蜀犬 日に吠ゆ

2011-08-17

 松風ふいて墓ばかり(山頭火)


[][]行列大好き民族~~柴田元幸『生半可な學者』白水Uブックス(その2) 15:48 はてなブックマーク - 行列大好き民族~~柴田元幸『生半可な學者』白水Uブックス(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 前回のつづき

私はいかにしてイランとアフガニスタンの国境で一生を終えずにすんだか

 並ぶという行為に対しイギリス人がいかに情熱をもっているかについて、こんな文章がある。

 列を作って並ぶことは、他の面では決して情熱的とはいえないこの民族の国民的情熱である。彼等はそれについていささか恥ずかしく思っており、自分たちが並ぶことを愛してやまないという事実を口では否定している。(……)

 週末になると、イギリス人はバス停留所に並んでリッチモンドに出かけ、ボートに乗るために並び、それからお茶を飲むために並び、それからアイスクリームを買うために並び、それから単に並びたいがためにさらにいくつかの列に並びそれからバス停で至上の時を過ごすのである。

 イギリスでは多くの家庭で、晩の数時間、単に列を作って並ぶことによって、一家団欒の時を過ごす。そして、ベッドに入るための列に並ぶべく子供たちが行ってしまうと、親たちはひどく悲しい気持ちになるのである。

 ジョージ・ミケシュ(英語読みでマイクス)というハンガリー人ジャーナリストが書いた『外人処世訓』という、イギリス人気質を皮肉ったほんの一節である。これはだいぶ前(一九四六)に書かれた本だが、いま読んでもとても面白く、当のイギリスを中心に現在も広く読まれている。(略)ただし、皮肉やジョークが多いのであまり大まじめにお読みにならぬよう。

柴田元幸『生半可な學者』白水Uブックス

 「単に並びたいがため」とか、「並ぶことによって」団欒の時を過ごすあたりは誇張でしょうかね。何か元になる事実があるのでしょうか。ソファーに並んでテレビを見るとか。


私はいかにしてイランとアフガニスタンの国境で一生を終えずにすんだか

 どこの国がきちんと並ぶのか、確かなことはわからないが、人から聞いた話などを総合すると北欧を含むヨーロッパの北半分では非常に紳士的(淑女的?)に列を作る。南へ行くにつれてだんだんと列はぐじゃぐじゃになり、イタリアあたりで混沌の様相を帯びはじめ、中近東・アジアにいたると列という概念そのものが時に消滅する。

柴田元幸『生半可な學者』白水Uブックス

 こういう偏見の中で、イタリアっていつも特別扱いですよねえ。おなじラテンのポルトガルやスペインに比べると。そんなにイタリアってインパクトがあるのか、ヨーロッパの境界線の向こう側に踏み込んでいると思われているんですね。ボーダー・プリンス。

 さらなる偏見(?)は中近東・アジアというくくり。範囲広すぎるだろう。

 話は著者の実体験へ。これがタイトルの元でもあります。

私はいかにしてイランとアフガニスタンの国境で一生を終えずにすんだか

イランからインドまで旅行したとき、イランとアフガニスタンの国境でバスの切符を買おうとしたことがある。切符売場へ行ってみると、これがものすごい混沌、日本シリーズ優勝決定の瞬間なみの大騒ぎである。列なんてものははなから存在せず、四方八方から次々と人が体当たり的に飛び込んでいく。

柴田元幸『生半可な學者』白水Uブックス

 これもだいぶ誇張ではないかとも思うし、まあそういうものだとも思います。

 列を作って並ぶのは本朝だけの専売ではないよ、という話でした。

生半可な学者―エッセイの小径 (白水Uブックス)

生半可な学者―エッセイの小径 (白水Uブックス)




[][][][][]秋のうた を読む(その10) 16:24 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

19

 残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ

             永井荷風


 小説『墨東綺譚(ぼくとうきたん)』の主人公「私」が明治四三年ごろ、「亡友啞々(ああ)君が深川長慶寺裏の長屋に親の許さぬ恋人と隠れ住んでゐたのを、其折々に尋ねて行つた時よんだもの」として、同作品中に引かれている句の一つ。荷風自身の旧作と考えられている。秋の蚊は弱々しく壁にはりつき、わびしい長屋の壁には雨のしみがにじんで、古色蒼然となっている。荷風が好んで描いた市井隠逸(いんいつ)の情緒。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 蚊の数を数えたり、壁のしみをにらんだりするのは、荷風散人のときは暇だったからでしょう。友達の家をおとのうておいてこの主人公は何をしているか。おそらく、やりきれぬ思いに言葉が出ず、何気ないふりをしながらすることもないので蚊の動きを眼で追いかけていたら、雨のにじんだ長屋の壁がみえたのでしょう。そしてまたことばがでなくなってしまう、と。



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 秋の航一大紺円盤の中

          中村草田男


 『長子』(昭一一)所収。この句を知った後、秋色深い海上を旅してこれを思い出さずにすますことは難しい。草田男の句の青春性を人は言うが、それは心の若々しさから来ると同時に、表現された詞句の若々しさからも来ているだろう。自分の乗る舟を、海が全円のひろがりをもって包んでいる。それをいうのに、作者は朗々たる音読みの後をつらね、ン音のくりかえしに若い命の律動を刻んだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 草田男は、「万緑」もそうですが漢語で大げさな情景を堂々と言い切ってしまうところがあります。この句で、船の中というよりも鳥瞰のような景色を想像しました。

 ところで「海なし県」出身なもので、「一大紺円盤」のどこら辺に秋を感じればいいのか分からないですね。空の雲かしら。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)