2011-09-09
■ [筆記][国文][評論][折々のうた][秋歌]秋のうた を読む(その33) 
65
吊柿(つるしがき)鳥に顎(あご)なき夕べかな
飯島晴子(いいじまはるこ)
『蕨手(わらびて)』(昭四七)所収。俳論家のまれな女流俳人で、この作者は数少ない例外。論理的で説得力ある筆陣を張る。しかしその句は写実にとらわれず、飛躍に飛んでいて、いわゆる論理性からはほど遠い。感覚を武器に、直感的なものをつかもうとする。「鳥に顎なき夕べ」という直感的な表現もその一例だが、言われてみればそんな感じのする夕暮も、私たちにはありそうだ。中ぞらには吊し柿がぶらさがっていて。
大岡信『折々のうた』岩波新書
まず、「俳論家のまれな女流俳人で、この作者は数少ない例外」が気持ち悪い。昭和四十年代って、この程度か。俳論家が女流にまれなのではなくて、女流に俳論が許されなかったのでしょう。大岡先生の「論理的で説得力ある筆陣」という評価を見るに、どうせ女は「感覚的で説得力のない筆致」に押し込まれていたであろうことが容易に想像できます。
大岡先生は「「鳥に顎なき夕べ」という直感的な表現」といいますが、そんな直観を得たことがない。顎のない鳥を見たことがない立場からするとこれは譬喩なんじゃないかとおもうのです。
吊し柿を食べに来る鳥は、憎らしいくらい、たべては呑みこみたべては呑みこみします。柿の中に口を入れているのはほんの僅かの時間です。ひどい時にはこっちを向いてこれ見よがしに柿の実を食べます。
だから「顎なき鳥」は見ている側の、脳内の光景でしょう。首を出した時はいいんです。顔まで突っ込んで柿を食っている鳥に「こらー」を言いに行くわけです。顎なきをみて「写実にとらわれず、飛躍に飛んでいて、いわゆる論理性からはほど遠い。」って、これもいつもの大岡節。
66
窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜はきみをしぞ思ふ
よみ人しらず
『万葉集』巻十一。「おし照る」は一面に光が照る。「あしひきの」は「山」にかかる枕詞だが、この場合は枕詞が転じて山そのものを指すとされている。窓ごしに月がいっぱい射しこんで、山からのはげしい風が吹きつける夜は、さびしさ、心細さでひとしおあなたが恋しいと、通ってくる夫を待つ女心をうたうが、この歌、日本の詩歌で窓を扱った最初の作と思われ、その点でも興味深い。然るべき作者名がついていたら、もっと有名になっていた歌だろう。
大岡信『折々のうた』岩波新書
それを有名にするのが大岡先生の仕事だと思ったり思わなかったり。

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