蜀犬 日に吠ゆ

2011-05-02

[][][][][]春のうた を読む(その38) 21:41 はてなブックマーク - 春のうた を読む(その38) - 蜀犬 日に吠ゆ

75

 佐保神(さほがみ)の別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに

                    正岡子規(正岡子規)


 『竹の里歌』(明三七)所収。明治三十四年五月初旬の作で子規晩年の絶唱のひとつ。彼は六年前から結核、カリエスのため病床にあって文筆活動に没頭していた。「佐保神」は佐保姫、春の女神。「佐保神の別れ」は春との別れ。「われならなくに」は私ではないことであるものを。病状悪化激しく来年の春の女神には再会できまいというしみじみという思いを歌う。子規は春が好きだった。翌三十五年は春に生きながらえたら、九月十九日死去。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 キノコの山とたけのこの里の論争で、正岡子規が登場した例を見ないのは管見の故でしょうか。



76

 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

             よみ人しらず


 『古今集』巻三夏。「五月」は陰暦五月。「花橘」は橘の花をほめていう。「昔の人」は昔恋人だった人、ここでは女性。橘の花の芳香が、かつての思いびとの袖にたきしめられていた香りを、突然よみがえらせたのである。平安朝の詩人たちは、嗅覚の刺戟が過去をよび戻す事実に関心をそそられていた。それは当時における新しい主題の一つだった。この歌は大層愛されてので、「花橘の香」といえば「昔の人」という連想の型ができたほどだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 科学における認識論に発展させられない程度の文明でした。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)