蜀犬 日に吠ゆ

2011-08-24

[][][][][]秋のうた を読む(その17) 19:32 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 しののめのほがらほがらとあけゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき

                        よみ人しらず


 『古今集』巻十三恋。作者は女性だろう。昔の結婚は男が女の所に通うのがふつうだった。二人は脱いだ着物を重ね合って夜着にしたが、一夜明ければまためいめいの衣を着、衣々(きぬぎぬ)にたって別れた。キヌギヌを「後朝」とも書くのは、意味をとった当て字。右の歌、朝空は気持よく朗らかに明けていくのに、私は後朝で悲しいという。だが調べは民謡調に明るい。当時広く愛誦されていた歌だろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「昔の結婚は男が女の所に通うのがふつうだった。」イラッと来ますね。「昔」っていつだ? 「結婚」て何? 「女の所」? 「ふつう」? 限られた文字数とはいえ、こんな説明ありなのでしょうか。『古今集』の時代といっても、万葉期(奈良)から貫之期(平安中期)まであるんだし。

 でも、山川の『日本史小辞典』で「妻問い」を見たら「古代~平安で支配的に見られた」とかあってさらに脱力。

 「昔」といっても奈良後期~平安でしょう。「この時代」とかいうべきではなかったですかね。「結婚」は、確かにうまい言い換え語はないか。「妻問婚」とかいうほかないし。これは私のいちゃもんでした。失礼しました。「女の所」は、結婚という言葉をを使ったのなら「夫が妻の家」にしていいと思います。夫じゃない男が妻じゃない女の所へいくのももちろんありですが、それをふまえるなら結婚の言葉は使う必要を感じない。「ふつう」。ふつう、とされるのは山上憶良「貧窮問答歌」に出てくるような家庭のことですよねえ。貴族の生活を「ふつう」とされると貧乏人はカチンときます。そういや山上先生も全然妻問婚ではなかった。

 しかし、大岡先生の解説とは別に、歌はいい。「しののめのほがらほがらとあけゆけば」。ほがらほがらの擬音が秀逸。朝の光にさっぱりした気分を味わいながら、それを否定したくなる別れのつらさ。(体言止めだ。)


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 鳥(とり)と鐘(かね)とは 思ひのたねよ とは思へども 人により候(そろ)

                          隆達小歌


 近世歌謡。「鳥」は夜明けの鳥、「鐘」は夜半の鐘。「思ひのたね」は物思いのたね。二人でいても夜明けの鳥が鳴いたり、時をつげる鐘がなったりすると、男は帰りじたくにかかる。それが女には思いのたねだ。でも、とこの歌はいう、それも相手によりけりよ。さっさと消えてもらいたい男もいる、と。これは遊女の歌かもしれないと学者はいう。歌謡の立役者には古来遊女が多かったのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「とは思へども、人により候」。は、「こんな事考えるのは私だけかなあ、人それぞれ価値観あるからなあ」だと思ったのですが、それは戦後民主主義の感覚かもしれません。そういう風に読むと面白いと思うのですけれども。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)