蜀犬 日に吠ゆ

2011-05-31

[][][][][]夏のうた を読む(その22) 19:34 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その22) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 全長のさだまりて蛇すすむなり

         山口誓子(やまぐちせいし)


 『和服』(昭三〇)所収。誓子は大正末年に俳壇に登場するや、素材の新、表現の果断明確という、新人の名にふさわしい作風でたちまち頭角を現わしたが、中年以降、沈鬱な人生観が加わって、句に剛直な魅力が添うた。右は昭和二十四年、五十代に入るころの作。蛇は身をくねらせて進むが、その動く姿を「全長のさだまりて」と見すえた所が句の眼目である。人生上のある覚悟に通じるものがある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 長く見える時も、短く見える時も、同じ長さが伸びたり縮んだりしているだけだ。等身大の自分は変わらない、という「覚悟」というより「確認」の句に読み取れました。


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 音楽漂(ただよ)う岸侵(おか)しゆく蛇の飢(うえ)

               赤尾兜子(あかおとうし)


 『蛇』(昭三四)所収。大正十四年生れの戦中派。近年作風に転換が生じているが、昭和三十年代いわゆる前衛俳句の先頭に位置した一人。句は初五で切れる。写生句でないから読者も想像を働かす必要がある。蛇の飢えが岸をじわじわ侵してゆくというのは超現実的な空想だが、背景には作者の精神の緊迫した不安、渇きがある。その時同時に音楽が「漂う」。音楽もまた暗い不安の象徴となるのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 蛇の句連続か。しかし初五が「音楽漂う」って、全然五音になっていない。それが、前衛ということでしょうか。

 音楽が不安さを表現するのは、「漂う」つまりどこか(遠く)へ行ってしまうとしているからではないかと思います。そして、作者のもとに近づいてくるのは飢えた蛇。ここでは、結構な数の蛇の群れとしたいです。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)