蜀犬 日に吠ゆ

2019-10-17

不謹慎の始まり 12:55 はてなブックマーク - 不謹慎の始まり - 蜀犬 日に吠ゆ

徒然草 第一四七段 灸治あまた所に

 灸治(きうぢ)あまた所にになりぬれば、神事(じんじ)に穢(けがれ)ありといふこと、近く人の言ひ出せるなり。格式(きゃくしき)にも見えずとぞ。

小川剛生訳注『新版 徒然草』角川ソフィア文庫

 不謹慎だ、などという雑言を耳にすることがありますが、まあそういうことを言う人はだいたい面倒くさいのであまり反応しないでやり過ごします。典拠とか、不謹慎の定義や意味する範囲を聞きたいところではありますが、多分わたしの望んでいるような答えは返してくださらないのでしょうと勝手に考えています。

 鎌倉時代にも、お灸の痕(あと)のある人に対して失礼なことを言う人がいたのですね。そのほかにも、根拠はなくてもその人が気に入らないからと言って不謹慎だ不謹慎だと騒いだ、騒がれたことがらは多かったことでせう。

 逆に、律令格式の不謹慎に精通している人(陰陽師かしら?)の意見を聞きたい。

 典拠はなくても不謹慎である、ということも当然ありましょう。しかしそれも、「わたしが不謹慎だと思うから不謹慎だ」ということではなくて、ある程度の数(不謹慎であることによって傷つく人の数から、不謹慎を騒ぐことによって得する人の数を引いたもの)を根拠にしては欲しいものです。

 垂直不謹慎、水平不謹慎、と言い換えてもいいのですが、不謹慎は個人ではなく社会に属するものであってほしいです。


 話は飛びますが、この記事のために『徒然草』を開いたら、兼好法師は結構お灸を推しているのですね。

徒然草 第一四八段 四十以後の人

 四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気(じゃうき)のことあり。必ず灸すべし。

小川剛生訳注『新版 徒然草』角川ソフィア文庫

 三里に灸、というのは落語に出てくるので江戸時代の話かと思っていましたが、鎌倉時代からあったのですね。三里は、現代と同じように膝頭から指三本ぶん下のツボでいいいのでしょうか。