蜀犬 日に吠ゆ

2013-02-18

[][][]もし本当に知れば、きっと実行しようとしない(朱子) 22:49 はてなブックマーク - もし本当に知れば、きっと実行しようとしない(朱子) - 蜀犬 日に吠ゆ

第九章 実践の諸問題

32 明らかに不幸だと知りながら、それを実行に移すのは、考えてみると、しんそこ知っていないからである。もし本当に知れば、きっと実行しようとしないはずだ。あたかも、人が暴飲暴食すれば、体に悪いと説くようなもので、そのことはもちろん誰でも知っているのだが、本当に知っているわけではない。たまたまある日、暴飲暴食して体をそこねたら、その翌日は、決して無茶に飲食はしない。これは、本当に体に悪いと知って、そのまま二度としないからである。(語類巻一一八)

荒木見悟編集『朱子王陽明』中公バックス世界の名著19

 なんだか「知行合一」の陽明学みたい。しかし、「知る」という主体を「体」に求めるあたりがあたらしい知見のような気もします。


[][][]唯心論のめばえ(朱子) 23:29 はてなブックマーク - 唯心論のめばえ(朱子) - 蜀犬 日に吠ゆ

心性の様態

36 天地の性はすなわち人の性である、ゆえに人が死んでただちに消滅するという道理はあろうはずがない、という説は、まちがいだと思いません。ただこの説においては、天地を中心としているのでしょうか、自己を中心としているのでしょうか。もし天地を中心とするなら、この性は、もともと天地の間の公共の道理でして、人と物、彼と此れのへだたりとか、死と生、古と今との区別は、全くありません。死んで消滅しないとはいっても、自己の私すべきものではありません。もし自己を中心とするならば、ただ自己の一身について、知覚をもった精神魂魄を認識して、死ぬまで手放そうとせず、このものは死んでも消滅しないのだといいはります。これこそは、ひどい私意でして、こんな人を相手に、なんで生死の説とか性命の理を語るに値しましょうか。仏教の学問は、元来、この通りです。いま、仏徒のずるがしこいものは、往々、自分でその説の低級なことに気づき、次第にこれをはばかり、かえって一段上に、別に一種の玄妙な道理を説いています。(その説くところは)広々として、はてしも知れぬようですが、その決着は、まことにこれ以外にはありません。もしこの通りだとするなら、天地の性の中に、別にいくつかの人や物の性があり、それぞれの性には区切りがあって、交じりあわず、名をかえ姓をかえて、みずから生じずみずから死に、天地陰陽そのものも、その造化を施すすべがないことになります。こんな理屈があるでしょうか。ご面倒ながら、これについて、廖子晦にたずねてみてください。彼はきっと何らかの考えをもっているでしょう。それを折り返しお示し下さい。(文集巻四一、連嵩卿に答える)

荒木見悟編集『朱子王陽明』中公バックス世界の名著19

 「かえって一段上に、別に一種の玄妙な道理を説いています。」ずるがしこいというのはそうでしょうね。クシャン朝での仏典結集で大衆部(たいしゅぶ)が勝利したのは、シルクロードの常識に教義を合わせた結果だからでしょうから。

2013-02-09

[][][][]馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』第十二回 大系36 平凡社 を読む(その15の2) 16:16 はてなブックマーク - 馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』第十二回 大系36 平凡社 を読む(その15の2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 だいぶ間が開いてしまいました。

 それで付箋(不審)を取り外したらページの表がはがれてショック。気をつけなければいけなかったのに、、、

 もう読めない、、、

第十二回 老いたる狐精 灯を挑(かきたて)て法を論じ/癡(おらか)なる道士 月に感じ懐(こころ)傷(いた)む

  • 瘸児左黜)は剣門山にとどまっていたが、厄介者扱いされる。
    • まあそうでしょうね。そもそも自分が元凶で巣穴を旅立つことになったというのに、自省の感覚がない。剣門山でも「道士となった(第六回)」のに、お客さま気分でいられたら、それはつまはじきされると思います。
  • 使いが来て華陰県に出る。
    • 媚児を待つ担保として瘸児左黜)を養っていた賈道士は錯乱する。
      • 華陰って、長安と潼関(黄河の曲がり口)の間で、結構な宿場町なのだなあ。

