蜀犬 日に吠ゆ

2011-09-15

[][][][][]秋のうた を読む(その39) 19:51 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その39) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 がつくりと抜け初(そ)むる歯や秋の風

            杉山杉風(すぎやまさんぷう)


 江戸の大きな魚屋で、芭蕉の門人。芭蕉の経済的後援者だったことは有名。右の句は『猿蓑(さるみみの)』にのるが、初案は「がつくりと身の秋や歯のぬけし跡」として、芭蕉あて書簡に出る。これだと詠嘆が勝ちすぎて、句は集中度に欠ける。改案にはおそらく芭蕉の手が入っているのだろう。近年「がっくり」の語がはなはだしく流行するが、この句あたり、最も早い時期の文学的用例かもしれない。語感を鋭くとらえている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この辺は時代的解説が欲しいところ。近年「がっくりの流行」といいますが、掲載された1979年の歌壇で流行したのか、市井で流行したのか。たぶん歌壇なのだろうとは思いますが、「がっくり」が流行するって状況はすこし想像しづらいですね。


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 秋の暮溲罎(しゅびん)泉のこゑをなす

             石田波郷


 『借命(しゃくみょう)』(昭二五)所収。久しく療養生活に明け暮れた波郷は、病中吟に秀句を多く残した。中でも『借命』は代表的句集。「溲罎」(シビンとも)は寝たまま用を足すためのガラス器だが、これが病床の中でたてる音を、ああ、まるで泉の声ではないかというのだ。身は衰えて横たわりながら、勢いよくほとばしるわが体液の音を、泉のようだと聞いている心理は複雑だろう。しかし句は澄明、諧謔の味も抜群。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 また体言止めだ。糞袋と自嘲してこその諧謔であって、泉の湧くのに例えるのはナルシズムだろうよ。二周回って、自然と一体なのだと自己規定できないと自我を保てない病人の嗚咽を聞け。

 大岡先生とは、まただいぶ離れた所に突き進んでいる自分がいます。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)