蜀犬 日に吠ゆ

2011-06-17

[][][][][]夏のうた を読む(その39) 19:22 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その39) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 天(あま)の河(がは)霧(きり)立ち渡り彦星(ひこぼし)の楫(かぢ)の音(と)聞(きこ)ゆ夜の更(ふ)けゆけば

               よみ人しらず


 『万葉集』巻十秋の雑歌「七夕」。天帝の怒りにふれ、年に一度、七月七日の夜しか会えなくされた織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)をめぐる中国の伝説は、日本に伝えられると古代の知識層に大いに好まれ、『万葉集』以下歴代歌集に大量のタナバタの歌を留める。男が女のもとへ通う日本の古い婚姻形態からも親しめる話だったのか。陰暦七月七日は陽暦では八月半ば。初秋だから、七夕の歌には秋の季感が漂う。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 えっ。歌を引き写していて「七夕って秋じゃなかったかなあ……」と思っていたら、解説にもうどうどうと「秋の雑歌」とあります。大岡先生どうなっているのでしょう。

 実際の新聞紙面で七月七日に掲載した、と考えるのが普通です。

あとがき

 『折々のうた』で私が試みたことについては、年の初めにこの新書の予告が新聞広告に出た時、もとめっられて広告用に書いた「これから出る私の新書」という一文を引いておくのが便利だと思う。

 (自家宣伝めくことを思いきって言わせてもらえば、『折々のうた』で私が企てているのは「日本詩歌の常識」づくり。和歌も漢詩も、歌謡も俳諧も、今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、万人に開かれた言葉の宝庫。この常識を、わけても若い人々に語りたい。手軽な本で。新聞連載は続くが、まず一年分をまとめる。)

大岡信『折々のうた』岩波新書

 ですから。そして、グレゴリ歴の七月七日を七夕として祝う人たちの神経を逆なでしないように配慮して、こういう事になってしまったのでしょうね。しかしそれでは、異なる基準に基づくカレンダーと有職故実のズレをきっちり説明しないで現状にすり寄る態度では、「日本詩歌の常識」はつくれないのではないか、と心配です。少なくとも万葉集の頃から積み重ねてきた七夕の季節感は、「夏のうた」の章に配置されることで踏みにじられてしまったのですから。



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 秋来(き)ぬと眼にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる

                   藤原敏行(ふじわらのとしゆき)


 『古今集』秋歌巻頭の立秋の歌。「おどろく」はにわかに気づく。まだ目にはありありと見えないが、ああもう風の音が秋をつげている。目に見えるものより先に、「風」という「気配」によって秋の到来を知るという発見が、この有名な歌のかなめである。つまり「時」の移り行きを目ではなく耳で聴き取る行き方で、より内面的な感じ方である。これが後世の美学にも影響を与えたのだった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 もうすっかり秋だよ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)