蜀犬 日に吠ゆ

2011-08-22

 まれにしか飲まんね、週に7回くらいだ(ウォッカ迷言集)


[][][][][]秋のうた を読む(その15) 20:02 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 沙魚(はぜ)釣るや水村(すゐそん)山廓(さんくわく)酒旗(しゆき)の風

                           服部嵐雪(はっとりらんせつ)


 芭蕉に師事した江戸の俳人。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」「蒲団着て寝たる姿や東山」などで知られる。右は中国晩唐の詩人杜牧(とぼく)の「江南の春」から詞句を得た作。「千里鶯(うぐいす)啼いて緑紅(みどりくれない)に映(えい)ず、水村山廓酒旗の風、南朝四百八十寺、多少の楼台煙雨のうち」より第二句をそっくり頂き、原詩の春を秋に転じた。山に囲まれた入江の村のハゼ釣り。居酒屋の旗が風にはためく好天。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 江戸時代のお酒を考えると、新酒が醸されるのは年明けてからですよね。刈り入れ前の秋のころが最も端境期で微妙なお酒を飲まされそうですが、そんなの関係ないよね! ようは飲めりゃあいいんだ!

 山道を越えて、入江の村で視界が開けたのでしょう。小舟が水上に出ているのはハゼでも釣っているのかな? よさげな旅籠があるじゃあないですか。何かのぼりが立ってますよ? あれは、「酒ありマス」の旗でしょうかね? でしょうね? そうに決まっている! という思い。


 などとしたり顔で書いていましたが、中国では新酒は中秋でした。ちゃんと幟を立てます。

幽蘭居士東京夢華録 巻八

中秋

 中秋節の前に、もろもろの酒店はみな新酒*1を売る。店の表に綵楼(アーチ)を新しく組み立て、色を塗った竿の先に花飾りを付け*2、酔仙*3の絵を描いた錦の酒ばやしを立てる。町の人は争って飲みにゆく。昼過ぎごろになって、どの店も酒がなくなると、看板を下ろす。

孟元老著 入矢義高・梅原郁訳注『東京夢華録』東洋文庫598 平凡社

 じゃあ、杜牧が春にみた酒旗は何だったのか?

 なんでもいいよね! ようは飲めりゃいいんだ!


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 光風(こうふう) 霽月(せいげつ) 今猶在(いまなおあ)り

 唯(ただ)欠く 胸中(きょうちゅう)洒落(しゃらく)の人  山崎闇斎(やまざきあんさい)


 江戸時代前期の儒者。七言絶句「有感」の転結二句。宋の詩人黄山谷のある詩をふまえつつ、雨後の晴れ渡った景観に対する情感を詠んだ。「光風霽月」は晴天のうららかな風と雨あがりの澄みきった月。転じて曇りない心。「洒落」は現今シャレの意に使われることが多いが、本来は心や態度がさっぱりしてわだかまりのないこと。雨後の世界のすがすがしさにも比すべき人物のいない事への嘆きをうたっている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「洒落は現今シャレ」って何の説明にもなっていないような気がします。「掛詞(かけことば)」の意味で使われているんでしょう。21世紀になっても事情はあんまりかわりません。

 それと、権力関係の中で「シャレのわからんやつやな」って、イジメの口実にも使われていますね。知音を得るというのは、なかなかに難しいものです。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

*1:宋代の酒については、篠田統『中国食物史』一五〇ページ以下、および一七七ページ参照。南宋では煮酒の口切りは四月初め、清酒のそれは九月初めに行われた。

*2:青木正児「望子考」には、この句を引いて「新酒の瓶を積み重ね、糸を網の目に結んだもので瓶を飾ること」(『支那文芸学術考』〔『全集』第二巻所収〕)と注釈してある。

*3:元代の戯曲「酷寒亭」にも、市中の売店が、「酔仙を高く掛け」ていることを述べている。やはりそれを画いた(あるいは、刺繍した――青木上掲書)幟(のぼり)を酒ばやしとして高く竿の先に掛けたのである。また、同じく元代の「生金閣」劇には、田舎の居酒屋を叙して「酔八仙を壁上に画く」といっており、『水滸伝』四回にも「牛屎の泥牆(どろかべ)に酒仙を画」いた村酒屋のことが出ているから、田舎ではこれを塀に画いて看板としていたらしい。ただし、ここの「酔仙」がいかなる人物であるかは未詳。前例の「酔八仙」は元代のそれだからここのとは関係ないが、もしここの酔仙を八人とすれば、『太平広記』巻二一四に引く「野人閒話」に挙げる李己・容成・董仲舒・張道陵・厳君平・李八百・范長寿・葛永王貴の八人であろうか(『茅亭客話』と『図画見聞誌』も同じ)。詳しくは『通俗編』巻二〇の「八仙」の条参照。ここの「酔仙」を一人と見て、「酔中の仙」を自称した李白に当てるわけにもいかない。