、経済的合理性。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-12

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その8の2) 21:06 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その8の2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 こんな駄文を書くのにこんなに時間がかかる。

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[][][][][]夏のうた を読む(その9) 20:11 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

17

 越後屋(えちごっや)に衣(きぬ)さく音や更衣(ころもがへ)

                 榎本其角(えのもときかく)


 蕉門の俊才其角は、元禄時代の江戸っ子気質を奔放華麗に詠んだ俳人で、師芭蕉の閑寂志向とは対照的な都会趣味、伊達好みだった。「越後屋」は日本橋駿河町にあった呉服店で、三越の前身だという。現金掛値なし、切売りという薄利多売商法で人気を博した。「衣」はここでは裂く時の音がピッと鳴って快い絹だろう。衣がえの季節、呉服屋の店頭のにぎわいに、江戸の初夏の感興があふれた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 去来だ曾良だという向きとひと味違う。やはり其角ともなるとうっかり「談林派か」というような句をひねりますね。越後屋という、実在の店名を出してくるあたりも洒落が効いています。いまなら、俳句に「イオン」だの「ユニクロ」と読み込むようなもので、花鳥風月を期待しているとビックリするというしかけ。


18

 六月の氷菓一盞(いっさん)の別(わかれ)かな

          中村草田男(なかむらくさたお)


 第一句集『長子』(昭一一)所収。「貝(かい)寄風(よせ)に乗りて帰郷の船迅し」「秋の航一大紺円盤の中」など、『長子』には多感な若き日の旅中の秀吟があるが、右の句も青春の哀歓がにおいたつようである。氷菓は夏の氷菓子の総称で、ここではアイスクリームか。「盞」はさかずきだが、ここは氷菓の容器をいう。夏休みに入るころ、それぞれが散ってゆく学生同士の、しばしの別れの情景か。漢語調のことばの張りがこの句の命である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 まあそれはいいのですが、「夏」で、中村草田男なら、もっとこう、あるでしょう。「日本詩歌の常識」づくりというのであれば、「万緑の中や吾子の歯はえそむる」を外してどうする、と思うのです。「万緑」という季語を作ってしまった言葉の力、八音五音五音というダイナミックな中切れの技巧。「いや、それはあまりにも有名だからあえてはずす」という態度は、「折々のうた」にあってよいのでしょうか。(それとも大岡先生は「万緑……」を評価しないのでしょうか。)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-11

[][][][][]夏のうた を読む(その8) 19:39 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

15

 篁(たかむら)の竹のなみたち奥ふかくほのかなる世はありにけるかも

                中村三郎(なかむらさぶろう)

 長崎生まれの歌人。若山牧水に師事し、その歌誌「創作」の花形的存在だったが、大正十一年三十二歳で若死にした。近年全歌集が編まれた。作者は前回掲げた京極為兼の竹林の歌を目にしていたかどうかわからないが、両方の歌とも、竹林の閑寂な幽静境をうたった忘れがたい秀歌だと感じられる。この歌は大正七年二十八歳の時の作。「なみたち」は並み立ち。下句の「ほのかなる世」がまことに麗しい。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そうだねえ。虎さえ襲ってこなければ、竹藪に住んでタケノコだけ食べて生きていけるタイプの極楽が、私も好き。


16

 夏影(なつかげ)の房(つまや)の下(した)に衣(きぬ)裁(た)つ吾妹(わぎも) 裏(うら)設(ま)けてわがため裁(た)てばやや大(おほ)に裁(た)て

               柿本人麻呂歌集


 『万葉集』巻七、「人麻呂歌集」から採ったと注記のある旋頭歌群の一つ。人麻呂作と確定はできないが、大らかな歌柄は人麻呂にふさわしい。「裏設けて」には着物の裏を用意してとする説と心用意をしてとする説がある(ウラは心の意もある)が、後者の方が詩趣がある。「房」は妻屋、寝室。夏木立の影の小屋で布を裁っているいとしい妻よ、私の服なら、気をつけて少し大きめに頼むよ。夏服と若夫婦の取合わせがういういしい。「やや大に」に魅力がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 旋頭歌のリズムには、乗り切れません。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-10

