蜀犬 日に吠ゆ

2011-11-09

[][][][][]冬のうた を読む(その2) 13:14 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

3

 うつくしきあぎととあへり能登時雨(のとしぐれ)

                飴山 実(あめやまみのる)


 『少長集』(昭四六)所収。発酵醸造学を専攻した歌学者の俳人。敗戦前年『芭蕉七部集』一冊を頼りに句を作りはじめたという。句は古格を重んじ、観察に無駄がなく、情緒の懐が深い。「あぎと」は顎(あご)。能登を旅しているとき時雨に遇った、その時目の前を一つの美しいあごが、美しい顎をもった能都の女性が、軽やかに通る時雨さながら過ぎ去ったのだ。旅情はその顎の線にきわまるような思いがし、たまたま行きあった時雨も、「能登時雨」となった。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 本名なのでしょうか。「飴山実」で発酵醸造学を専攻ってすごい甘そう。

 「うつくしきあぎと」はてっきり冬眠前の蛇か何かかと思ってしまいました。

 能登の山道をわっせわっせと進んでゆくと、折悪しく冷たい時雨模様となってくる。雨宿りでもしようかなあと見渡すと、大きな蛇が所在なさげにしている。お前もか、などと苦笑いしたそのうつくしいあぎとが印象に残った、というような。これは私の能登半島のイメージが切りたった崖で日本海の荒波がザブーンで「どうしてあんなことをしたのか、話してくれないか」程度であることに問題がありますね。


4

 妹(いも)が門(かど)行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬか其(そ)を因(よし)にせむ

                               よみ人しらず


 『万葉集』巻十一。「妹」は愛人や妻をいう。「ひさかたの」は「天(あめ)」の枕詞だが、この場合は転じて同音の「雨」にかかる。「因(よし)」は口実。愛する人の門前で、行きつ戻りつしている男がいう。えい、雨でも降らんかなあ、雨宿りを口実に上がってしまおうものを。歌謡として広く愛誦されていたものだろう。後の平安朝宮廷歌謡『催馬楽(さいばら)』にも、『古今和歌六帖』にも、少し形を変えて受けつがれている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 まだ両思いじゃないんですね。

 アムロとララァのように、雨宿りで偶然運命の出会い、というのはベタな展開です。しかしこの歌の主人公は、それをメタに展開させて、雨が降ってきたら運命の出会いを演出しようとしているのです。これはきっと、手紙かなにかでもうふられたことがあるんですよ。逆転のきっかけを天の助けに求めて門の前をうろうろしている。不審者通報ものですよ。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)