蜀犬 日に吠ゆ

2012-11-20

[][][]めそ~~内田百閒『御馳走帖』中公文庫 19:39 はてなブックマーク - めそ~~内田百閒『御馳走帖』中公文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 とりあえずメモしておいて、あとでキーワード化します。よく考えるとたくさんあります。

 今日は「めそ」。

御馳走帖 (中公文庫)

御馳走帖 (中公文庫)

めそ

昔は電車が通つてゐる表通が裏神保町で、そこへ電車を敷いたからそつちが表になり、もとの表神保町の通が裏になつて、鈴蘭燈を連ねてゐるから鈴蘭通とも云ふそうだが、そんな名前は方方にあるから意味はない。歩いて行つたらいいにほひがして来て、鰻屋の前に掛かつた。

 河出書房にゐた暑かつたと思ふけれど、鰻屋の前には風が吹いてゐて、少し寒かつた。寒暖の記憶がどうも判然としない。広い鉢の上に小さい細い鰻の焼いたのが列べてある。あまり小さいので泥鰌かと思ふ。さう云へば店先の鏡を抜いて水を張つた四斗樽の中で、生きた泥鰌が浮かんだり沈んだりしてゐる。

 自分でさうは思はなかつたけれど、いいにほひに牽き寄せられたのかも知れない。孟浪と並んでいつ迄もその店の前に起つてゐた。大きな広い鉢の中に列んでゐるのが気に掛かる。

 泥鰌か知らと孟浪に云つたら、店の中から、鰻を焼いている男が、怒つた様な大きな声で、鰻ですよと云つた。

 めそと云ふのだらう。もう一寸大きくなれば、筏であり小串であつて普通だが、めそを買つて行つて食べて見ようかと云ふ気がする。鉢の縁に経木の札がついてゐる。高くはないしお金は持つてゐる。しかしどうも思ひつきで何か買ふと云ふ事が私には出来にくい。物を買つて、お金を払つて、お釣りを貰つて出て来ると云ふ手続きと順序がひどく億劫である。

 黙つてその前を離れた。孟浪君も一緒に歩き出した。店の奥のさつきの男が、じろりとこつちを見たような気がする。

(中略)

 二三日経つたけれど、矢つ張りお膳に坐つてゐる時、神田のめそを思ひ出す事がある。腹の中に意地が出来てゐるらしい。それなら何も神田まで行かなくても、ついそこの四谷見附の鰻屋で買つて来てやると家内が云つた。さうして翌くる日の晩買つて来たのを開けて見ると、私が思つてゐるのより倍も大きく、普通の小串である。焼き上げたのを買つて来たのでは、うまくないにきまつてゐる。文句を云ひ云ひ食べたが、味はなかった。

 にほひに誘はれて、店先に立ち停まつた時から、めそに憑かれたかも知れない。矢つ張り食べて見ないと虫がをさまらない様である。更めて孟浪君を煩はし、お役所の帰りに、神田のあの店へ寄つて買つて来てくれる様に頼んだ。

 それで漸くありついた。お膳にひろげて、さて食べようと思ふ。食べたくて食べたくて仕様がなかつた御馳走である。息がはづむ様な気がして、箸をつけたらちつともうまくない。細いくせに、しんが固くて、口ざはりが突つ張つて、味が無い。小ひさいからすぐに上がるかも知れない。浮いて腹が白くなつたのを焼いたのだらう。

内田百閒『御馳走帖』中公文庫

 あいかわらずめんどくさい小父さんですこと。