[][][][][]夏のうた を読む(その7) 20:54 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

13

 ゆめふしにかもすご喰(く)へば風薫(かおる)    凡兆

   蛭(ひる)の口処(くちど)をかきて気味よき    芭蕉


 『芭蕉七部集』中『猿蓑』の「灰汁桶(あくおけ)の巻」より。二句の続きによって、野良仕事のあと膳にむかった男が、田んぼで蛭に血を吸われたあと(口処)をぼりぼりかいている情景を描く。カマゴはイカナゴ、コウナゴで、カマスとは違う。「風薫る」は東南から吹く夏のさわやかな風の特徴をとらえた夏の季語。一日の仕事を終えてつましい食卓にむかうほっとした気分が、かゆい所をかく気持ちよさに活写されている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 


12

 枝にもるあさひのかげのすくなきにすずしさふかき竹の奥かな

               京極為兼(きょうごくためかね)


 『玉葉集』夏。為兼は藤原定家の曾孫で鎌倉時代末期の代表歌人。万葉尊重を説き、世に玉葉・風雅時代とよがれる和歌の新風を興し、主導した。政争にかかわり、二度にわたって蓜流の身となった。『玉葉集』は伏見上皇の命彼が編んだ勅撰集で、彼や伏見院の他に永福門院の作も有名。こまやかで清冽な自然描写が、続く『風雅集』にも共通の特徴で、右の歌にそれはよく現れている。「かげ」は光。下句は竹林の幽静境を見事にとらえている。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-09

[][][][][]夏のうた を読む(その6) 19:26 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

11

 馬を洗はば馬のたましひ冴(さ)ゆるまで人恋はば人あやむるこころ

                 塚本邦雄(つかもとくにお)


 『感幻楽』(昭四四)所収。現代歌人中随一の才華の人で、歌集はじめ、評論、小説その他の多産さでも並ぶ者がない。右は「隆達節によせる初七組唄風カンタータ」と副題する「花曜」連作の一首。初句が五音でなく七音で起こされ、『梁塵秘抄』『閑吟集』『隆達小歌』『田植草紙』などの中世・近世歌謡から、詞華の富を奪いとるべく敢行した試み。「あやむ」は殺す。歌謡調の歌いぶりを現代の鋭い神経が貫通する。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 初句の七音で違和感を覚え、下の句で「ストーカーは犯罪!」以上の感想はない句。でも、これって強烈な皮肉なんですよね。よく、熟練した職人さんとかが「木の気持ちを考えてやすりをかけて」とか「鉄の気持ちがわかるんですわ」。バカじゃないのか。「これだけ長く飼っていると、動物の気持ちがわかるんですよ」とか言いますけれども、反論の機会が与えられていないわけですよ。愛玩動物などはそうですけど、生殺与奪の権を持っている人に対してどういう態度を示すのか、それを考えない人がいるのはいいけど、美談ではないよな? 死んだ動物を銅像にして、「こんなみんなに見てもらって、あの子も幸せでしょう」って、そんなことないと思う。


