蜀犬 日に吠ゆ

2012-10-22

[][][][]中島敦の中華料理賛歌 20:50 はてなブックマーク - 中島敦の中華料理賛歌 - 蜀犬 日に吠ゆ

 中華料理をテーマとした和歌十四首。

 中島敦って、いつの時代の人間よ。少なくとも二十年前には時代遅れ。

中島敦の中華料理賛歌

 明治以降の日本の小説家で、中華料理をもっともおいしそうに描いたのは誰だろう、とふと思った。

 谷崎潤一郎の『美食倶楽部』は誰しも思い浮かべるだろうが、あの小説に描かれているのはほとんど空想の料理であるし、味覚よりもむしろ性感に訴えかける種類のもので、わたしの食欲をそそらない。林芙美子の小説の主人公が食べる”支那そば”はじつにうまそうだが、中華料理といえるかどうかわからぬ。芥川龍之介は『江南遊記』に、南京で食べたデザートの「八宝飯」が美味かったと記しているが、秦淮(しんわい)の美人に目を奪われて、料理のことはあまり印象に残らなかったらしい。

 わたしの思いつく範囲では、中島敦の「聘珍樓雅懐」が、短歌という形式ではあるけれども、中華料理賛としてほとんど唯一の傑作である。


 一九三七年七月に蘆溝橋事件が起こり、日中戦争が始まった。「聘珍樓雅懐」はその後に書かれたもので、横浜「聘珍樓」での宴を十四首の歌に詠んでいる。わたしは以前、国書刊行会から出た『美食』というアンソロジーにこれを入れたことがあるが、御覧になった方も少ないだろうから、ここにもう一度引用する。


 初めの三首は、日中が敵対する険しい情勢の中で、それでも料理は憎くないといって、華国の美味への愛着をうたう。

 冬の夜の聘珍と聞けば大丈夫(ますらを)と思へる我も心動きつ

 国つ仇と懲し伐つとふ国なれど唐(から)の料理の憎からなくに

 うましもの唐の料理はむらぎもの心のどかに食ふべかりけり


 さて、席について、料理が順々に出てくる。それをこの歌の作者は何と嬉しそうに味わっていることだろう!

 白く濃き唐黍(たうきび)スウプ湯気立ちてあら旨げやなうす脂うく

 白く濃き唐黍スウプする\/と啜(す)へば心も和(なご)みけらずや

 家鴨(いへがも)の若鳥の腿の肉ならむ舌にとけ行くやはらかさはも

 大き盤に濛々として湯気(けむり)立つ何の湯(タン)(スウプ)ぞもいざ味見(あぢみ)せん

 肉白き蟹の巻揚(まきあげ)味軽(かろ)くうまし\/とわが食(を)しにけり

 かの国の大人(たいじん)のごとおほけらく食(を)すべきものぞ紅焼鯉魚(ホンシャウリギョ)は

 甘く酸き匂に堪へで箸とりぬ今宵の鯉の大いなるかな

 甘酢かけて食ひもて行けば大き鯉はやあらずけり未だ饜(あ)かなくに

 冬の夜の羊肉(ひつじ)の匂ふとかげば北京のみやこ思ほゆるかも

 いさゝかに賤(いや)しとは思(も)へどなか\/に棄てがたきものか酢豚の味も

 みんなみの海に荒ぶる鱶の鰭に逢はで久しく年をへにけり

 ちなみに最後のフカヒレの歌はフカヒレが出てこなかったというのではなく、幾年(いくとせ)を経て、ここ「聘珍樓」でやっと再開した喜びを述べているのだ。作者はこの気の利いた歌を掉尾に据えるためか、料理の順番を多少入れ替えているらしい。フカヒレはたぶん宴の初めの方に出てきたろうし、玉蜀黍(とうもろこし)のスープはあとの方だったろう。「大いなる」鯉も酢豚よりあとだったろう。ちなみに、「紅焼鯉魚」とあるのは「糖醋鯉魚」の間違いかと思われる。「甘く酸き」タレをかけた揚げたての熱々(あつあつ)の鯉が、思わず唾がわいてくるような良い匂いを立てて、人々がいっせいに箸を伸ばすようすが目に浮かぶ。そうだ。昔は東京などでも中華料理の宴席といえば、おしまいに、この鯉の丸揚げ―「糖醋鯉魚」―が、決まりごとのように出て来たものだ。


