蜀犬 日に吠ゆ

2016-08-12

[][][]室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その2) 08:30 はてなブックマーク - 室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちと古い問題集ですが、復習していきます。

室町幕府の成立(Ⅰ)

(1)つぎのA・Bの文を読み( )に適語を記入し、下線部に関する設問に答えよ。

B 幕府滅亡後、後醍醐天皇は京都に帰り、新しい政治を行った。倒幕の論功行賞を行うため、新政府は中央に恩賞事務をあつかう(k *1 )を設置した。また、新政の目標は幕府や院政さらに(l*2 )をも否定して(7)天皇親政の理想を実現することにあった。しかし鎌倉幕府の遺産を無視することはできず、幕府の引付を継承した(m*3 )などを設置し、諸国には(n*4 )と守護を併置するなど公武協調による天皇親政の政治機構をととのえようとした。しかし後醍醐天皇の親政は、その発足の段階から破綻のきざしがあらわれていた。政府内部に足利尊氏と(o*5 )親王の対立がおこり、親王側が奥州に(p*6 )をつくると尊氏側が関東に(q*7 )をつくった。これらはともに小幕府的な存在で天皇の理想とはあいいれないものであった。さらに新政府が土地所有権の変更には必ず天皇の(r*8 )を必要としたことや文書重視の姿勢は(8)当時の武士社会の慣習を無視する結果となり、武士の離反をひきおこした。(9)政務の停滞による社会の混乱がつづくなかで、足利尊氏はひそかに武家政治再興の機会をうかがっていた。(10)1335年(s*9 )が関東で反乱をおこすと、これを機に尊氏はついに新政権に反旗をひるがえした。

「設問」(7) 後醍醐天皇が理想とした時代は、誰のどの時代か。*10

    (8) 武士社会には、土地所有権について、どのような慣習法があったか、簡潔に記せ。*11

    (9) 当時の世相の混乱を風刺した『建武年間記』所収の史料を何とよんでいるか。*12

    (10)この事件名を記しなさい。*13

『日本史総合テスト』山川出版社1998
  • 空欄補充

 k 恩賞事務をあつかう→恩賞方 はサービスかしら。いきなり雑書決断所(m)と間違えて、後ろまで読んで訂正したぜ!

 l 天皇親政のみが正しいというのは朱子学なのでしたっけ? 時事に絡めていうと、ここらへんが皇室典範の思想につながってくると思います。大覚寺統は後醍醐を除いて天皇と認められていないというのは「そういやそうだった。」くらいの感覚

 o 護良(もりよし)親王きました! (「もりなが」とも) この人学研の漫画で一人だけ古代コスプレしていたのですよね。太平記ではどうだったのか、あとで確認しよう。ようするに、聖徳太子の脇の子どもみたいな格好をしていて、そのまま土牢→処刑。

 q 奥州将軍府といえば北畠顕家ですね! 尊皇派! しかし多賀城においたというのはたぶん初めて知りました。

 

  • 設問

 (7) 村上天皇、、、そんなのいたね(不敬)

 (8) へ。なんで20年? あとで調べます。

 (9) 二条河原落書、好き。

 (10)  中先代の乱(北条氏が先代、足利氏が後代なので称された)というあたり、もう鎌倉幕府は北条氏のものであったのだ、という武断政治の感覚がひしひしと伝わってきます。ようするにここで勝利すれば、まったく問題なく鎌倉幕府が再興していたのではないでしょうか。護良親王は、あんまり関係なかったのでは。

*1:恩賞方

*2:摂政関白

*3:雑訴決断所

*4:国司

*5:護良

*6:陸奥将軍府

*7:鎌倉将軍府

*8:綸旨

*9:北条時行

*10:醍醐(延喜の地)・村上天皇(天暦の治)

*11:20ヵ年以上、土地支配の事実があれば、所有権は変更できない。

*12二条河原落書

*13:中先代の乱