 馬を洗う。馬の魂なんぞ知りもしないのに、そこに達したいと思う。これを人は美談だという。人を恋する。好きな人を独り占めしたくて殺す。これは、頭おかしい。


 塚本邦雄は、原子力発電所に対しても皮肉な歌を詠みまくった左翼(要出典)ですから、いいんですけど。インターネットにあった歌は

原子炉大内山に建設廃案となりにけりすめらみこと万歳?  「風雅黙示録」所収。1996年(平成8年)刊。

 まあ五七五七七とかどうでもいいわけで、何を言ったのかが大切なんだよ。

 「大和魂」とか「好きだった」とか「距離をとれば安全だ」とか。世の中の欺瞞を歌ったわけですなあ。


12

 面影ばかりのこして あづまのかたへくだりし人の名は しら\/゛といふまじ

                        閑吟集


 近世歌謡の粋(いき)をみせた一編。愛する男が東国へ去ってしまった後、残された女がふともらした溜息。面影ばかり残して、という表現の省略法は小気味がいい。「しらじらと」はあからさまに。しかし、「しら」という音は、その人の名は、「知らず」の意味をも含ませた使い方だろう。あの人の名は決して言うまい、胸の奥に隠しておいて。この東に下った男を、傷心流浪の旅に出る業平のような男に擬(ぎ)してみるのも一興だろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 業平は「ほとぼりを冷ますため」にいったん都を出たのであって、余裕で戻ってくる。芸能人の覚醒剤みたいなものでしょう。全然反省はなくて「その場をしのげればいい」という判断。小林多喜二の不審死すら覚悟した、ある意味ジャンヌダルク的精神とは違う。

 大岡先生と、だんだんずれてきましたよ。私は心が狭いので、こうやって本を読むのは「こいつは俺とはあわない」を確認するためなんです。

 「いふまじ」と心に誓わなければならない状況に置かれたわけでしょう? ばーんと出てきて「この人を責めるな! おれは逃げも隠れもしない!」というのが私の脳内の文学。余裕であづまでのうのうとするのは、ドキュメンタリー。「粋(いき)」で定義するなら、私の中ではぶすい。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-08

[][][][][]夏のうた を読む(その5) 19:26 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

9

 陰(ほと)に生(な)る麦(むぎ)尊(とうと)けれ青山河

         佐藤鬼房(さとうおにふさ)


 『地楡』(昭五〇)所収。岩手県生まれの現代俳人。須佐之男命(すさのおのみこと)に五穀の神大気津比売(おおげつひめ)の話がある。頭に蚕、目に稲、耳に粟(あわ)、鼻に小豆、陰(ほと)に麦、尻に大豆を生ずる女神である。句はこの神話をふまえている。初夏の山河は一面の緑だ。その中に、すでに熟して黄色になった麦の重たい穂波が揺れる。五穀生育神話にある女体のイメジが、麦に宿る生命感と呼応し合うのを見た感動をうたう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 イメジ(笑)。

 


10

 朝霧のおぼに相見し人ゆゑに命死ぬべく恋ひわたるかも

                笠 郎女(かさの いらつめ)


 『万葉集』巻四相聞。笠郎女は万葉女流中有数の歌人で、大伴家持に贈った恋歌で知られる。いずれの歌も女心を激しく吐露している上、技巧にも秀でていて忘れがたい。右もその一つ。「朝霧」は朝霧のように。「おぼ」はおぼろ、ほのか。「人ゆゑに」は、人だのにの意のユエニ。朝露のように、逢引きしたともいえないほどほどほのかに逢っただけの方なのに、命も絶えんばかり恋しうございます。

大岡信『折々のうた』岩波新書

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-07

[][][][][]夏のうた を読む(その4) 19:11 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

7

 命はも淋しかりけり現(うつ)しくは見がてぬ妻と夢にあらそふ

                  明石海人(あかしかいじん)


 『白描』(昭一四)所収。海人はハンセン氏病のため昭和十四年、四十歳に満たずして死去した。画家を志し、結婚して子もあったが発病、療院に入り、短歌に苦悩のはけ口を見出した。昭和十一年『新万葉集』に描写の苦悩を歌った作十一首が採られ、一躍注目された。病状が次第に悪化してゆく中で刻一刻の命の消尽をみつめ歌う。掲出歌、現実には逢えない妻と夢で逢えたというのに、その夢はいさかいの夢だったのだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 


8

 泉への道後れゆく安けさよ

       石田波郷(いしだはきょう)


 『春嵐』(昭三二)所収。波郷は戦後まもなく結核の成形手術を受け、闘病生活を続けた末に昭和四十四年逝去した。昭和時代の代表的俳人の一人である。暑い日差しの中を歩いてきて、泉に近づく。連れは思わず足を早めて泉に向かう。その後姿を見ながら、こちらはゆっくり後れて歩む。泉が湧きつつ待っている所へ、友人に後れて、ひとり道をたどる思い。そこに、今生きてあることの実感が静かに動いている。それがこの句の告げている「安けさ」なのだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-06

