蜀犬 日に吠ゆ

2011-06-22

[][]よつばと! という宝箱~~あずまきよひこ『よつばと!』10 電撃コミックス かんそう(その1) 19:49 はてなブックマーク - よつばと! という宝箱~~あずまきよひこ『よつばと!』10 電撃コミックス かんそう(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

よつばと! 10 (電撃コミックス)

よつばと! 10 (電撃コミックス)

ハカマかんそう

 毎日という宝箱を

  今日もあける。

あずまきよひこ『よつばと!』10 電撃コミックス

 『毎日新聞』の宣伝かというイキオイですが、いいたいことはわかります。そして、それが『よつばと!』のテーマとして結構重要だと思います。Enjoy Everything!

 「大人買い」とか「積ん読」なんてあり得なかった時代は、確かにありました。で、それを郷愁としてしか捉えられないのが悲しいんですよね。そういう悲しさがただようコピーですよね。私の毎日は、宝箱でも何でもないのだから。

 後ろは「カレンダー」と「ひめくり」の宣伝。折り返し(表)は『電撃大王』の宣伝。折り返し(裏)は角川グループコミック祭の宣伝。Gガンダムも買い始めたことだし角川グループコミックに異存があるわけではないのですが、サイトにアクセスする気力は湧いてこないよなあ。


ラパーかんそう

表1

 こういう暗い絵を描くからイン殺さんが「よつばは最後死んじゃって、作品はとーちゃんの回想」って解釈を出しちゃうんだよ!

 あずま先生はアシスタントに遠近感を求めてるけど、漫画的なデフォルメは、よつばとの中で結構しているので、私の中ではフィクション側へチャンネルを調整してるんですよね。一つ一つのパーツが緻密で、それをコマの中に漫画的に配置するスタイルだと思っています。

 こんな緑色の影があるはずないし、植え込みの低木は緑を反射するから緑に見えるとすると、影に緑が残っているのはおかしい。日向の落ち葉と日陰の落ち葉の明暗コントラストが弱すぎる。

 遠近法にしても……まあいいや。私はよつばにリアルを求めていません!

例:スイッチが高い

 それで、ストーリィ的に、この表紙から何を感じるか。じょうろとジュラルミン、どっちもおもちゃとしてよつばのおきにいりですが、同時には遊べないだろう。後ろの公園的な、柵で囲まれた場所で一通り遊んでの帰り道だと思う。しかしよつばのローテンション具合が不可思議。日が暮れて家に帰ればとーちゃんがいるのだから、超ハイテンションで帰途につくだろう、普通。ところが、ばったりと足を止め、茫然とした表情で見つめなければならないものは、なにか?

 よつばは一体なにを見つめているのか。微妙にジュラルミンの視線もあわさっているところがポイントだ。

背表紙

 垂直跳びをするよつば。「何だ?!」と読み返した結果、「ヘリング」と判明しました。いやあ、目をつぶるよねえ。あれ。自動車運転の時はつむりたくないものです。


表2

 そっけないよなあ。いつも。YOTSUBA とYTUBA は変わらず。

 このへんの作者近況報告はインターネットに持って行かれた感じがする。


表3 とーちゃん、よつば、やんだが「おー」してる。

 大人はローテンション。エプロンは本編にでなかったなあ。ああいう粉を溶く系にこどもを混ぜる時にはエプロンは大事だと思うけど、とーちゃんはわかっててやってる感を出すためにこういう演出にしてるのかもしれない。

 料理って、平常つかっている道具を生かして子どもに工作を教えてあげられる、非常に教育的効果の高い行動ですよね。作ったものの判断もしやすいものが多いし。


表4 DENGEKI COMICS

 がんばってほしい。


[][][][][]夏のうた を読む(その44) 19:38 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その44) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 空(くう)をはさむ蟹死にをるや雲の峰(みね)

            河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)


 『続春夏秋冬』(明三九)所収。虚子と共に子規門の双璧。子規没後、新傾向俳句の王者として君臨したが、運動はやがて四分五裂、碧梧桐自身の句も、多様な試みを重ねつつ孤立していった。ほめて言えば純粋、けなして言えば独善というような行き方をした、悲劇的な、ただし強い魅力をもった先駆者だった。右は新傾向初期の代表作。雄大な雲の峰の下にちっぽけなカニがはさみをかかげて死んでいる。ただ空をつかんで。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「かわひがしへきごとう」じゃないかと思ってwikipedia を確認したところ「へきごとう」でした。私のAtok だとどちらを打ち込んでも一発変換するので、どちらもありなのでしょう。

 大岡先生の鑑賞「雄大な雲の峰の下にちっぽけなカニがはさみをかかげて死んでいる。ただ空をつかんで。」……本文に目を凝らしても返り点は見受けられませんでした。しかしまあ、普通説明するならこういう風になるんでしょうね。ただ、この作品の素晴らしさは普通と逆の構造で展開していく部分にあると思います。とくに最後の下五「雲の峰」へと視点を持ち上げていく部分の「切れ」が、「これぞ俳句」という醍醐味を味わわせてくれる逸品です。こういう作品、好きなんですよね。


 上五「空をはさむ」は、六音ですがまあそこは新傾向(無季自由律の前段階)だから、それでいいとして、意味はまだ不明ですよね。中七の頭二音である「蟹」がでて初めて意味が分かります。つまり、音はともかく、「空をはさむ蟹」で意味としては「中切れ」の構成になっているわけです。「およ、蟹がいるぞ、鋏をかかげて」と。そこから視点はズームアップしていきます。「よく見たらこの蟹死んでるなあ」→「だから鋏が何もつかんでいないのにつかんでるみたいに動いてないのか」。と、新しい情報を得ることで上五の意味不明が解決される。

 そして、蟹のつかんでいる空とはなにか、見あげれば入道雲! 感動ですよ! 「あの月をとってくれろ」とか他人任せではなくて、自分の鋏で空を目指した蟹(オトコ)ですよ。ピンクスパイダーのようないいわけもなく、あっさり死んだ蟹だけど、夏の空の下で、とにかくなにかをしようとしていたんですね。それが、こういうドラマティックな構成によって作品となった時に、私(だけかな)たちの感動をよぶんです。

 もう一度言いますけど、こういう作品、好きなんですよ。



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 てんと虫一兵われの死なざりし

          安住 敦(あずみあつし)


 『古暦』(昭二九)所収。日野草城の新興俳句運動を経て久保田万太郎の門に入った。庶民生活の哀歓を微細にとらえ、情をこめてうたう作風。右は終戦時の作で代表作の一つとされる。作者は米軍上陸にそなえ対戦車攻撃自爆隊の一員として房総で猛訓練を受けていた。助かるはずのない命が助かった、その言うに言われぬ思いを短い一句にこめる。天道虫は作者の持つ銃の銃身に、ふと舞ってきてとまったのだと作者は後に書いている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 こういう風に、国家によって「死ね」と平然と言われた世代と、そうでない世代では見えている風景が違っていて当然だと思います。貧弱な想像力で必死に考えても。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)