蜀犬 日に吠ゆ

2011-08-08立秋

 残暑お見舞い申し上げます。


 「ふるさとは暑苦しい墓だけは残つてゐる」山頭火


[][][][][]秋のうた を読む(その1) 18:55 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

 秋に、なったのです。

1

 木(こ)のまよりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり

                          よみ人しらず


 『古今集』秋上。「心づくし」は心を尽くさせること。秋になると野山の趣が変わってあちらにもこちらにも美しく色づきはじめた自然界のすがたがある。しかもそれらはたちまち過ぎ去ってゆくつかのまの黄金の輝きである。それを思うたびに気がもめる。それが「心づくしの秋」。こちらの主観的な気分に重点をおいて、実は秋の情感を客観的に深くとらえた含蓄ある表現が受け、『源氏物語』その他にひろく愛用された。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 民俗学的な論調からすると、この秋の入(はい)り口から大嘗祭(勤労感謝の日)までが、来年も生き残れるかの重大な時期なんです。しかも飛鳥時代ごろなんて人間にできる工夫もたかがしれていましたから、秋になったら神経質にならざるを得ません。紅葉だ黄葉だなどと浮かれているヒマはないので、この「心づくし」は、心労のことではないでしょうか。


2

 秋の月光(ひかり)さやけみもみぢ葉(ば)のおつる影さへ見えわたるかな

                          紀貫之(きの つらゆき)


 『後撰集』秋。「さやけみ」はさやかなので。貫之は『古今集』の代表歌人で『土佐日記』の作者。宮廷詩人の本領たる「晴(はれ)」の歌に抜群の力量を示した。物を印象的にとらえる訓練を積んでいたことは右の歌でもよくわかる。秋のさやけさは当時の歌人の好題材だったので、『古今集』には「白雲にはねうちかはしとぶかりのかずさへ見ゆる秋の夜の月」のような「よみ人しらず」の秀歌もある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 前の歌もそうですが、秋になると湿度もさがって夜の空のもやもやした感じも失せてくるのでしょう。しかし、秋になった途端にそんなことは起こらないと思うんですけどねえ。むわむわする。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)



[][][][]馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社 を読む(その14の3) 19:37 はてなブックマーク - 馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社 を読む(その14の3) - 蜀犬 日に吠ゆ

 「蛋(たん)に遇って明らかなり」

 全四十回をよゆーと思っていましたが、読むほうは進んでも投稿が遅れすぎですね。

第十一回 道法を得て蛋僧 師を訪ね/天書に遇い聖姑 弟を認む

  • 落胆する蛋子和尚
    • 再び白髪の老人に会い、天書は月の光に反射させて写しとるのだと聞く。
      • その者の天命にしたがって天書は紙に写る。
    • 前回石頭陀をやっつけたのは、こうして善根を得るためでしたか。
    • さらに蛋子和尚は「天書を知らんとせば聖姑を尋ねよ」と天啓を得て、聖姑姑を尋ねる旅に出ます。
    • 途中、蛋子和尚は水上歩行の法術を試みて失敗。道術自体への疑問をもちます。
      • まあ、ちらっと見ただけの『抱朴子』をしたり顔で語った結果なのですけれどもね。たぶんこのあと『如意冊』が国士無双をやらかすので、「よい子は真似するなよ」というメッセージだと思います。
  • 一方聖姑姑
    • 楊巡検の奥方、楊奶奶が病気になる。
    • 治癒の術など知らないからやけくそで小便を薬だと言い張る。
      • ところが女狐の小便は薬でした。
        • ご都合主義はいいとして、下品じゃないか?

第十一回

もともと薬性本草に狐尿という一条がありまして、寒熱瘟瘧(おんぎゃく)を主治すとございますが、偶然、符合いたしましたわけです。楊奶奶は夜半になりますと、にわかに気分がよくなり、湯水をほしがりました。楊巡検は天にも昇らんばかり喜んで、聖姑姑を称讃してやみません。

馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社
  • 感謝する楊巡検に、聖姑姑は仏会(ぶつえ)を呼びかける
    • 大勢詰めかけるなかに蛋子和尚もいたが、「蛋」の字に因縁を感じた聖姑姑は、蛋子和尚と面会することを決める。

第六回

  楊に逢って止まり

  蛋(たん)に遇って明らかなり

  人来(きた)って你(なんじ)を尋ぬ

  你 人を尋ねず

馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社
中国古典文学大系 (36)

中国古典文学大系 (36)