蜀犬 日に吠ゆ

2011-05-05

[][][][][]夏のうた を読む(その1) 20:02 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

1

 空青し山青し海青し/日はかがやかに/南国の五月晴(さつきばれ)こをゆたかなれ

                     佐藤春夫


 和歌山県新宮市生れのこの詩人の代表作「望郷五月歌(ごがつか)」の一節。詩は次のように始まる。「塵まみれなる街路樹に/哀れなる五月(さつき)来にけり/石だたみ都大路を歩みつつ/恋しきや何(な)ぞわが古郷」。五月の東京にあって、海山の彼方紀州の、水清く、実り豊かな自然と人の営みを望み見て歌った望郷の詩である。昭和六年の作。今よりはよほど清潔だったはずの、半世紀前の東京の街路樹も、南国生れの詩人には塵まみれにみえたらしい。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 普通に考えて、未舗装道の多かった古い時代の方がずっと塵まみれだったでしょう。ナポレオン三世とオスマンが都市計画にのりだす前のパリなんて本当に冗談みたいな町だったそうです。江戸、明治、大正昭和と町は清潔になってきていると思います。大岡先生たるものそのくらいはご存じでしょうから、「清潔」は自動車の排ガスやそれにともなう光化学スモッグや、ビキニ湾での水爆実験などのはなしをなさっているのかもしれませんが。


2

 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

              北原白秋(きたはらはくしゅう)


 『雲母(きらら)集』(大四)巻頭「新生」一連より。同集には、隣家の人妻との恋愛事件で一時投獄の憂き目にあった白秋が、晴れて彼女と結婚。三浦半島の三崎に住んだ時期の歌を収める。海浜生活と新生への意欲から、歌に独特の高揚感が生じた。右の歌、自分が卵をつかむ動作からの発想かとみる見方もあるが、そういう因果関係はどうでもよかろう。作品はまざまざと宙に現れた「大きなる手」の幻影をとらえている。「昼深し」の三字の働き具合が冴えている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そうかなあ。「昼深し」の三字がどう働いているのかわからなくて難解な歌になっているのでは。

 「大きなる手」があらわれたというのは、卵視点ですよね。下から上へ、現れた手をみている。しかし「上から卵をつか」むのは人間の視野になっている。さらにその背後でもいいんですけど。で、その視点の転換がどうして「昼深し」なんでしょうね。大岡先生は「働」いているといいますが、ちょっとよくわからない。

 でも、まあ、効果がわからなくても、ひょいとつかんだ卵って、人間の手に対して小さいよね。リンゴぐらいが、つかみがいがあります。そういう感覚はわかります。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)