蜀犬 日に吠ゆ

2018-06-16

[][][]ダンテとパスタとナショナリズム~~池上俊一『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書 19:23 はてなブックマーク - ダンテとパスタとナショナリズム~~池上俊一『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 19世紀は、「国民国家」成立の時代でした。成立の経緯は、それぞれの国によって異なりますが、結局、ヨーロッパの人々は、「言語、宗教、文化、価値観などを共有できると信じられる人と形成する国家」を選択しました。

 その時、特に重要視されたのは「言語」で、要するに「話せば分かる」相手が仲間、そうでなければ敵、という分断が行われたのです。しかしながら、同じ言語でも方言はあり、異なる言語でも似通っている部分はあります。ヨーロッパは特に。そういう中で、どのように言語は区切られたのでしょうか。

私の理解している一般的な説明(出典なし)としては、

  1. ヨーロッパ全体の傾向として
    1. グーテンベルクの印刷術が広まるにつれて、標準語や正書法が意識されるようになった
  2. イギリス
    1. 「ジョージ王欽定訳聖書」が各家庭に普及し、英語の標準形とみなされるようになった。
  3. フランス
    1. パリの「オウル系フランス語」とプロヴァンスの「オック系フランス語」があったが、アルビジョワ十字軍で南仏の有力者を殲滅したのでパリ方言を強制できた
    2. アカデミー・フランセーズで標準フランス語を定めた。
    3. フランス・ドーデ・ショウ
  4. ドイツ
    1. グリム兄弟が標準ドイツ語の辞典を作成(童話の蒐集はその手段)して「ドイツ民族」意識を高揚した
  5. イタリア
    1. 国民的文学、ダンテの『神曲』がトスカナ地方の方言を標準イタリア語として意識させた
  6. 日本
    1. 二葉亭四迷
    2. NHK

etc.あたりを

が、このまえ読んだ本で、イタリアの話にまたあらたなエピソードが追加されました。

  • 第4章 地方の名物パスタと国家形成
    • リソルジメントへの流れ

ナポリを解放したときガリバルディは「諸君、マッケローニこそ、イタリアを統一するものになるであろう」と高らかに宣言したといいます。

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  • 第4章 地方の名物パスタと国家形成
    • 料理の「平等」とレシピによる「言語教育」

アルトゥージの「改革」は、「食」だけでなく「言語」の改革でもあったと指摘するのは、ピエロ・カンポレージという著名な文化史家です。じつはイタリア統一時に「イタリア語」を話せるのは、二・五%にすぎなかった、という計算があるように、当時はほとんどの人が「方言」を話し、イタリア人同士でもコミュニケーション不能で、まるで外国人と話しているかのようだったのです。

(中略)

 アルトゥージの料理本が生まれたのはまさにこの時期だったのですが、彼はなんと、料理を紹介する中で、ささやかな言語教育を組み込んだのでした。アルトゥージは、トスカーナ語、方言、専門語、卑語、女性言葉などを皆、「イタリア語」に移植して馴化(じゅんか)させる、という道を選び、(統一)イタリア語と地方の方言の橋渡しの役割を果たそうとしたのです。方言によるバラバラな呼称をイタリア語に訳して、料理における言語の合理化、統一化を達成しようとしたのです。

 彼の選んだ共通のイタリア語とは、(半ば)フィレンツェ語、(半ば)ローマ語を基礎にしている、農民たちの麗しい言語でした。アルトゥージは、ある地方の言語によって独占支配されるのではなく、各地方の言語が共存しているような料理の世界、料理の言語空間を好んだのです。

(中略)

 彼はまた、前代に、宮廷に集う貴族や彼らに仕える料理人たちが、フランス由来の新規な用語法を崇めていた傾向を、よしとしませんでした。変なフランス語名やフランス語の翻訳を、なにやらわからない混合語ではなく、家庭料理の用語の「純化」に務め、すべてのイタリア人にたやすく理解できる料理名・素材名を、イタリア各地から探し出してきて、自身の料理書のレシピを書いていったのです。

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 確かに、ダンテ『神曲』を「国民的文学」と読んでもいいのでしょうが、庶民の言葉を劇的に変えたとは思えませんでしたから、産業革命で田舎から都市に集まった人々がレシピ本を求め、その言葉が多様な方言の入り交じる中で共通の言葉となっていったというのは分かりやすい。