蜀犬 日に吠ゆ

2011-09-02

[][][][][]秋のうた を読む(その26) 20:27 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その26) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 虫ごゑの千万(せんまん)の燈(ともし)みちのくに

                  川崎展宏(かわさきてんこう)


 『義仲』(昭五三)所収。加藤楸邨の薫陶を受けた現代俳人。虚子論などの俳論でも知られる。俳句の「虫」は秋鳴くコオロギ科やキリギリス科の総称で、秋の季語。陸奥の広野にすだく虫声は、秋の寂寥(せきりょう)感を深める。だがそのおびただしい虫の「声」を「千万の燈」ととらえた時、句に命がともった。外に対してと同時に、自己内面をたえず注視する眼がないと、こういう瞬時の直観の表現はなしえない。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 私は、自分の内面と向き合うのが嫌いですからねえ。

 あと、「すだく」は初めて知りました。「すだく1.むらがる。多く集まる。2.虫などが集まってしきりに鳴く「軒の下艸に集く虫の音「浮雲」」」(『新潮現代国語辞典』第二版)。「集く」と表記するのか。使いどころありますかね。


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 白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡(ぬ)れたり

                       高野公彦(たかのきみひこ)


 『汽水の光』(昭五一)所収。昭和十六年生まれの新鋭歌人。小説界で内向の世代という呼び名がはやったことがあるが、この作者の歌は短歌形式の中で堅固な内向性の世界をつくっている。心理や意識の暗がりの領域、それを一種内蔵感覚的な手ざわりの表現方法でとらえる。夜霧に濡れる自転車は、「ほそきつばさ」を得て、昼とは別の、「夜の」自転車に変容する。ひっそり濡れて「心の」自転車になる。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 放置自転車じゃないかなあ。「草の園」ってのは近所の公園あたり。そんなに詩的ではない、残念な光景。「ほそきつばさ」はおそらくハンドルでしょう。「心の自転車」なんてたいそうなものではない。

 しかし、この歌がすぐれているのは、「草の園」「ほそきつばさ」などのファンタジックな言葉を選び取ることによって残念な光景に詩情を添えることに成功していること。大岡先生のいう「心理や意識の暗がりの領域」と「現実世界の暗黒面」を照応させた上でそんななかでも幻想によってごまかそうといういじましい努力が見てとれることでしょう。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)