蜀犬 日に吠ゆ

2013-02-18

[][][]唯心論のめばえ(朱子) 23:29 はてなブックマーク - 唯心論のめばえ(朱子) - 蜀犬 日に吠ゆ

心性の様態

36 天地の性はすなわち人の性である、ゆえに人が死んでただちに消滅するという道理はあろうはずがない、という説は、まちがいだと思いません。ただこの説においては、天地を中心としているのでしょうか、自己を中心としているのでしょうか。もし天地を中心とするなら、この性は、もともと天地の間の公共の道理でして、人と物、彼と此れのへだたりとか、死と生、古と今との区別は、全くありません。死んで消滅しないとはいっても、自己の私すべきものではありません。もし自己を中心とするならば、ただ自己の一身について、知覚をもった精神魂魄を認識して、死ぬまで手放そうとせず、このものは死んでも消滅しないのだといいはります。これこそは、ひどい私意でして、こんな人を相手に、なんで生死の説とか性命の理を語るに値しましょうか。仏教の学問は、元来、この通りです。いま、仏徒のずるがしこいものは、往々、自分でその説の低級なことに気づき、次第にこれをはばかり、かえって一段上に、別に一種の玄妙な道理を説いています。(その説くところは)広々として、はてしも知れぬようですが、その決着は、まことにこれ以外にはありません。もしこの通りだとするなら、天地の性の中に、別にいくつかの人や物の性があり、それぞれの性には区切りがあって、交じりあわず、名をかえ姓をかえて、みずから生じずみずから死に、天地陰陽そのものも、その造化を施すすべがないことになります。こんな理屈があるでしょうか。ご面倒ながら、これについて、廖子晦にたずねてみてください。彼はきっと何らかの考えをもっているでしょう。それを折り返しお示し下さい。(文集巻四一、連嵩卿に答える)

荒木見悟編集『朱子王陽明』中公バックス世界の名著19

 「かえって一段上に、別に一種の玄妙な道理を説いています。」ずるがしこいというのはそうでしょうね。クシャン朝での仏典結集で大衆部(たいしゅぶ)が勝利したのは、シルクロードの常識に教義を合わせた結果だからでしょうから。