蜀犬 日に吠ゆ

2013-08-31

[][][]八月三一日 領地に海岸を持つ上杉謙信が 19:06 はてなブックマーク - 八月三一日 領地に海岸を持つ上杉謙信が - 蜀犬 日に吠ゆ

八月三一日

領地に海岸を持つ上杉謙信が甲府盆地の敵将・武田信玄に「そちらの住民たちがお困りのようですから」と塩を送ったのは一五六八年のことだ。それが今日まで四世紀半も日本晴れの美談として語り継がれてきたのはなぜ? 味噌の続編も、米の連れ子もないのはなぜ? 憎しみ合う対立関係が出来てしまうと、それを和解や協力に導くのは、ほとんど不可能であろう。では、どうするか。私の個人体験を参考に述べよう。

新聞創刊の拠点として秋田県の横手町を選んだとき、そこが地主階級の牙城であることは十分承知していた。だから、そこに決めた。だから、自分らの立場・主張を鮮明に示した。そしたら、対立する側の陰険な嫌がらせや妨害はゼロだった。国政次元での政党討論会の企画などでは、保守党の方が革新派よりも熱心に協力した。ある時にこちらに特別の好意を示したので、「なぜか」と問うたら、「敵だからつぶすわけにはいかないから」と答えた。対立する相互関係をまっすぐに認めて、だからヘマはやれない。相手にも学んで前進しなければ、という態度だとしたら、それこそは状況を変える力の芽生えではないか。いま憎み合う悲劇が地上のあちこちに続発している。どうしたらいいだろうか。私が対立する立場の人たちから受けた言葉の本体を平がなで書けば、「てきだから、つぶされぬ」というたった一〇字の一句だ。この中に悲劇を他のものに変えるカギの一つが存在している。

むのたけじ『一日一言』岩波新書
99歳一日一言 (岩波新書)

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 八月三〇日から続いくテーマ。敵対するとは、憎しみ合うことと同じなのか違うのか。何のために敵対するのかが明らかであるなら、敵対することと憎しみ合うことには違いがあるのかもしれません。