蜀犬 日に吠ゆ

2012-02-01

[][][]ペドロの存在しない世界とは、これはまさに、ペドロがまだ生まれていなかった世界のことである~~オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス 21:41 はてなブックマーク - ペドロの存在しない世界とは、これはまさに、ペドロがまだ生まれていなかった世界のことである~~オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス - 蜀犬 日に吠ゆ

大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)

第一部 大衆の反逆

10 原始性と歴史

 ちょっと見ると、反何々という態度は、その何々よりもあとに来るように思われる。というのは、そのような態度は、なにかにたいする反作用を意味しており、それ以前になにかがあったことを前提としているからである。しかし、この反が代表する改革は、うつろな否定の動作に終わってしまい、その積極的な内容としてあとに残されるものは、一つの《古物》にすぎない。かりにだれかが反ペドロを宣言するとすれば、その態度を肯定的な表現でいいかえてみると、かれはペドロの存在しない世界の党派に属すると宣言しているにすぎない。

オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス

第一部 大衆の反逆

10 原始性と歴史

 しかし、ペドロの存在しない世界とは、これはまさに、ペドロがまだ生まれていなかった世界のことである。反ペドロ主義者は、ペドロのあとに身を置く代わりに、そのまえに位置する。かれは映画のフィルムを過去の状態に向かって巻きかえすのだが、これを映してみれば、映画の終わりには容赦なく、ペドロがまた現れるのである。

オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス

第一部 大衆の反逆

10 原始性と歴史

 したがって、これらすべての反に起こることは、伝説の伝える孔子の身に起こったことと同じである。孔子は、いうまでもなく、父よりもあとに生まれた。しかし、なんたることか、かれが生まれたときは八十歳で、そのとき父はやっと三十歳になったところだった。すべての反は、たんなる空虚な否にすぎない。

オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス

第一部 大衆の反逆

10 原始性と歴史

 ただ反というだけでわれわれが過去をあっさりと抹殺することができれば、問題はすべてきわめて簡単だろう。しかし、過去は、その本質からいって、現在の世にもどってくる亡霊なのである。いくら投げ捨てても、それは性こりもなくもどってくる。だから、ただ一つ過去を超越する方法は、それを捨てないことである。いいかえれば、それを考慮に入れることである。それを避け、よけるために、それに目を配りながら行動することである。要するに、歴史的現状に過敏な意識をもちつつ、《時代の高さ》に生きることである。

オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス

 過去から逃げることはできません。



[][][]大衆的人間は、原始人になってしまう~~オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス 21:23 はてなブックマーク - 大衆的人間は、原始人になってしまう~~オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス - 蜀犬 日に吠ゆ

大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)

第一部 大衆の反逆

10 原始性と歴史

 大衆的人間は、自分がそのなかで生まれた文明、自分が利用している文明を、自然界のように、自然発生的であり、ひとりでに生じたものだと思っている。そして、まさにその事実によって、かれらは原始人になってしまう。かれらにとって、文明は密林のように見えるのである。それにもうまえに述べたことだが、ここでもっと正確にする必要がある。

 文明の世界――われわれが維持していかなくてはならないのは、この文明世界である――を支えている諸原理は、原題の平均人にとっては存在しないも同様である。かれは文化の基本的な諸価値に興味をもたず、その価値を守ろうとする共同の責任感もなく、そのために奉仕する心構えもない。どうしてこういうことになったのだろうか。たくさんの原因があるが、いまは一つだけ指摘しよう。

 文明は、進歩すればするほど複雑になりむずかしくなる。今日、文明の提出している問題は、ものすごくこみいっている。それらの問題を理解しうるほど知能の発達している人の数は、日一日と少なくなる。第一次世界大戦後の時代には、それについて、きわめてはっきりした例を提供している。ヨーロッパの再建は――いまわれわれがそれを目撃しつつあるように――あまりに複雑な問題であるので、凡庸なヨーロッパ人は、これほどむずかしい事業には能力がたりないことを暴露している。解決のための手段が不足しているのではない。頭脳が不足しているのだ。もっと正確にいえば、少ないながらいくつかの頭脳があることはあるが、中央ヨーロッパという凡庸な身体は、肩の上にそれを乗せることを欲しないのだ。

オルテガ『大衆の反逆』中公クラシックス

 「肩の上」ってのはニュートンの、巨人の肩のことでしょうかね。



[][]おこられたら、あやまろう~~あずまきよひこ『よつばと!』11巻 電撃コミックス(その10) 20:30 はてなブックマーク - おこられたら、あやまろう~~あずまきよひこ『よつばと!』11巻 電撃コミックス(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

よつばと! 11 (電撃コミックス)

よつばと! 11 (電撃コミックス)

  • よつばとくりひろい(第73回)その3
    • よつばが階段の上からジュラルミンを落とす。

      • ひろって!
        • しかしこのディフォルメはほとんどギャグマンガですよね。どうもふーかパートはギャグ寄りになる傾向があるようです。
          • 絵が、よつばの主観を反映しているという解釈からすると、よつばが動転してふーかの細かいところまで認識できないでいる表現だと言えないこともありません。スピード感。
        • 気球の時もそうでしたが、よつばはジュラルミンをささえる握力に欠けているのかもしれません。もしくは、注意力散漫なのでしょうか。そういう年頃ではありますけれど、描写がないのでわかりません。
    • やせる
      • ふーかはあんまりやせてるやせてないを気にしないほうがいいと思います。マスメディアに掲載されているTVスター・TVアイドル・TVタレントの数値は嘘ですからね。病気しているのでなければ、単純な体重の数値を気にすべきではないのです。
        • しかし「痩せすぎを煽る」輩が多いので、世の中は大変です。
    • おこられたら、あやまろう
      • この回のクライマックス。コマで切断することができなかったのでページ全体で失礼します。*1

        • このしまうーの発想は昭和時代のものなのですが、里山や入会に関していえばこういう態度のほうが正しかったのです。栗、柿、銀杏などはそもそも共同体で遠慮しつつ融通しあう種類の木でした。神社の境内になぜ栗の木が育ててあるのかと言えば、地域の人に拾ってもらうためだったことでしょう。しまうー一行しかいないのも、逆に寂しい光景なのかもしれません。
    • オチは昆虫オチ
      • 親であるクリゾウムシより、クリムシのほうがなじみ深いなあ。
      • 卵を産み付けられてから「おいしい栗」しか食べてないから、きれいなんだよ! っていってうちらへんではまんま食べてしまいます。野蛮なのかしら。前世代は「むしろ胃の薬になる」っていっていて、さすがにそれは嘘だとわかります。
        • まあ、刺したり噛んだりしないので、ふーかもしまうーもそんなに怖がらないでもいいでしょう。


 神社に銀杏拾いに行くのは『銀の匙』だったかなあ。でもそうすると帰り道に「たこ坊主」「たこ坊主」って、婆やが走り出す話になる気がしてきた。宮澤賢治か何かだったかしら。

*1:著作権侵害。おこられたら、あやまります