蜀犬 日に吠ゆ

2011-11-12

[][][][][]冬のうた を読む(その5) 19:00 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 青空の井戸よわが汲(く)む夕あかり行(ゆ)く方(へ)を思へただ思へとや

                        山中智恵子(やまなかちえこ)


 『みずかありなむ』(昭四三)所収。敗戦当時二十歳で、火薬庫に学徒動員されている女子学生だった。戦中派の刻印を明らかに負っている女流歌人である。言葉で精妙な繭玉を編むとでもいおうか、歌は孤高の思いを包んだ呪文のようで、容易に解読を許さない所がある。「井戸よ」は井戸から。さて、その井戸は青空にあり、そこに汲むのはありきたりの水ではなく、「夕あかり」だという。この世ならぬものを思いつめる人の悲歌の調べ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 普通、「青空の井戸」って言ったら、水面が浅くてのぞきこむと風景が映る井戸のことじゃないでしょうかね。夕ご飯のための水を井戸に汲みに来て、その日一日のことのみ考えて生きるように言い聞かせているんじゃないでしょうかね。

 「青空の井戸から夕あかりを汲む」って、マグリットっぽい。



10

 水鳥やむかふの岸へつういつい

         広瀬惟然(ひろせいぜん)


 放浪の俳人惟然は美濃(岐阜県)の人で、芭蕉晩年の門人。惟然坊とよばれた。風狂の人となりが句作にもそのまま現れ、口語の擬声・擬態語を多用して、物に感じ心が動くとき口をついて出る想念を、わかり易い句にしたてた。「梅の花赤いは赤いは赤いはな」(「は」はワ)や右の句など特に有名。「水鳥」はカモ、オシドリの類で冬の季語。水鳥の生態を「つういつい」に活写したが、常にこの手が成功するわけではない。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 大岡先生は「素人が粋がって真似をするなよ」と釘を刺しておられるわけですが、たしかにこんなの真似できそうな気がびんびんに伝わってきますね。しかし擬音を使いこなすには一定の技量が必要なので、芭蕉翁も厳しく戒めるところであります。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)