蜀犬 日に吠ゆ

2013-08-26

[][][][]キリスト教教会とギリシア・ローマの神々~~木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫 13:03 はてなブックマーク - キリスト教教会とギリシア・ローマの神々~~木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華

美術の力で国民の士気高揚

人間、裕福になりますと、苦しいときの神頼みということがなくなってきます。中世の頃、ヨーロッパの人々は神様にがんじがらめにされていました。もう、神様に束縛されるのはこりごりだ、現世を楽しもうじゃないか、マンジャーレ(たべよう)、カンターレ(歌おう)、アマーレ(愛し合おう)と、再び人間中心の時代となっていくわけです。そこで、同じように人間中心の時代だったギリシア・ローマ時代に非常に興味を抱くようになりました。

 人間というのは、いつの時代もどこの国でも、裕福になると必ず同じことをします。何をするかというと、骨董品の収集です。それまでは中世のキリスト教関連のものばかりを集めていた人々が、しかめっ面をしたマリア様よりは美しいマリア様、それにやはり愛と美の女神ヴィーナスがステキじゃないのと、ギリシア・ローマ時代の骨董品を集めるようになっていきます。

 (略)

 フィレンツェの人々はそのギリシアに憧れ、その文明を継承したより身近なローマにあこがれます。ギリシア・ローマ時代の人文学、美術、神々をリナーシタ=再生しようとしていきます。このリナーシタ=再生するという言葉から、この一連の運動が19世紀のフランスでルネサンス(文芸復興運動)と呼ばれるようになりました。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

 「マンジャーレ(たべよう)、カンターレ(歌おう)、アマーレ(愛し合おう)」、カラオケボックスみたい。

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華

キリスト教人文主義の象徴『プリマヴェーラ』

 ただし、当時の社会はキリスト教教会が牛耳っていましたので、事はそう簡単ではありませんでした。古代の神々を復活させたからといって、キリスト教徒であることは変わりませんでした。今の日本のようにお宮参りは神社で、結婚式は教会で、お葬式は仏式で……というわけにはいかなかったのです。

 ギリシア・ローマ時代というのは、キリスト教から見れば、異端の神々を信仰していた時代です。中世の間は否定されていました。それを現実的な商人層が中心であったフィレンツェの人々は、

「確かにギリシア・ローマの人々は異端の神を信仰していました。でお、それは仕方がないでしょう。だって、イエス・キリストのお生まれになる前の時代の人々なのだから。ギリシア・ローマが自分達の偉大な文明のルーツであることに変わりはないのだから」

 と、都合のいい理由とともに、ギリシア・ローマ時代を肯定したのです。

 このようにしてギリシア・ローマ時代の学問、美術、神々がリナーシタ=再生されていきました。ただし、あくまでもキリスト教徒として、です。これを「キリスト教人文主義」といいます。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華

ルネサンスの精神を高らかに宣言した墓廟

 ところで、そのギリシア人やローマ人は、天国に行ったのでしょうか、それとも地獄でしょうか。異教の人々ですから、天国には行けません。けれど、自分たちの文明のルーツなのですから地獄に行かれても困るのです。そこで、煉獄という概念が強く打ち出されます。地獄ではないのだけれど、天国でもないところ、罪を浄化するために留まる天国の手前の場所といったところです。

 フィレンツェの詩人ダンテは、すでに14世紀初頭に『神曲』で煉獄を案内していました。免罪符も、地獄や煉獄の概念が明確になることで売れていきます。ただし皮肉にも、後年、それは理に適わないということで、マルティン・ルターの宗教改革につながっていきます。

 『神曲』はラテン語ではなく、トスカーナ地方の方言で書かれています。そのためにダンテは、国民文学の祖とも呼ばれています。その後、この流れは全ヨーロッパに広がり、各国で国民文学が発達した結果、お国言葉が整理され、フランス語も英語もそれぞれの国語として確立していったのでした。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫


名画の言い分 (ちくま文庫)

名画の言い分 (ちくま文庫)