蜀犬 日に吠ゆ

2011-09-13

[][][][][]秋のうた を読む(その37) 19:21 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その37) - 蜀犬 日に吠ゆ

73

 鳥獣虫魚のことばきこゆる真夜(まよ)なれば青人草(あをひとくさ)と呼びてさびしき

                          前 登志夫(まえとしお)


 『縄文紀』(昭五二)所収。吉野生まれで今でもそこに暮らす歌人。身辺の風物を歌いつつ古代の時空を呼び戻そうとするのは、吉野の土地柄の自覚に立ってのことだろう。「青人草」は民草、蒼生と同じ意味で人民のこと。人がふえるのを草の繁茂にたとえた古代的形容。村の深夜、鳥獣虫魚語りかける言葉に耳を澄ましている時、そもそも人もまた「草」ではなかったかという思いにうたれたのだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そして「さびしき」。さびしきがこの句の中心でしょう。鳥獣虫魚の言葉に比べて「青人草」の言葉の、風にそよいでざわざわしているだけの言葉の何と空虚なことでしょうか。

 うちは、真夜中になると近所の飲料水自動販売機の「ありがとうございました」がよく聞こえます。機械の言葉を耳にして、青人草はやがてさびしき。


74

 ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさき)生(お)ふる清き川原に千鳥しば鳴く

                            山部赤人(やまべのあかひと)


 『万葉集』巻六。柿本人麻呂と並び称せられてきた万葉歌人。目も耳も深く澄んでいるのがその歌の特徴である。「ぬばたまの」は夜にかかる枕詞。「久木」はアカメガシワの木というが、別の説もある。吉野の宮滝近くに当時あった離宮への行幸に随行した赤人が、周辺の風物をたたえた歌である。同時作の「み吉野の象山(さきやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだもさわく鳥の声かも」もよく知られている名歌。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 吉野シリーズ。ぬばたまの夜なのに川の清らかさが分かってしまうあたりが赤人の耳の澄みようですかね。久木が久木とわかるってことは、川原まで降りたのかもしれませんがそれはあまりに危険ですから、風のうなり方で生えている木も特定できちゃうんでしょう。

 いや、「赤人」ってくらいだから赤外線モニタリングができるのかもしれません。判断保留。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)