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その8) 21:25 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

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[][][][][]夏のうた を読む(その2) 19:59 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

3

 郭公(ほととぎす)なくや五月(さつき)のあやめ草あやめもしらぬ恋をするかな

                   よみ人しらず


 『古今集』巻十一恋。集の恋歌全五巻を代表する位置にある巻頭歌で、古来広く愛誦された歌。上三句は同音を重ねて「あやめ」を引き出すための序詞。「あやめ」は文目(あやめ)で織物・木目など模様。それさえ見分けがつかぬほど恋に夢中で、というのが「あやめもしらぬ」。上三句は下二句とは意味上関係のないことをいっているが、初夏を代表するほととぎすと菖蒲(あやめ)がさわやかに歌われ、そのため下二句の恋の悩みも、はつなつの光と風に洗われている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 恋は盲目。で終わりにしては和歌になりませんからね。いちおう技巧はこらすわけです。

 それで思ったのですが、無季自由律って、ことわざみたいですね。「せきをしてもひとり」とか。


4

 谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな

          金子兜太(かねことうた)


 『暗緑地誌』(昭四八)所収。昭和三十年代、いわゆる前衛俳句が俳句が俳句界を席捲したが、その旗手だった作者の比較的近年の作で、いわゆる無季の定型句。夜、せまい谷合いで鯉がもみ合っている。この情景には性的なほのめかしをもった生命のさわだちがある。それを「歓喜かな」で受けた。歓喜しているのは鯉だとも作者だともいえない。むしろ夜そのものの肉体が歓喜しているというべきか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 金子先生若い時からオヤジ入っていたんですね。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-05

[][][][][]池田邦彦『シャーロッキアン!』1 双葉社 21:13 はてなブックマーク - 池田邦彦『シャーロッキアン!』1 双葉社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 『シャーロッキアン! 』このタイトルはずるいよね。他の人がこれで書けなくなってしまうではないですか。シャーロッキアン、は個別の案件ではなくて「ジャンル」です。です! です!!!!!!!! はあはあ、つい興奮しましたが、この漫画はおもろい。

シャーロッキアン!(1) (アクションコミックス)

シャーロッキアン!(1) (アクションコミックス)

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[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の5) 20:23 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その7の5) - 蜀犬 日に吠ゆ

 やんだ あとで なかす

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[][][][][]夏のうた を読む(その1) 20:02 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

1

 空青し山青し海青し/日はかがやかに/南国の五月晴(さつきばれ)こをゆたかなれ

                     佐藤春夫


 和歌山県新宮市生れのこの詩人の代表作「望郷五月歌(ごがつか)」の一節。詩は次のように始まる。「塵まみれなる街路樹に/哀れなる五月(さつき)来にけり/石だたみ都大路を歩みつつ/恋しきや何(な)ぞわが古郷」。五月の東京にあって、海山の彼方紀州の、水清く、実り豊かな自然と人の営みを望み見て歌った望郷の詩である。昭和六年の作。今よりはよほど清潔だったはずの、半世紀前の東京の街路樹も、南国生れの詩人には塵まみれにみえたらしい。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 普通に考えて、未舗装道の多かった古い時代の方がずっと塵まみれだったでしょう。ナポレオン三世とオスマンが都市計画にのりだす前のパリなんて本当に冗談みたいな町だったそうです。江戸、明治、大正昭和と町は清潔になってきていると思います。大岡先生たるものそのくらいはご存じでしょうから、「清潔」は自動車の排ガスやそれにともなう光化学スモッグや、ビキニ湾での水爆実験などのはなしをなさっているのかもしれませんが。


2

 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

              北原白秋(きたはらはくしゅう)


