蜀犬 日に吠ゆ

2014-05-21

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ヴェルダン条約【A】Verdun 843

 カール大帝の子ルートヴィヒ1世(フランク王、位814~840)の死後、その子の3兄弟間の領地相続の条約。長子ロタールが皇帝位と中部フランク、弟ルートヴィヒ2世が東フランク、末弟シャルルが西フランク王国を相続。

『世界史B用語集』旺文社

 このときの、「中部フランク」って不思議でした。それぞれの分割後の領域は下の図参照。

 このヴェルダン条約と、その後のメルセン条約で現在のイタリア・ドイツ・フランスの領域が基本的に分割されたわけですけれども、そう考えると中部フランク王国って不思議な地域ですよね。その、ライン左岸のロートリンゲンが。

 現代の国民国家の領域を「正しい」とするつもりはありません。9世紀当時はゲルマンとローマンがごちゃごちゃ住んでいたのでしょうし。しかし結局メルセン条約で東西フランクに割譲してしまったように、ローマからでは遠くてとても支配が行き届かなかったわけでしょう? どういうつもりでこういう分割にしたのでしょうねえ。

 アルザス・ロレーヌを独仏で奪い合った経緯から見て経済先進地域であっただろうことは予想がつきますが、産業革命が到来して石炭、鉄鋼がでてからじゃなかったかとか、なんとなくイメージが漠然としております。

 そんな気持ちのまま 近藤和彦『イギリス史10講』岩波新書 を眺めていると、こんな図がありました。16世紀の状況だそうですけれども、大変参考になりました。

 みごとにロートリンゲンが人口枢軸なのですね。だから長子としてローマ皇帝の位も継いだロタールの領域になったわけですか。支配しきれるかどうかは別として、ここが「文明的な領域」だったのかもしれませんね。東西フランクは、辺境と。

 よく見ると、ルクセンブルクやリヒテンシュタインのようないわゆる「マイクロステート」もこの枢軸Axis の上にあるのですね。スイス連邦もよくみるとこの線上にあることを見るに、いままで山奥の集落という感じでしたが認識を改めなければなりませんね。もちろんチューリヒだのジュネーヴは知っていましたが、中世商業都市という感覚だとこの地域はあまりパッとしなかったように思っていたものですから。

 結論から言うと、イタリア半島の西の付け根、ジェノヴァあたりからラインラント、ベネルクスを通ってイングランドに至る地域がヨーロッパにおいては重要な地域で会ったと。それはヴェルダン条約の領土分割からも割とはっきり見て取ることができたのだなあ、ということになります。不思議どころかこの地域こそがヨーロッパだったのでした。

必修世界史B用語集

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イギリス史10講 (岩波新書)

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