蜀犬 日に吠ゆ

2011-06-10

[][][][][]夏のうた を読む(その32) 20:12 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その32) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 めん鶏(どり)ら砂あび居(ゐ)たりひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎに行きけり

                           斎藤茂吉(さいとうもきち)



 『赤光』(大二)所収。「七月二十三日」と作歌日付をそのまま題とした五首の一つで大正二年作。日ざかりの庭でめんどりどもがしきりに砂をあびている。かたわらを剃刀とぎ師(とぎ屋とよばれた)がひっそり透っていった。ただそれだかの光景なのに、不気味に張りつめた静けさがある。ゴッホの絵が与えるある種の不安な感じに似ているところがある。「ひつそりと」の一語、千鈞(せんきん)の重みがある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 で、「堂々と」通る時代にしちゃったのだよなあ、戦後。路地を「ひつそり」通るのは、空き巣の下見だからなあ。決して、昔がよかったとはいいませんよ。大正時代の方が犯罪多かったわけですし。でも、ひつそり通る空き巣の下見をぼんやりながめて成り立つ社会ではなくなったわけですよねえ。


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 勝地(しょうち)はもとより定(さだ)まれる主(ぬし)なし おほむね山は山を愛する人に属(しょく)す

                         白居易



 『和漢朗詠集』巻下「山」。勝地は風光すぐれた地、名勝。そのような土地は、もともと特定の人間の所有物ではない。だいたい山は、山を愛する人の持ち物なのだ。朗詠集に抄された白楽天の詩句は群を抜いて多く、平安時代人の趣味に深く影響した。この詩句には現代人もまたううなづくだろう。しかし当節われわれははたして山が、ここに言われているよな意味で、真にわれわれに属していると、自信をもっていえるのだろうか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 世界自然遺産が観光地になっている現状からすると、動物の生態系と同じで景勝も「人類が居ない方が美しい」というのが正しいのではないでしょうか。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)