蜀犬 日に吠ゆ

2011-12-01

[][][][][]冬のうた を読む(その17) 19:20 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 木枯(こがらし)の一日(いちにち)吹いて居りにけり

                  岩田涼菟(いわたりょうと)

 伊勢山田出身の芭蕉門人。芭蕉没後、師の俳風を世に広めるために。、平明で通俗な表現を追求し、伊勢風とよばれる一派を開いた。右の句、平明な上におかしみがあり、何の説明もいらない。一見原題の子供にもできそうな句だから、俳句というものがどこまで表現を単純化できるかを示す好例だろう。しかし、すべての俳句がこういう具合になったとしたら、退屈で仕方があるまいと思われる。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 退屈どころか、「一日吹いて」のファンタジー(デタラメ)、「居りにけり」の技巧など、汲めども尽きない俳句の魅力がつまった秀句でしょう。大岡先生は「平明」と言いますが、それほどでもないと思います。

 まず単純な「写実」ではありませんよね。「一日中木枯らしだった」というのは気象庁勤務の風向き担当の人以外には客観的事実ではないでしょう。一日を終えて、「今日はずっと木枯らしだったなあ」と「詠嘆」しているから「けり」が使われるわけですし。そうやって思い返している、作者なのでしょうかそれとも別人でしょうか。「居」ったというのは寒くて家からでなかったのでしょうかね。

 それでいて、「居りにけり」という下五はほとんど新しい情報を含まないわけです。王朝歌謡(万葉振り)みたようなのどかさも余韻に残る。私は、こういう句ばかりでも、決して退屈ではありません。

 大岡先生は俳句が教条主義的に偏向することを問題視しているのでしょう。こういう句が神聖視されているわけでもないので杞憂ではないかと思います。


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 暁(あかつき)と夜(よ)とのさかひの少安(せうあん)に水をわたりて来る鳥のこゑ

                       松村英一(まつむらえいいち)

 『石に咲く花』(昭三三)所収。明治二十二年大晦日の生まれだから九十歳に近い長老歌人。窪田空穂門。長らく歌誌「国民文学」を主宰する。「少安」はふだんあまり見馴れない語だが、ここでは夜と朝が入れ替わる境にある安らかなひとときという意味だろう。そのひとときがいわば細い帯のように横たわっている。その帯状の境目に沿うて、低く鳥の声が水面を渡ってくる。「水をわたりて」がこの歌の味わいを決めている眼目の部分である。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 冬の朝は遅いので、暗いうちから出かけなければなりませんよね。職住近接の実現を望みたいところです。



折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)