蜀犬 日に吠ゆ

2011-06-22

[][][][][]夏のうた を読む(その44) 19:38 はてなブックマーク - 夏のうた を読む(その44) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 空(くう)をはさむ蟹死にをるや雲の峰(みね)

            河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)


 『続春夏秋冬』(明三九)所収。虚子と共に子規門の双璧。子規没後、新傾向俳句の王者として君臨したが、運動はやがて四分五裂、碧梧桐自身の句も、多様な試みを重ねつつ孤立していった。ほめて言えば純粋、けなして言えば独善というような行き方をした、悲劇的な、ただし強い魅力をもった先駆者だった。右は新傾向初期の代表作。雄大な雲の峰の下にちっぽけなカニがはさみをかかげて死んでいる。ただ空をつかんで。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「かわひがしへきごとう」じゃないかと思ってwikipedia を確認したところ「へきごとう」でした。私のAtok だとどちらを打ち込んでも一発変換するので、どちらもありなのでしょう。

 大岡先生の鑑賞「雄大な雲の峰の下にちっぽけなカニがはさみをかかげて死んでいる。ただ空をつかんで。」……本文に目を凝らしても返り点は見受けられませんでした。しかしまあ、普通説明するならこういう風になるんでしょうね。ただ、この作品の素晴らしさは普通と逆の構造で展開していく部分にあると思います。とくに最後の下五「雲の峰」へと視点を持ち上げていく部分の「切れ」が、「これぞ俳句」という醍醐味を味わわせてくれる逸品です。こういう作品、好きなんですよね。


 上五「空をはさむ」は、六音ですがまあそこは新傾向(無季自由律の前段階)だから、それでいいとして、意味はまだ不明ですよね。中七の頭二音である「蟹」がでて初めて意味が分かります。つまり、音はともかく、「空をはさむ蟹」で意味としては「中切れ」の構成になっているわけです。「およ、蟹がいるぞ、鋏をかかげて」と。そこから視点はズームアップしていきます。「よく見たらこの蟹死んでるなあ」→「だから鋏が何もつかんでいないのにつかんでるみたいに動いてないのか」。と、新しい情報を得ることで上五の意味不明が解決される。

 そして、蟹のつかんでいる空とはなにか、見あげれば入道雲! 感動ですよ! 「あの月をとってくれろ」とか他人任せではなくて、自分の鋏で空を目指した蟹(オトコ)ですよ。ピンクスパイダーのようないいわけもなく、あっさり死んだ蟹だけど、夏の空の下で、とにかくなにかをしようとしていたんですね。それが、こういうドラマティックな構成によって作品となった時に、私(だけかな)たちの感動をよぶんです。

 もう一度言いますけど、こういう作品、好きなんですよ。



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 てんと虫一兵われの死なざりし

          安住 敦(あずみあつし)


 『古暦』(昭二九)所収。日野草城の新興俳句運動を経て久保田万太郎の門に入った。庶民生活の哀歓を微細にとらえ、情をこめてうたう作風。右は終戦時の作で代表作の一つとされる。作者は米軍上陸にそなえ対戦車攻撃自爆隊の一員として房総で猛訓練を受けていた。助かるはずのない命が助かった、その言うに言われぬ思いを短い一句にこめる。天道虫は作者の持つ銃の銃身に、ふと舞ってきてとまったのだと作者は後に書いている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 こういう風に、国家によって「死ね」と平然と言われた世代と、そうでない世代では見えている風景が違っていて当然だと思います。貧弱な想像力で必死に考えても。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)