蜀犬 日に吠ゆ

2015-04-19

[][][][][]丸谷才一「不文律についての一考察」『腹を抱へる』文春文庫 15:47 はてなブックマーク - 丸谷才一「不文律についての一考察」『腹を抱へる』文春文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 丸谷先生の読み物(コラム?短評?)選集が二冊本で出ました。

 欲を言はせてもらへば、「膝を打つ」のはうも歴史的仮名づかいの表題がよかつた。文は人なり、といふなら仮名づかいは多分に丸谷才一の個性であつたのだ(と、おもひません?)。

 文庫は結構読んだはづですが、家の本棚では散逸してをりまして、今回の採録で(あ、読んだことある)という話も手元になかったり、(へえ、知らなかつた)といふやうな話は何遍も読んだ文庫本に入つていたり。ああ、人の記憶の何とはかなきことよ。じつはと申せばさきおとついまで読んでゐた『膝を打つ』のはうはもう所在不明だつたりします。

 なので、なるべくおもしろい話は本をなくすまへに書き留めておきたい。また買えばいいんですけど。

 イチロー選手が大量得点差で勝つてゐる状況で盗塁し、大リーグの精神に悖る、とか何とか言はれた話から、不文律について。

不文律についての一考察

 その、不文律にすべきことを成文法にしたため変なことになつた好例がわが国にあります。これはをかしな法令の最たるものとして有名である。わたしはこのことを笠松宏至さんの論文で知つたのですが、ちよつと紹介しませう。

 御成敗式目といふのは鎌倉時代の法典で、わづか五十一ヶ条より成る。そのなかの一条に悪口の罪といふのがあつて、「闘殺の基、悪口より起る」(喧嘩して殺人になるのは悪口からはじまる)と書き出し、「軽い悪口」でも拘禁、「重い悪口」は流罪と定めた。これはどうやら、面と向かつての悪口を念頭に置いてゐる条文らしいのですが(原文すこぶる難解、よくわからない)、うーん、これはすごいですね。流刑地がたちまち満員になりやしないかと心配である。

 さらに、法廷内での悪口は、当該訴訟「有理」(筋道が通つてゐる)のときは敗訴になり「無理」(道理にはづれてゐる)のときは没収刑といふことに決められてゐた。

 悪口が刑事罰の対象になるなんてことは、日本中世の武家法では極めて珍しいのださうで、このせいでお前は悪口を言つたぞと人をおどしたり、他人の自由や財産を奪ふ理由にしたりしたといふ。

 とりわけひどいのは法廷内の悪口で、何しろ悪口を言つたほうが敗訴と決めてあるのだからいちいち相手の言葉尻をとらへて悪口だ、悪口だ、俺は悪口を言はれたぞと言ひたてた。単に法廷内の言説だけでなく、訴陳状の文言についてもこれは悪口だと騒いだといふ。それはさうだらうな。相手が悪口を言つたことにすればこつちが勝つのだもの。ぜつたい言はせようとするよ。あるいは、言はれたことにしようとするよ。なんだか滑稽でもあるし、哀れでもある。

 そのいろいろな珍談は、『中世の罪と罰』(東京大学出版会)所収の笠松さんの論文で読んでいただくとして、この悪口罪なんか、成文法にしたせいで、をかしなことになつたのである。他人の悪口なんか面と向かつて言はないのが武士のたしなみといふ不文律で充分なのだ。立法者の北条泰時は武士たちの分別を信用してゐなかつたので、こんな失態を演じたのだらう。

丸谷才一『腹を抱へる』文春文庫
中世の罪と罰

中世の罪と罰