わたしと鯉

 わたしは、しかし、その唐揚げを一度も美味しいと思ったことがなかった。幼いわたしの味覚からすると、あんかけのあんは甘すぎるか、酸っぱすぎる。それに細切りの野菜があんに入っていて、ともすると人参が混じっている。わたしは人参嫌いなので、これがまず気に入らぬ。魚の方も骨っぽいし、どうも生臭い。あんな不味いものを、何を好きこのんで食べるのだろう――このことはわたしにとって一つの謎であった。

南條竹則『中華文人食物語』集英社新書

 それで「美味しい鯉の唐揚げ甘酢あんかけ」にであった話に続くのですが後略。とりあえず南條先生、あとでフクロ。

 あと、「白く濃き」はほとんど枕詞のように「唐黍スウプ」にかかるのですね。ポタージュ的なもの? 中華のコーンスープで濃厚系ってイメージにありません。

中華文人食物語 (集英社新書)

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[][][]佐佐木信綱編 巻十六『万葉集』下巻 岩波文庫 19:59 はてなブックマーク - 佐佐木信綱編 巻十六『万葉集』下巻 岩波文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

昔老翁あり、號を竹取の翁と曰ひき

 竹取物語。

巻十六

昔老翁(おきな)あり、號(な)を竹取の翁と曰(い)ひき。この翁、季春の月に、丘に登りて遠く望むに、忽に羮(あつもの)を煮る九箇(ここのたり)の女子(をとめ)に値(あ)ひき。百の嬌(こび)も儔(たぐひ)なく、花の容(かたち)も匹(たぐひ)なし。時に娘子(をとめ)ら、老翁を呼び嗤ひて曰く、叔父(をぢ)來てこの鍋の火を吹けといふ。ここに翁唯唯(をを)と曰ひて、漸(やややや)に趍き徐(おちぶる)に行きて、座の上に著接(まじは)りき。良久(しばらく)ありて、娘子(をとめ)ら皆共に咲(ゑみ)を含み相推譲(おしゆづ)りて曰く、阿誰(たれ)ぞこの翁を呼びしといふ。すなはち竹取の翁謝(ことわ)りて曰く、非慮外(おもひのほか)に、たまたま神仙(ひじり)に逢ひぬ。迷惑(まど)へる心敢へて禁(おさ)ふる所なし。近く狎(な)るる罪は、希はくは贖(あがな)ふに歌以ちてせむといひて、即ち作れる歌一首并に短歌

佐佐木信綱編『万葉集』下巻 岩波文庫

 「三七九一番」の詞書。竹取物語というよりも「こぶ取りじいさん」に近い感じでしょうか。娘たちにとっては、「ぬらりひょん」か。しかししばらく飲み食いしてから、「叔父さん誰なの?」って。セキュリティがゆるすぎるような気もします。

新訂 新訓・万葉集〈下〉 (岩波文庫)

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[][][][][]池田邦彦『シャーロッキアン!』23 双葉社 22:10 はてなブックマーク - 池田邦彦『シャーロッキアン!』23 双葉社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 読み返しまして見直しました。前言撤回。

シャーロッキアン!(2) (アクションコミックス)

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 「ファンダメンタリスト」と「リアリスト」の相克というのはかなり奥が深いのではないかと思い直しました。キリスト教とは違ってあくまでもシャレで逃げられる分、深い考察がフィクションとノンフィクション、理想と現実に反映できるテーマなのですね。