蜀犬 日に吠ゆ

2011-05-18

[][]あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その10) 18:53 はてなブックマーク - あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス かんそう(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

 こんなペースでペーソスを醸し出していた日には、話がちっとも進まない。

よつばとそら! かんそう

 ききゅうの後半。体験搭乗に挑戦。そしてまさかの落下。いつもはクールなとらも、これにはびっくりだぜ! (無駄なテンション)

 さらに、竹とんぼ。このときの、よつばの台詞がすごい。

よつばとそら!

たいへん

あっちで


あっちで

うってるって!


どうする!?

あずまきよひこ『よつばと!』9 電撃コミックス

 どうするもなにも結論ひとつだろう。どうしてこの子はまあこまっしゃくれて、「竹とんぼほしい、買って」といえないのか。ジュラルミンのときの「ゆめみたい!」もそうですが、ばあちゃんのところでは質実剛健な生活をたたきこまれたのかもしれない。とするなら、とーちゃん少し甘やかしすぎかも。

 とーちゃんが「シャッ」てやって「ヒュウウ」。この展開のもっていきかたはさすがの貫禄ですよね。よつばとって、「日常をたんたんと描く」わけではなくて結構ドラマティック(そしてそれはよつばの主観が描写されているからだといつもいうわけですが)なんですよね。とらが「ビッ」って、そんで「ギュウウ」って。その視点の置き方とか、擬音の書き方、とーちゃんが飛ばした時には入っていた流線がない空の高さ。クライマックス。で、戻ってきて「よっ」「ぱし」できちんと日常に戻ってくる。

 あさぎさんがわざわざいいにくるあたり、前回とらに「こいつは ヒドイ奴ですよ」と対応してます。「うわ―― 男らしくない」。ってのもヒドイなあ。まあ確かにとーちゃんもアレですが。

 そして話はパラモーターへ。あさぎさんは「パラグライダー」といっていますが、エンジンユニットを背負っているのでパラモータですね。と思い込んでいましたが、団体によって「モーターパラグライダー(モーパラ)」「パラモーター」「パワードパラグライダー」など呼称は異なるようです。

よつばと!  9 (電撃コミックス)

よつばと! 9 (電撃コミックス)


[][][][][]夏のうた を読む(その10) 20:11 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

19

 淀河(よどがは)の底の深きに鮎(あゆ)の子の 鵜(う)といふ鳥に背中(せなか)食はれてきり\/めく 可憐(いとを)しや

                        梁塵秘抄(梁塵秘抄)


 平安歌謡。鵜飼の情景だろう。鮎が身もだえして逃げようとはねる様を「きりきりめく」と形容しているところなど、表現に大いに生彩がある。淀川などの川べりに群れて春をひさいでいた遊女らの愛誦した歌かもしれない。そうだとするなら、鵜につかまっってきりきりめいている鮎の子に、なにがしか彼女ら自身の運命をも感じとっていたか。後世の芭蕉の句、「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」と並べてみるのも一興だろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 命を奪う、残酷な見世物ではありますが、魚くらいに離れていると感情移入もうすくなるのでそれほど問題視されないのでしょうね。しかし、梁塵秘抄のベースにある仏教的世界観は「生きとし生けるものすべて同じ」ですから弱いものへのまなざしが細かい。


20

 ゆふぐれは雲のはたてにものぞ思ふ天(あま)つ空なる人をこふとて

                    よみ人しらず


 『古今集』巻十一恋。「雲のはたてに」は雲のはてに。「天つ空なる人」は天上にいる人、つまり手も届かぬはるかな高みにいる想い人。作者はたぶん男性で、想う相手は、当時の身分制度のもとでは手の届かぬ高嶺の花の女性だったのだろう。しかし一首には、そういう現実の事情をこえて、恋する人に共通のあこがれと悩みが歌われている。この歌は広く愛誦され、空をながめて嘆く片思いの歌の一典型となった。

大岡信『折々のうた』岩波新書
折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)