 『雲母(きらら)集』(大四)巻頭「新生」一連より。同集には、隣家の人妻との恋愛事件で一時投獄の憂き目にあった白秋が、晴れて彼女と結婚。三浦半島の三崎に住んだ時期の歌を収める。海浜生活と新生への意欲から、歌に独特の高揚感が生じた。右の歌、自分が卵をつかむ動作からの発想かとみる見方もあるが、そういう因果関係はどうでもよかろう。作品はまざまざと宙に現れた「大きなる手」の幻影をとらえている。「昼深し」の三字の働き具合が冴えている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そうかなあ。「昼深し」の三字がどう働いているのかわからなくて難解な歌になっているのでは。

 「大きなる手」があらわれたというのは、卵視点ですよね。下から上へ、現れた手をみている。しかし「上から卵をつか」むのは人間の視野になっている。さらにその背後でもいいんですけど。で、その視点の転換がどうして「昼深し」なんでしょうね。大岡先生は「働」いているといいますが、ちょっとよくわからない。

 でも、まあ、効果がわからなくても、ひょいとつかんだ卵って、人間の手に対して小さいよね。リンゴぐらいが、つかみがいがあります。そういう感覚はわかります。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-04

[][][][][]春のうた を読む(その40) 19:10 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その40) - 蜀犬 日に吠ゆ

79

 たてがみをとらへまたがり裸(はだか)うまを吾嬬男子(あづまをのこ)のあらなづけする

                      橘曙覧(たちばな あけみ)


 曙覧は福井生れの幕末の国学者・歌人。日常茶飯に取材して自在に歌い、江戸時代出色の歌人だった。歌集は号をとって『信濃夫廼舎(しのぶのや)歌集』という。裸馬をならす情景をこんな風に歌った歌人は、まず他にはいなかった。題材の面白さに加えて、きびきびした詠いぶりにこの人らしい魅力がある。「たのしみは」で始まる「独楽吟」五十首や飛騨銀山の採掘を歌った作なども興味深い。正岡子規が曙覧を称揚したことはよく知られていよう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「たてがみ」「とらへて」「あづま」「あらなづけ」と、双声の響きの美しい歌ですね。うつくしいうた、もうつくしい語呂です。うつくしいうまや、うつくしいうどん、などはうつくしいのですが、うつくしい風呂、うつくしいテレビは語感が悪い。

 美しい花がある、花の美しさなどというものは、ない。←うそくせえ。でも、うつくしいうそではあります。


 これで、「春のうた」はおしまい。もう夏になります。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-03

[][][][][]春のうた を読む(その39) 20:01 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その39) - 蜀犬 日に吠ゆ

77

 海だべがど おら おもたれば

 やつぱり光る山だたぢやい     宮沢賢治(宮沢賢治)


 『春と修羅』(大一三)所収の方言詩。題は「高原」。右の続きに次の三行がある。「ホウ/髪毛(かみけ)風吹けば/鹿(しし)踊りだぢやい」。詩全体は、海かなと思ったが、やっぱり光る山だったぞ、風が吹けば、鹿(しし)踊りにかぶる面の髪みたいに、髪が踊るぞ、という意味だろう。作者賢治が所蔵して書き入れをしていたこの『春と修羅』では、この詩の上に斜線が引いてあるそうだが、作者の意思いかんとは別に、この方言詩は生きている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 と、大岡先生が書いてから、賢治の研究はほぼ進んでいないというのが国文学の常識。「斜線が引いてあるそうだ」が限界。

 『春と修羅』という詩集の題名も、中身に負けず劣らず凄絶なイメージと牧歌的要素をないまぜにした賢治らしいものですね。




78

 朝月夜(あさづくよ)双六うちの旅寝して       杜国(とこく)

  紅花(べに)買(カフ)みちにほととぎすきく    荷兮(かけい)


 『芭蕉七部集』第一『冬の日』の歌仙「しぐれの巻」より。杜国も荷兮も名古屋の人。江戸から芭蕉を迎えて歌仙五つを興行、蕉風の樹立にとって記念すべき集となった『冬の日』を生んだ。双六(すごろく)うちは賭け双六を渡世の業として歩く男。その男が、空にはまだ月が明るい早暁、紅花(べにばな)の仲買人たちが急ぎ足でゆく道に立ち出でて、ふとほととぎすを聞きつけた。初夏のさわやかな情景。紅花は、まだ露に濡れている早朝に摘むのが普通だった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-02