中国古典文学大系 (36)

中国古典文学大系 (36)

2011-12-03

[][][]山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社 17:09 はてなブックマーク - 山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 日本と中国の貿易を、あまり代表的でない交易物から考察します。

 遣唐使船でパチャパチャやっている日本は放っておいて、唐宋変革を経た中国は、まさに大ジャンク時代。

 それまで、遣唐使船で行き来していた日本と中国の貿易品は、ごく限られたものでした。

第一部 原始・古代

第三章 貴族文化と国風文化

1 摂関政治

国際関係の変化
平安時代の交易

 9~10精機の日本と大陸との文物の交流についてみると、日本から大陸へは、金・銀や絹・綿などがもたらされ、大陸からはこれらを代価として工芸品・薬品や仏教の経典・仏具・仏像などが輸入された。

『詳説 日本史研究』山川出版社

 「国交」における献上品・下賜品ですから、その量ですみましたが宋が成立すると民間の貿易も始まり、規模が膨大なものになります。

第2部 中世

第4章 武家社会の成立

3 元寇と幕府の衰退

東アジアと日本

日宋間に正式な国交は開かれなかったが、私貿易は平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んであった。取引品のうち日本からの輸出品は金・水銀・硫黄・木材・米・刀剣・漆器・扇などで、唐物と呼ばれて珍重された輸入品は陶磁器・絹織物・香料・薬品・書籍(『太平御覧』や「一切経」)・銭などであった。このうち香料・薬品は東南アジア原産の品が南宋を経由して流入していたのであり、日本は南宋を中心とする通商圏に組み込まれていた。また宋の銭貨は南宋側がその流出を防ごうとしたほどに大量に日本にもたらされ、国内各地に急速に貨幣経済が浸透していった。

『詳説 日本史研究』山川出版社

 宋銭の輸入によって皇朝十二銭は、958(天徳2年)の「乾元大宝」をもって鋳造を終えます。

 しかし、私貿易でもたらされる宋銭が国内に流入するのは、国家にとってマクロ経済の統制が聞かなくなることにも等しいわけで、関税などの意識がない時代とはいえ平安朝廷にとっても懸念事項だったでしょうけれども、日本も宋もそれをとどめることはできませんでした。結局、鎌倉時代の経済は貨幣へと移行していきます。

宋銭(9)

 宋代に鋳造された中国の貨幣で、中国では元・明時代まで用いられた。本朝十二銭以後、日本では銭貨が鋳造されなかったので、宋銭が国内通貨として平安末期~室町時代に大量に輸入されて流通し、効能の銭納化を促した。

『日本史(B)用語集』山川出版社

 しかし、鋳造技術を持っていたにもかかわらず、それを放棄して宋銭を輸入し続けた意味はあったのでしょうか? 私貿易でインフレが起こってもかまわなかったのでしょうか?

 山内先生の話が面白い。

「硫黄」への注目

ちなみに、日宋貿易の時代の貿易船がどのような形態のものであったのか、具体的にはあまりわかっていない。ただ、中国の泉州沈船(ちんせん)(十三世紀後半)や韓国の新安沈船(十四世紀前半)などの実際に東南アジア・東アジア海域で活躍していた沈船の事例からみて、日宋貿易に利用されていた貿易船は一般的に、これらと同様な中国の尖底ジャンク型のもので、船長三〇メートル前後、船幅八~一〇メートル前後の船であったと推察される。

山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75

 中世を代表する船として、「ゴーイング・メリー号*1」をよく引き合いに出すことがおおいのですが、そのモデルとなったキャラベル、「サンタ・マリア号*2」よりも大きいですよ。船長23メートルで127トン。これだけ船が巨大化し、木造であることも考えると、当然安定航行の上で底荷(バラスト)がもとめられます。逆に言うと、バラストで安価な重量物を互いに交易できることが海洋貿易のコスト要因になっていく時代なんですよ。これは正直、気づきませんでした。


