蜀犬 日に吠ゆ

2013-09-06

[][][][]知行合一~~王陽明「伝習録」『朱子 王陽明』中公バックス 09:32 はてなブックマーク - 知行合一~~王陽明「伝習録」『朱子 王陽明』中公バックス - 蜀犬 日に吠ゆ

顧東橋に答えるの書

思うに、学ぶとすれば疑問がないわけにいかず、そこで問いが生ずる。この問うことがそのまま学ぶこと、そして行うことでもあるのです。また、その疑問があることから、思いが生ずるのですが、この思うこともまたそのまま学ぶこと、そして行なうことである。更にその疑問は、弁ずる(明察する)ことにもつながり、その弁じ明らかにすることもまたそのまま学ぶこと、そして行なうことに他なりません。弁ずること明らかに、思うこと慎み深く、問うては審かに、学んでは能くし、その上またそれを休むことなく続ける、それを「篤く行なう」というのであって、ひとまず学問思弁してそののちにはじめて行ないを施すというのでは決してないのです。

 というわけで、その事を能くしようと求める上から、学といい、その惑いを解こうとする上から問といい、その理に通じようと求める上から思といい、その考察を精にしようと求める上から弁といい、その実際を履行しようと求めるうえから行というなど、それぞれの功夫を分析すれば右の五つとなるのですが、綜合的にいえば一つに帰する、これが、わたしのいう心理合一の本質であり、また知行並進の実際でもあるのであって、後世の(朱子らの)説と異なるゆえんも、まさにここに存するのです。

 いま貴君は、とくに学問思弁を挙げ、この四者によって天下の理を窮めるとし、篤行については言及されなかった。これは、もっぱら学・問・思・弁のみを知とし、窮理には行いは含まれないとするものですが、いったい天下に、行いのない学問があるはずがなく、行わずして窮理と呼べるものがあるわけもない。

王陽明 荒木見悟編集「伝習録 中巻」『朱子 王陽明』中公バックス