[][][][][]春のうた を読む(その38) 21:41 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その38) - 蜀犬 日に吠ゆ

75

 佐保神(さほがみ)の別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに

                    正岡子規(正岡子規)


 『竹の里歌』(明三七)所収。明治三十四年五月初旬の作で子規晩年の絶唱のひとつ。彼は六年前から結核、カリエスのため病床にあって文筆活動に没頭していた。「佐保神」は佐保姫、春の女神。「佐保神の別れ」は春との別れ。「われならなくに」は私ではないことであるものを。病状悪化激しく来年の春の女神には再会できまいというしみじみという思いを歌う。子規は春が好きだった。翌三十五年は春に生きながらえたら、九月十九日死去。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 キノコの山とたけのこの里の論争で、正岡子規が登場した例を見ないのは管見の故でしょうか。



76

 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

             よみ人しらず


 『古今集』巻三夏。「五月」は陰暦五月。「花橘」は橘の花をほめていう。「昔の人」は昔恋人だった人、ここでは女性。橘の花の芳香が、かつての思いびとの袖にたきしめられていた香りを、突然よみがえらせたのである。平安朝の詩人たちは、嗅覚の刺戟が過去をよび戻す事実に関心をそそられていた。それは当時における新しい主題の一つだった。この歌は大層愛されてので、「花橘の香」といえば「昔の人」という連想の型ができたほどだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 科学における認識論に発展させられない程度の文明でした。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-05-01

[][][][][]春のうた を読む(その37) 21:04 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その37) - 蜀犬 日に吠ゆ

73

 はつなつ の かぜ となりぬ と みほとけ は

 をゆび の うれ に ほの しらす らし      会津八一(あいずやいち)


 南都すなわち奈良の寺や仏をあこがれ詠じた歌集『南京(なんきょう)新唱』(大一三)所収。「南京」は北の京都に対して奈良をいったもの。「をゆび」は小指、「うれ」は末端。み仏は胸元にかかげた小指の先で、吹く風もさわやかな初夏の風になったことをほのかに覚知なさっているのだろう。意味はそれだけだが、口ずさめば一音一音の魅力にうたれる。八一は言葉の音の中にひそむ力をひき出し、示すため、総平がなの表記法をとった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この『折々のうた』は、掲載する詩歌に関しては原文に準拠しているのか、歴史的仮名遣いです。万葉集などは後世の漢字仮名遣いに変えているんでしょうけれど。で、作者名の読みと解説は新字新かななんですよね。それはいい。でも、新字新仮名でも、「あいづやいち」は「あいづやいち」でしょう? 「あいず」って気持ち悪い。ぞっとしません。大岡先生、これでいいんですか。それともこれが、朝日岩波のリベラリズムなのでしょうか。


 はつなつの かぜ といえば、かわかみ せんせいの ちょっと やらしー あの すてきな はんが おもい だされます。 はつなつの かぜに ぼくは ならない。 ぼくは えいえんの かぜに のって まいあがりたい。


 だから、またいうけど、「春のうた」に初夏バンバンはおかしいでしょう。


74

 西蔵(チベット)のはだか菩薩(ぼさつ)の絵を見れば男のなやみあへて隠さず

                    植松寿樹(うえまつひさき)


 第一歌集『庭燎(にわび)』(大一〇)所収。ラマ教の菩薩絵図を見て発した感を歌っている。寿樹は窪田空穂門の歌人で、若くして清澄な歌境を築いた。「目を閉ぢて深きおもひにあるごとく寂寞として独楽(こま)は澄めるかも」はつとに有名である。掲出歌、異土の裸仏(はだかぼとけ)が、日本などの仏の画像とは違い、男の持物をぶらんとさせているのを見たのであろう。「男のなやみ」という含みのある表現に、妙味、面白味がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 違うと思うなあ。交合仏じゃないか。それでなやむのは私か。大岡先生は悩まなかったんだろうなあ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)