「硫黄」への注目

ある程度、船の喫水線をさげて船体バランスを安定させるために、重量のある底荷(ばらすと)が必要になる。上述の新安沈船からは、約二八トン(約八〇〇万枚)もの銅銭が発見されているが、これなどはまさにその底荷の一部であろう。そうすると、日本から中国への帰航にあたって、日本金をたとえ数百キロ積載したとしても、それのみでは当然、船の安定を保つための底荷とはなり得ない。

山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75

 で、平安後期に中国から硫黄の大量発注が来るのですけど、泥酔したのでおやすみなさい。




日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)

*1:山内氏同書内に、大阪で復元された全長三〇メートル、幅約九メートルの大和帆船の場合、バラスト重量は五六トンであり、船の総重量の36%であったことが記されていますが、遠洋航海するゴーイングメリー号のバラストってなんのでしょうねえ。

*2:そういえば、サンタ・マリアのバラストも知らない。

2011-11-05

[][][]山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社 19:58 はてなブックマーク - 山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 平安時代になって、中国の宋から硫黄の買い付け注文量が増加します。

 これは、宋が燕雲十六州を始め現在の東北地方の領土を失ったためです。新期造山帯(ようするに火山地帯)を領域から失ってしまったため、唐代後半に開発されて重要視された黒色火薬(硝石・硫黄・木炭粉の混合物)を製造できなくなってしまったからです。まさか敵である遼(契丹)から輸入するわけにもいきませんからね。よって南宋はますます弱くなる。

 地学・地政学から「宋の弱兵化」をとらえる知見。初めて知りました。こういうのを待っていた!

硫黄輸出の開始とその背景

宋における硫黄の用途

 つぎに、(3)の用途について考えてみよう。そもそも火薬は、中国において、道家による練丹術のなかで唐代後半に発明されたと言われている。その火薬とは、黒色火薬であり、硝石・硫黄・木炭粉の混合によりつくられた。そして、宋代になると、火薬の兵器への利用が拡大し、北宋期の兵器や戦術を集大成した『武経総要』には、火薬の製法とさまざまな火薬兵器が記載されている。

 そうすると、この宋代に入って、従来の燃料用・薬用中心のじきよりもはるかに、硫黄の需要が急増することになる。そして、このような中国における硫黄の用途の大きな変化と、先述の九八八年の日本産硫黄の輸出が始まる理由は、宋代中国における火薬原料としての大量需要の可能性がもっとも高いといえよう。

山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社
日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)

硫黄輸出の開始とその背景

宋における硫黄の用途

 このように、中国における火山分布を参照すると、北宋・南宋を通じて、硫黄を国内で完全に自給することはまったく不可能だったはずである。とすれば、宋において火薬兵器が発達し、その需要が高まれば高まるほど、主要原料であるにもかかわらず国内で自給できない硫黄が大量に必要になってくる。

山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社

 (レアアースを埋蔵する内モンゴルや、油田のあるウイグルを粛々と弾圧する理由は分かるのですが、それはひどいのではないでしょうか。)

日本産硫黄の大量買付計画

恒常的な硫黄需要

 たとえば宋と北方の大国・遼との関係を考えた場合、一〇〇四年の澶淵の盟(せんえんのめい)以降、両国はほとんど交戦することもなく、平穏な関係を維持していた。しかし、そのような平和な関係が維持されているにもかかわらず、宋側は長大な国境ラインに一〇〇万にのぼる大量の常備軍を張りつけていたのである。

