蜀犬 日に吠ゆ

2011-05-01

[][][][][]春のうた を読む(その37) 21:04 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その37) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 はつなつ の かぜ となりぬ と みほとけ は

 をゆび の うれ に ほの しらす らし      会津八一(あいずやいち)


 南都すなわち奈良の寺や仏をあこがれ詠じた歌集『南京(なんきょう)新唱』(大一三)所収。「南京」は北の京都に対して奈良をいったもの。「をゆび」は小指、「うれ」は末端。み仏は胸元にかかげた小指の先で、吹く風もさわやかな初夏の風になったことをほのかに覚知なさっているのだろう。意味はそれだけだが、口ずさめば一音一音の魅力にうたれる。八一は言葉の音の中にひそむ力をひき出し、示すため、総平がなの表記法をとった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この『折々のうた』は、掲載する詩歌に関しては原文に準拠しているのか、歴史的仮名遣いです。万葉集などは後世の漢字仮名遣いに変えているんでしょうけれど。で、作者名の読みと解説は新字新かななんですよね。それはいい。でも、新字新仮名でも、「あいづやいち」は「あいづやいち」でしょう? 「あいず」って気持ち悪い。ぞっとしません。大岡先生、これでいいんですか。それともこれが、朝日岩波のリベラリズムなのでしょうか。


 はつなつの かぜ といえば、かわかみ せんせいの ちょっと やらしー あの すてきな はんが おもい だされます。 はつなつの かぜに ぼくは ならない。 ぼくは えいえんの かぜに のって まいあがりたい。


 だから、またいうけど、「春のうた」に初夏バンバンはおかしいでしょう。


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 西蔵(チベット)のはだか菩薩(ぼさつ)の絵を見れば男のなやみあへて隠さず

                    植松寿樹(うえまつひさき)


 第一歌集『庭燎(にわび)』(大一〇)所収。ラマ教の菩薩絵図を見て発した感を歌っている。寿樹は窪田空穂門の歌人で、若くして清澄な歌境を築いた。「目を閉ぢて深きおもひにあるごとく寂寞として独楽(こま)は澄めるかも」はつとに有名である。掲出歌、異土の裸仏(はだかぼとけ)が、日本などの仏の画像とは違い、男の持物をぶらんとさせているのを見たのであろう。「男のなやみ」という含みのある表現に、妙味、面白味がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 違うと思うなあ。交合仏じゃないか。それでなやむのは私か。大岡先生は悩まなかったんだろうなあ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)