蜀犬 日に吠ゆ

2011-09-05誕生日(生きていれば65歳)

[][][][][]秋のうた を読む(その29) 20:16 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その29) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 さ夜(よ)更(ふ)けて鬼人衆(きにんし)こそ歩(あり)くなれ 南無(なも)や帰依仏(きえぶつ)南無(なも)や帰依法(きえほう)

                       梁塵秘抄


 平安後期歌謡。深夜になると異形(いぎょう)の鬼どもがむれ歩くと信じられていた時代の歌謡で、独特の雰囲気がある。恐ろしい百鬼夜行のありさまは、当時の絵巻や『今昔物語集』その他の説話集にも描かれている。鬼を避けるため人々は仏・法・僧の三宝にすがり帰依する祈りを込めて、「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と、いわゆる「三帰の法文」を唱えたものらしい。鬼は死者たちのあの世での姿でもあった。「鬼人衆」という言い方が印象的だ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 偏と旁が自由な漢字においては、「鬼」と「魂」は一緒なので、死んだ人を放っておくともわもわむわむわするのが「鬼」ですよね。白く残る白骨が「魄」。もろこしでは「鬼」は幽霊のこと。おそらく上古の日本においても同じように使われていたのでしょうけれども。

 とするなら、「異形の鬼ども」ってなに? 大岡先生、江戸期の写本、「百鬼夜行絵巻」と混同してるの? 素人?

百鬼夜行絵巻

 「百鬼夜行」とは、文字通りたくさんの鬼たちが深夜に街中を徘徊することをいう。『今昔物語集』などにこの百鬼夜行に遭遇して九死に一生を得る類の説話がいろいろ語られているが、本絵巻は古びた道具が妖怪化したさまを描くわけで、本来の「百鬼夜行」とは異なる。この点がしばしば誤解され混同されている。「百鬼夜行」と『百鬼夜行絵巻』とはまったく別のもので、しいていえば、絵巻の方は「百鬼夜行」のパロディとみなすべきだろう。

百鬼夜行絵巻/立教大学

 私としては、日本の「鬼」のイメージは平安期までは中国と同じように捕らえられていて、『今昔物語』巻一四であっても、人間の行列かと思ったけどやり過ごそうとしたら「人間くさいぞ」って殺されかける話であって、異形云々はあったかなあ。私の頼りない記憶にはないので、後で確かめてみよう*1


 単純に、夜は死者の時間、っていう話じゃないのかしら。お釈迦様がいうように、

第五 彼岸に至る道の章

七、学生ウパシーヴァの質問

一〇七六 師は答えた、

 「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 であるにもかかわらず、私たちの心は夜更けに死者たち(「鬼人衆」)をよび起こしてしまうということでしょう。鬼人衆があって私たちがそれを知るのではなくて、意識が鬼人衆を生みだしてしまう。それが妄念だと分かっているから「南無三」をとなえる。『今昔』もそれで助かるんですよね。今様を歌う庶民・賤民は、現代人よりずっと生命や仏教の救済について真剣だったと分かります。



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 或(あ)る闇(やみ)は蟲(むし)の形をして哭(な)けり

                  河原枇杷男(かわはらびわお)


 『蜜』(昭四五)所収。昭和五年生れの現代俳人。闇が「虫の形」をして「哭く」なんてことがあるのだろうか。その現場を肉眼で、また耳で、とらえることはできまい。しかし私たちには「予感」とか「予兆」の世界がある。そこでは、闇が「虫の形」で「哭く」こともある。いわゆる現実世界の事象より一層現実的に、それは私たちに肉薄する。なぜならそれは「心」そのものの出来事だからだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 さっきの仏教話が続くのでしょうか。闇が虫の形をしているのではなくて、私の心が闇に虫の形を持たせるんですよね。であるから、仏教は心に惑わされることなく闇そのものを見つめよというんですよね。

第四 八つの詩句の章

一六、サーリプッタ

九六四 しっかりと気をつけ分別を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわ襲いかかる虻と蚊と爬虫類と四足獣と人間(盗賊など)に触れることである。

九六五 異った他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。――たといかられが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。――また善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 暗闇が恐ろしいからといって心を動かし、あり得ない恐怖や妄想を思い起こしてはいけないのです。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

*1:たぶん確かめない