蜀犬 日に吠ゆ

2011-03-27

[][]コヘレトの言葉 16:47 はてなブックマーク - コヘレトの言葉 - 蜀犬 日に吠ゆ

 今日もネットを巡っていて、みんなまだ原発のことをわいわいやってる。私はもう集中力も持続力も途切れました。集中力の持続力が途切れたのかな? まあどっちでもいいや。

 それで「何もかもむなしい……」などと言っていても非生産的なのですが、まあ別に私もたいした生産力を持っているわけではないのでそれは、それでいい。

コヘレトの言葉 一

8 何もかも、もの憂い。

 語り尽くすこともできず

 目は見飽きることなく

 耳は聞いても満たされない。

9 かつてあったことは、これからもあり

 かつて起こったことは、これからも起こる。

 太陽の下、新しいものは何ひとつない。

新共同訳聖書

コヘレトの言葉 一

12 わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。 13 天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探求し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。 14 わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。

15 ゆがみは直らず

 欠けていれば、数えられない。

16 わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、 17 熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。

18 知恵が深まれば悩みも深まり

 知識が増せば痛みも増す。

新共同訳聖書

2010-11-06

[][]落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』講談社選書メチエ 19:11 はてなブックマーク - 落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』講談社選書メチエ - 蜀犬 日に吠ゆ

 初めての新約聖書はギリシア語で編纂されたことからも分かりますように、キリスト教はギリシア語の宗教でした。(本文中の用語はみなギリシャ正教ですので以下、それに合わせます。)

ギリシャ正教 無限の神 (講談社選書メチエ)

ギリシャ正教 無限の神 (講談社選書メチエ)

 もちろん、ギリシャ語を話すのはギリシャ人に限りません。

ギリシャ正教

なぜキリスト教はギリシャ世界に広まったか

これらヘレニズム諸都市においては、ラテン語を話す政治的な支配層ローマ人と現地語を話す被支配層現地人の間に、ギリシャ語を話す文化的経済的な中間層が部厚く存在していたのである。

 初代キリスト教が布教の対象として選択したは、このギリシャ語を話す文化的経済的中間層、わけてもギリシャ語を母語とするディアスポラのユダヤ人たちであった。キリスト教がユダヤ教内部の改革運動として出発したことは言うまでもないが、ユダヤ教それ自体、その絶対的超越神を奉じる宗教それ自体の魅力は、当時の地中海人にとっても充分に理解出来る処であった。しかし本来のユダヤ教は従うべき律法が余りにも煩瑣であり、後のイスラームと比肩しうるセム族の宗教特有の生活拘束臭がいささか鼻につく。律法のないあるいは律法の緩和されたユダヤ教、地中海世界の教養人したがってギリシャ語を話す人々の求めていた宗教はこれである。

落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』講談社選書メチエ

 本当かなあ。キリスト教がローマ国教化したあとのギリシャ神話(の宗教って、名称あるのでしょうか)弾圧を見るにつけ、たとえば古代エジプトが、多神教の中の「アモン=ラー」を絶対神にしたり、また「アトン宗教改革、アマルナ時代」のように、たとえばゼウス最高神思想とか、歴史はそうならなかったのですが、そうならなかったことが説明出来なければ、そうなった理由、ここでは「ヘレニズムのギリシャ人は律法の緩和されたユダヤ教を求めていた」に説得力がないと思うのです。


 第一、ギリシャ語使用の知識人達がキリスト教を受け入れるには高いハードルがいくつもあります。

ギリシャ正教

キリスト教とギリシャ文化の化学反応

 しかしキリスト教とは、イエスというナザレ出身のユダヤ人が、実は神であり、十字架上で刑死したにもかかわらず復活したことを信ぜよと迫る、いかにも非合理な新興宗教ではなかったか。神が人になり十字架上で死に甦ったという言明が真理であると主張するキリスト教の問いかけに、真理とは何であるかに人一倍敏感なギリシャ的教養人たちはどのように応答したか。ギリシャ文化の合理性とキリスト教の非合理性はいかにして両立しうるのか。これらの問こそ、キリスト教の福音を告げ知らされた古代地中海人の問いであると共に、本書もまた改めて問おうとする問いに他ならない。

落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』講談社選書メチエ

 その通り! 是非知りたい。

ギリシャ正教

キリスト教とギリシャ文化の化学反応

 いずれにせよアレクサンドリアやアンティオキアやテッサロニキや、エフェソスやコリントスやコンスタンティノポリスや、そしてローマに生活したギリシャ的教養人たちは、陸続としてキリスト教に改宗していった。ローマ帝国の皇帝たちはこのギリシャ後の宗教蔓延に手を焼き、信徒をコロッセウウムにおいてライオンと闘わせるなど苛烈な迫害を繰り返したにもかかわらず、当時の地中海の教養人たちは怯むことなくむしろ喜んで殉教していった。彼ら彼女らは、自らの生命を賭してでも受け容れたい何らかの真理をキリスト教の中に見出したのである。

