蜀犬 日に吠ゆ

2013-08-29

[][][]八月二九日 政治の立場を世間では保守革新と分断する 09:17 はてなブックマーク - 八月二九日 政治の立場を世間では保守革新と分断する - 蜀犬 日に吠ゆ

八月二九日

政治の立場を世間では保守革新と分断する。私は一貫して革新の側に立って来て、死ぬまで貫きますが、保守を軽蔑したりする気は毛頭ありません。それどころか、「学習する保守」を尊敬し、心から感謝している。その経験を披露するが、敗戦直後のことです。有楽町の新聞街にサヨナラした私は、秋田県南部の当時人口二万五〇〇〇の横手町で週刊新聞を発行し、それを軸として学習運動を組織し、自分もその中で一切を学び直す決意でした。その準備は夫婦だけでやって、計画を事前に話した他人は一人きり、横手中学時代の恩師・石坂洋次郎先生でした。東京の先生宅を訪ねて私が気持ちを打ち明けたら、石坂先生は、

「やめろ、やめろ、保守勢力が強くて文化の低い土地で、新聞なんか発行したって、半年持てば精一杯だろう。でも僕がやめろと言ったって、君はやるだろうな。創刊号にお祝いのエッセイを書こう」

と言った。その約束の石坂論文が掲載された創刊号は、一九四八年二月はじめに二〇〇〇部発行された。固定読者ゼロからの出発だ。で、どうなったか。半年ではつぶれないで、一九七八年一月まで三〇年続いた。週刊を三〇年続ければ第一五〇〇号になるはずだが、実際は第七八〇号止まりだった。経営困難に何度もおちいって、旬刊や半月刊になったからだ。家族労働でのジグザク経営をともあれ三〇年も続けられたのは、人々のおかげだ。いろんな地方、いろんな地域のいろんな組織、団体、個人たちの支えがあったればこそだ。なかでも私が「学習する保守」と呼ぶ人たちの支援はありがたかった。その人たちは物の考えや社会活動では保守の側だが、こと学習では何の敷居も設けないで何でも学ばねばならぬ、学ぼうという情熱の持ち主たちだ。そういう人たちがあちこちに点在して、新聞と地域の結びつきを支援してくれたのです。

さて結びに石坂先生のことを言う。一九八六年になくなられて間もなく横手市に石坂洋次郎記念館が出来て、石坂先生の足跡を語り続けている。それを支えているのは、まさに「学習する保守」です。

むのたけじ『一日一言』岩波新書
99歳一日一言 (岩波新書)

99歳一日一言 (岩波新書)

 右翼左翼もそうで、要するに議会での席順に過ぎない、というと大げさですが、保守革新でなんでも切り分けてしまうのは大雑把に過ぎると思います。