蜀犬 日に吠ゆ

2011-08-31

[][][][][]秋のうた を読む(その24) 19:52 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その24) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 頂上や殊(こと)に野菊の吹かれ居(を)り

               原 石鼎


 『花影』(昭一二)巻頭句。初期の「ホトトギス」で石鼎を一躍有名にした二十七歳時の作。明治四十五年から一年余、村医となった次兄の助手役として吉野山の山中深く暮らした当時の句である。丘の頂上の光景をありのままに詠んでいるが、「頂上や」の単刀直入に続く「殊に」が、無造作で的確で生きているため、句は澄んだ秋空のもと、それ自身風に溶けて自在に吹かれている感がある。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 吉野山の印象が、杉だらけなので野菊がイメージできない。標高455mということは筑波山(877m)よの半分? 奈良ってそんなに低いのか。こっちの感覚だと今市*1がだいたい400m、という意識。まあ尾根や山頂というのはガレ場になったり、風の関係もあって独特の植生になるので野菊ぐらいしかないのでしょうねえ。


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 潮平(うしほたひら)に月落ちて 何(いづ)れの処にか帰らむ

 満眼(まんがん)の魚蝦(ぎょか) 満池(まんち)の蒿(よもぎ)   菅原道真


 『菅家文草』巻五。屏風絵に添えた七言絶句「漁父詞」転結。起承で舟に坐し、濁酒に陶酔しながら、心を白雲の高みに遊ばせているというのを受けて、月が西に傾いてかかる時、静かな波に漂う舟の中には魚やエビの山、岸には見渡す限りヨモギの野とうたう。この悠々と天地の間に遊ぶ漁師はまた隠者でもあるのだろう。屏風絵に漢詩、和歌をあしらう装飾芸術は、日本の九世紀後半、十世紀に盛行した。現代ならさしずめ詩画展を家の中で開くたぐいか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 昭和五〇年代ならそうでしょうね。和讃と称してコメントをつけるのは、2011年現在ではニコニコ動画だと思います。アカウント持ってないからしらないけど、テレビ番組の実況tweet なども、おなじ感覚の延長戦なのでしょうかね。

 この天神さまの詩について言えば、よく分からないし、詩想は凡庸でしょう。読み下しに工夫を凝らす余地があるのでしょうか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

*1:JR日光線今市駅は標高395m