落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』講談社選書メチエ

 「いずれにせよ~改宗していった」って、その論理を問うてくれるはずではないの? 「何らかの真理」って、それを知りたくて本を読んでるのですよ。

 しかし現実は無情。「だってそうだもん!」という勢いでローマ帝国はキリスト教を公認し、キリスト教とギリシャ教養の理論的整理がなされるのは、もはやキリスト教にどっぷりと浸かった教父たちによってなのです。

ギリシャ正教

非合理な命題をいかに弁明するか

 ギリシャ正教の歴史において、「神は人と成った」という命題の弁明が迫られたのは、キリスト教公認とコンスタンティノポリス遷都の四世紀、神とイエス・キリストと聖霊の関係如何が問われたアレイオウ(及びエウノミオス)論争においてである。このとき神とイエス・キリストと聖霊という異なる三つの実存の同一本質、いわゆる三一論を主張して、「神は人と成った」という命題の弁明に立ち上がったのが、カッパドキア三教父、カエサリアのバシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス(三二九~三九〇)、ニュッサのグレゴリオス(三三〇以降~三九四)の三教父にほかならない。

落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』講談社選書メチエ

 つまり私が知りたいのは「キリスト教をしらないギリシャ教養人がいかに非合理を受容したのか」なのに、本書で解説されるのは「キリスト教徒は、どのようにギリシャ教養と非合理に見えるキリスト教の教義を論理的に整合させていったのか」というはなしになっていってしまいます。じゃあ結局「ギリシャ的教養人たちは、陸続としてキリスト教に改宗していった」とき、彼らは何となく真理がありそうだから……くらいの感覚で改宗したのでしょうか。「真理とは何であるかに人一倍敏感」なギリシャ教養人にしては、ノリが軽いなあ。

 まあ「三一論」はローマ=カトリックの「三位一体説」とは異なる、とかギリシャ正教のスーフィズムにあたる「ヘシュカスト」なんていう話は面白かったのですけれども。

 後半はしだいにカントールの「無限集合」で「三一論」を証明したり、ノイマン=ベルナイス=ゲーデルの公理系「NBG公理系」で「ヘシュカズム」の、人が聖霊を通じて神と一致したときの神のありようを説明したりと数式だらけになっていくのでほとんどついて行けていません。

2009-05-01

[][][][]あれでいいのか大天使~~中村光『聖☆おにいさん』3 講談社 00:19 はてなブックマーク - あれでいいのか大天使~~中村光『聖☆おにいさん』3 講談社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 2巻の感想で、でだんだんと同じネタのくり返しになるのではないかと心配して、

旅に出たり新キャラが続々現れたりするのでなければてこ入れできないような気がします

 などと書いたのですが、まさにそうなっていてビックリしました。モーニングツーでの連載は、見たり見なかったりなのでズルしたつもりはないのですが、無意識に記憶が残っていたのでしょうか。

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)

 で、伊豆の修善寺へ行ったり大天使が登場したりするわけですが、大天使が気になりました。ミカエル、ウリエル、ラファエル、ガブリエルの四大天使がアイドルとまちがわれるほどのイケメン、というのはいいのですが、3人がお気楽な性格で、ウリエル一人がきまじめ、という設定。基本ミカエルがハイテンションで突っ走るのをウリエルが止めるのですが、キャラクターとして大物であるわりに扱いがちいさいなあ、と。もちろん、聖人2人の方がもっと器の小さい存在で、そのギャップがこの漫画の面白さでもあるわけですが、同じ扱いで登場させるのはどうなのでしょう。カラオケのくだりとか、ガウタマさんが居なくても成立してしまうし、同じノリのギャグを、キャラを違えて繰り返しているだけなら、やっぱりネタ切れなのかと思ってしまいます。(ところで、クリスマスの晩にイエスの部屋で騒ぎ、大家さんに怒られた天使たちというのはミカエルたちなのでしょうか。)

 マーラさんとブラフマーさんはいいですけどね。梵天さんはあのくらい崩してくれると素直に面白い。どうしても手塚先生への執着から逃れることはできないのでしょうか。

2008-07-25

[][][][]『聖☆おにいさん』2巻 21:06 はてなブックマーク - 『聖☆おにいさん』2巻 - 蜀犬 日に吠ゆ

聖☆おにいさん (2) (モーニングKC)

聖☆おにいさん (2) (モーニングKC)

 待望の2巻。ですが、これは厳しい。厳しいのう(、キリコ)。結局どんなに面白いことを言ってもこの二人は結局出オチのキャラでしかない気がしてきました。旅に出たり新キャラが続々現れたりするのでなければてこ入れできないような気がしますが、作者は細かいことを追求していくタイプらしい*1ので、こういう展開でつづけるのですかね。まあ1巻で存分に笑ったからもういいのですが。

*1:神は細部に宿ると言うことかしらん。