蜀犬 日に吠ゆ

2012-01-07

[][][][][]冬のうた を読む(その23) 19:48 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その23) - 蜀犬 日に吠ゆ

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 去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

              高浜虚子


 『六百五十句』(昭三〇)。昭和二十五年十二月二十日、新春放送用に作ったという。当時七十六歳。「去年今年」は、昨日が去年で今日は今年という一年の変わり目をとらえ、ぐんと大きく表現した新年の季語。虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、去年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いを歌う。「貫く棒の如きもの」の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「去年今年」。やはり、宇宙の雄大さを詠むときは大和言葉でないとしっくり来ないのでしょうね。俳諧における漢語は滑稽成分ですから。音読みで虚勢を張りたい自分としては悔しい。

 「怪作」という大岡先生の批評はすばらしい。この句の魅力は雄大な宇宙の中での、闇の部分を表現している所にあると思います。言葉ではなんだか説明できないけれども、なんだか分かってしまうたぐいの。

 「新春放送」がなんなのか興味ありますね。




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 渓(たに)の水汝(なんぢ)も若しよき事の外にあるごと山出でて行く

                    与謝野 寛


 かつての「明星」指導者の最後の主宰誌「冬柏」昭和九年十月刊の号にのった「四万(しま)の秋」より。秋の歌だが、新春にふさわしい風趣もある。四万温泉に旅した折、そこで見た四万川の渓流を歌ったものだろう。渓流の清冽な若々しさをたたえつつも、「よき事の外にあるごと」と、若さのもつ定めないあこがれ心を揶揄してみせることも忘れない。寛自身そういう若さを最もよく知り、生きた人だった。軽やかにだが思いは深い。半年後の十年三月に死去。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 単に袂を分かつ後進への恨み節なのではないでしょうか。今後も「晶子の旦那」以上の評価は得られないでしょうし、本人もそれを感じていたからこそのこの歌。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)