蜀犬 日に吠ゆ

2011-10-18

[][][]嘘をつかない嘘つきの話~~安良岡康作『徒然草』旺文社 19:27 はてなブックマーク - 嘘をつかない嘘つきの話~~安良岡康作『徒然草』旺文社 - 蜀犬 日に吠ゆ

第七十三段

 世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆(みな)虚言(そらごと)なり。

 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月(としつき)過ぎ、境(さかい)も隔(へだゝ)りぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆(ふで)にも書き止(どゞ)めぬれば、やがてさだまりぬ。道々(みち\/)の物の上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道(みち)知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる人は、さらに、信(しん)も起さず、音(おと)に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。

 かつあらはるゝをも顧(かへり)みず、口に任(まか)せて言ひ散らすは、やがて、きたることと聞(きこ)ゆ。また、我(われ)もまことしからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言(そらごと)にはあらず。げに\/しく所々(ところ\”/)うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つま\”/合はせて語る虚言は、恐(おそろ)しき事なり。我がため面目(めんぼく)あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず。皆(みな)人(ひと)の興(きょう)ずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」と言はんも詮(せん)なくて聞きゐたる程に、証人(しょうにん)にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。

 とにもかくにも、虚言多き世なり。たゞ、常にある、珍(まづ)しからぬ事のまゝに心得たらん、万(よろづ)違(たが)ふべからず。下(しも)ざまの人の物語は、耳驚(おどろ)く事のみあり。よき人は怪(あや)しき事を語らず。

 かくは言へど、仏神(ぶつじん)の奇特(きどく)、権者(ごんじゃ)の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗(せぞく)の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方(おほかた)は、まことしくあひしらひて、偏(ひとへ)に信ぜず、また、疑ひ嘲(あざけ)るべからずとなり。

安良岡康作『徒然草』旺文社
徒然草 (対訳古典シリーズ)

徒然草 (対訳古典シリーズ)

 今さらですが、「不確定伝聞の拡散」に関して。これは、ネズミ講のような形を取ります。しかしネズミ講とは逆に末端に行くほどブラッシュアップ(洗練)されてゆくという、困った話。

第七十三段

 世間で語り伝えていることは、事実談ではおもしろくないのであろうか、その大部分はみないつわりごとである。

 世間の人々は実際にあるよりも以上に物事を大げさにこしらえて言う上に、まして、年月が経過し、場所も遠く隔たってしまうと、言いたい通りに語りこしらえて、筆によっても書き止めてしまうので、すぐに、その通りにきまってしまうのである。それぞれの専門における芸能の上手と言われる人のすばらしい事跡などは、道理をわきまえずして、その芸道のことに通じない人は、やたらに、神様のように崇めて言うけれども、芸道に通じている人は、いっこうに、それを進行する気も起こさないものである。どんなことでも、噂に聞くのと実際に見る時とは、何事も違うものなのである。

 語っているそばからうそがばれてゆくのを気にかけず、口から出まかせに、しゃべりちらすのは、すぐに、根拠のないこととわかるのである。次にまた、自分でもほんとうでないとは思うものの、人の言った通りに、鼻のあたりがぴくつきながら言うのは、その人のうそではなくて、始めに言った人のうそなのである。また、いかにもほんとうらしく、話の所々を不審がって、よくも知らない風をし、そのくせ、話の端々をつじつまを合わせて語るうそは、だれでも信用するので、恐ろしいことなのである。また、自分にとって名誉となるように他人から言われたうそというものは、言われた本人はたいして言い争って否定しはしないものである。また、人がみなおもしろがるうそは、自分だけひとり、「そんなでもなかったものなのになあ」と言っても仕方がないので、黙って聞いているうちに、それを認めた証人にまでされて、うそがますます事実として決定してしまうのであろう。

 何にしても、うそのあまりにも多い世の中である。こういう世間では、うそをば、ただ、普通にありふれた、珍しくないこととして受け入れているのが万事に間違いがないであろう。下層階級の人の物語には、聞いてびっくりすることばかりである。身分のある、立派な人は、不思議なことを語らないものである。

 以上のように言うものの、神仏の霊験、また、神仏の人間として現われた人の伝記については、そう一概に信じてはならないというわけでもない。こうした方面のことは、その中にまじっている、世間一般のうそを本心から信用しているのも馬鹿らしいし、「まさかそんなことはあるまい」などと否定していっても仕方がないので、大概は、真実あったこととして相手になり、心中には、いちずに信じてはならず、また疑って馬鹿にしてもならないものなのである。

安良岡康作『徒然草』旺文社