山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット75 山川出版社

 で、靖康の変(せいこうのへん)以降は実戦が増えるから、より需要が増えたのでしょうか。

 元寇の「てつはう」を鑑みるに、宋代の黒色火薬兵器ってどんなものだったのでしょうね。

 「てつはう」って、殺傷能力よりも騎馬隊を音で止めると聞き及んでおりますからねえ。

 でも、竹崎季長先生は首級をあげてない(戦国価値観)ですからねえ。


 酔ってきたので今日はおしまい。後半は、「じゃあ日本での硫黄産地ってどこ?」この話もスゲエ面白い。

2011-08-09

[][][][]馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社 を読む(その15) 20:34 はてなブックマーク - 馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社 を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

 今までの伏線をがんがん回収します。

第十二回 老いたる狐精 灯を挑(かきたて)て法を論じ/癡(おらか)なる道士 月に感じ懐(こころ)傷(いた)む

  • 聖姑姑が蛋子和尚の天書を見る
    • 地煞の書のみで天罡はない。

第十二回

「天は能く地を包むも、地は天を包むことはできない。いま第十六条によれば壺天法となっているが、壺中の天は天上の天ではなく、これは遁甲縮地(とんこうしゅくち)の意にすぎぬ。また第七十二条は地仙法とあるが、天仙といわず地仙といったところを見ても、天罡に及ばないことは明らかである」

馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社

 滅びる定めか。しかし、『西遊妖猿伝』の再解釈っぷりはさすがですねえ。

  • 聖姑姑は蛋子和尚とともに『如意冊』の修行に入る
    • 奪い合ったりしないんだ。
      • それは蛋子和尚も感心している。蛋子和尚は天書の梵字が読めないのだから、聖姑姑が知識を独り占めしてもいいのに、二人で術の修得を目指すのは、これも伏線かしら?
中国古典文学大系 (36)

中国古典文学大系 (36)

2011-08-08立秋

[][][][]馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社 を読む(その14の3) 19:37 はてなブックマーク - 馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社 を読む(その14の3) - 蜀犬 日に吠ゆ

 「蛋(たん)に遇って明らかなり」

 全四十回をよゆーと思っていましたが、読むほうは進んでも投稿が遅れすぎですね。

第十一回 道法を得て蛋僧 師を訪ね/天書に遇い聖姑 弟を認む

  • 落胆する蛋子和尚
    • 再び白髪の老人に会い、天書は月の光に反射させて写しとるのだと聞く。
      • その者の天命にしたがって天書は紙に写る。
    • 前回石頭陀をやっつけたのは、こうして善根を得るためでしたか。
    • さらに蛋子和尚は「天書を知らんとせば聖姑を尋ねよ」と天啓を得て、聖姑姑を尋ねる旅に出ます。
    • 途中、蛋子和尚は水上歩行の法術を試みて失敗。道術自体への疑問をもちます。
      • まあ、ちらっと見ただけの『抱朴子』をしたり顔で語った結果なのですけれどもね。たぶんこのあと『如意冊』が国士無双をやらかすので、「よい子は真似するなよ」というメッセージだと思います。
  • 一方聖姑姑
    • 楊巡検の奥方、楊奶奶が病気になる。
    • 治癒の術など知らないからやけくそで小便を薬だと言い張る。
      • ところが女狐の小便は薬でした。
        • ご都合主義はいいとして、下品じゃないか?

第十一回

もともと薬性本草に狐尿という一条がありまして、寒熱瘟瘧(おんぎゃく)を主治すとございますが、偶然、符合いたしましたわけです。楊奶奶は夜半になりますと、にわかに気分がよくなり、湯水をほしがりました。楊巡検は天にも昇らんばかり喜んで、聖姑姑を称讃してやみません。

馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社
  • 感謝する楊巡検に、聖姑姑は仏会(ぶつえ)を呼びかける
    • 大勢詰めかけるなかに蛋子和尚もいたが、「蛋」の字に因縁を感じた聖姑姑は、蛋子和尚と面会することを決める。

第六回

  楊に逢って止まり

  蛋(たん)に遇って明らかなり

  人来(きた)って你(なんじ)を尋ぬ

  你 人を尋ねず

馮夢竜 太田辰夫『平妖伝』大系36 平凡社
中国古典文学大系 (36)

中国古典文学大系 (36)