蜀犬 日に吠ゆ

2016-08-13

[][][]室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その3) 19:49 はてなブックマーク - 室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちと古い問題集ですが、復習していきます。

室町幕府の成立(Ⅰ)

(2)つぎの文を読み( )に適語を記入し、下線部(a)~(g)にもっとも関係の深い語句を語群のなかから選んで、その記号を記せ。また、下線部(b)・(c)・(d)・(e)・(g)に関する下記の設問に答えよ。

 1336年、再度の挙兵で京都をおとしいれた足利尊氏は( 1*1 )を擁し、(a)当面の施政方針*2を示して武家政権の再興を目指した。2年後、征夷大将軍に任じられて正式に幕府を開いた尊氏は、具体的な法令の整備にも意を注ぎ、(b)追加法令*3を随時発していった。しかし、京都を逃れ皇位の正統を主張した( 2*4 )は、( 3*5 )に朝廷を開いて対抗したので、ここに南北二つの朝廷が並び立つことになった。


 動乱が(c)南朝側の形勢不利のうちに進行した*6にもかかわらず、約半世紀あまりもつづいた理由は、(d)北朝側の足利一族に内紛が生じ*7、そのときどきの都合に合わせて、一方が南朝と結んで戦ったためであった。他方、この動乱は当時の社会的変動と深くかかわっていた。すなわち、(e)武士団の血縁的結合から地縁的結合への転換*8、地方における中小武士の成長と(f)武力連合*9による荘園侵略や守護との対抗、荘園制の解体と農村の新しい共同体の成立など、これらが動乱の背後にあって対立の様相をいっそう複雑なものにしていた。それゆえ、諸勢力の対立抗争を経て新たな武家政治夫体制が成立するには、いまだ多くの年月を要したのである。(g)動乱が名実ともに収束するのは*103代将軍足利義満の時であった。

(語群)ア.荘園整理令  イ.観応の擾乱  ウ.惣領制の崩壊  エ.一味同心  オ.四條畷の戦い

カ.建武以来追加  キ.成功  ク.重任  ケ.建武式目  コ.受領の没落  サ.南北朝合体

(設問)(1) 下線部(b)について、尊氏が基本法典としたものは何か。*11

    (2) 下線部(c)について、常陸に拠点をおいて対抗した南朝側の武将は誰か。*12

    (3) 下線部(d)の内紛で、尊氏の執事と敵対した人物は誰か。*13

    (4) 下線部(e)の転換のなかで、武家社会の所領相続の形態はどう変わったか。*14

    (5) 下線部(g)の時期を西暦年で示しなさい。*15

『日本史総合テスト』山川出版社1998

 

*1:光明天皇

*2:ケ.建武式目(けんむしきもく)

*3:建武以来追加

*4:後醍醐天皇

*5:吉野

*6:オ.四條畷(しじょうなわて)の戦い

*7:イ.観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)

*8:ウ.惣領制の崩壊

*9:エ.一味同心

*10:サ.南北朝合体

*11:貞永式目(御成敗式目)

*12:北畠親房

*13:足利直義

*14:分割相続から単独相続へ

*15:1392年